傍観者か 生産者か 田畑こそ“居場所”に 農業ジャーナリスト 小谷あゆみ氏

 人生100年時代。人はいつまで働くべきかが問われています。先日、島根県の集落営農法人や中山間地の生産法人を訪ねて伺ったのは、国の方針により定年がこれ以上引き上げられると、地域に戻って営農する人がいなくなるという課題でした。リタイアしたら戻ると当てにしていた人材が、65歳を過ぎても帰ってこなくなるのです。

 では、都会の現状はどうかというと、今月放送されたNHKスペシャルでは、高齢者の終(つい)の棲家(すみか)がないという特集をしていました。特別養護老人ホームの待機者30万人。待機児童ならぬ待機老人問題です。これまで深刻だった地方の農村の高齢者は、もはや減少傾向に転じていますから、膨大な高齢人口を抱えて困るのは、むしろ都市部なのです。

 人にはそれぞれ、その人にしかできない役割、かけがえのない使命があるものです。今は離れて住んでいても、ふるさととのつながりは切れるものではありません。生まれ故郷が荒廃していく様子を傍観して、自分のプライドは保てるでしょうか。地域を耕す主体となって仲間に喜ばれる以上に、その人らしさの発揮できる居場所があるでしょうか。

 介護をする人が、人に言えない思いを短歌に詠む「ハートネットTV介護百人一首」という番組(NHKEテレ)の司会を14年間続けています。老いを受け入れ、介護の憂さを発散する方法として、全国から短歌を募集していますが、その中に、日本人にとって農業とは何か、考えさせられる作品が数多くあります。いくつかご紹介します。

 「暑い夏大根の種発芽して百歳の父杖(つえ)で草取り」「今は亡き夫と過ごせし野良仕事恋しなつかし消ゆる時なし」「地下足袋でふんばり抜いた姑(はは)の足細く萎(な)えしを足湯につける」「病院に目覚めて母は大根を干したかと問ふ十二月一日」

 どの短歌にも、農業や農作業がその人の生きがいであり、誇りであることが現れています。

 農という営みには、自然と対話し、命を育む喜びがあります。自ら考え、農産物を人に与える喜びでもあります。農作業は介護予防になり、100歳でも自立した生産者でい続ける人もいます。田畑をイキイキ耕し、自らの人生に誇りを持つ生涯現役の高齢者が増えれば、社会保障費の軽減にもなります。傍観者か、生産者か。国がどんな方針を示そうが、自分の生きる喜びはどちらにあるのか、心に問う時期ではないでしょうか。

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