酪農再開やっと 7年半──震災後の苦節経て 来年1月出荷へ北海道から8頭 福島県葛尾村

7年半ぶりのパーラー稼働の準備を進める佐久間さん(右)と古舘さん(福島県葛尾村で)

避難前 超える規模に


 東京電力福島第1原子力発電所事故後の避難指示で、牛全頭がいなくなった福島県葛尾村に乳牛が戻ってくる。東日本大震災から7年半となる11日、村内の酪農家が北海道の家畜市場から乳牛8頭を購入。来年1月からの出荷再開を目指す。2018年度中に乳牛を70頭にし、5年後には事故前を大きく上回る300頭まで規模を拡大する計画だ。くしくも、北海道で地震被害が発生。生産者は被災者の苦悩に寄り添いながら、自身の新たな一歩を踏み出す。(塩崎恵)

 牛が1頭もいないがらんとした牛舎に、真新しい水槽。「まずは思い出す作業から。楽しみというより不安が大きい」。村で酪農を再開する、佐久間牧場の佐久間哲次さん(42)は、気を引き締める。

 村では東日本大震災が発生する前、佐久間さんを含め2戸が搾乳牛約130頭を飼養していた。11年3月14日夜、村による全村避難指示が防災無線から流れた。搾乳牛80頭を飼養していた佐久間さんは「1日くらい餌をやらなくても平気だろう」と、家族で福島市へ避難。しかし村に戻れたのは4日後の18日だった。

 乳房炎で10頭近い牛が死に、牛舎には生臭いにおいが漂っていた。生きている牛は腹の底から鳴き、「何かくれ」と訴えているかのようだった。

 その後、国による避難区域の再編で村全域が避難指示区域となり、村に住めなくなった。未経産牛は北海道の牧場に預け、残りの100頭近くの牛は食肉用に出荷。県内の建築業の手伝いなどをしながら、営農が再開できる日を待った。

 16年6月、帰還困難区域を除いた村の避難指示が解除され、同年12月には原乳の出荷制限が解除された。避難中に雪かきできずつぶれてしまった自宅を建て直し、今年4月に帰還した。

 以前使っていた飼料置き場は帰還困難区域のため使えず、佐久間さんらがパーラー脇の斜めだった畑をパワーショベルで削り、ブルドーザーでたたいて造成。イノシシ対策の鉄柵を牛舎周りに設置したり、機械や堆肥を置いていた牛舎を除染したりして準備してきた。同村で搾乳牛50頭を飼養していた古舘敬一さん(41)も佐久間牧場の役員として参加する。
 

「恩返したい」


 佐久間さんは11日、北海道のホクレン十勝地区家畜市場で初妊牛8頭を購入し、13日に牛舎に搬入する予定だ。北海道では6日未明、最大震度7の地震が発生。自身と同じ酪農家が被害を受けた。「出荷できず生乳を処分した震災直後のことを鮮明に思い出した。震災の時に助けてもらった恩返しに、できることは何でもしたい」と力を込める。

 導入後は原乳のモニタリング調査を受け、1月からの出荷再開を目指す。5年後には搾乳牛300頭規模まで拡大する計画。農林中金福島支店と日本政策金融公庫福島支店が連携し、乳牛導入資金などとして、スーパーL資金1億円を同牧場に融資する予定だ。
 

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