高木ブーさん(タレント) 忙しかったドリフ時代 妻のいなりずし食べたい

高木ブーさん

 京の巣鴨で生まれ育ったんですけど、小学6年生の時に戦争で家を焼かれて、千葉の柏に住むようになったんです。

 B29が焼夷(しょうい)弾を落とすと、油が周りに飛び散ってあっという間に燃えてしまう。国に言われて家の前に水の入ったドラム缶を置いていて、その水を掛けたけど全然消えない。風呂の水でも駄目。最後に池の水を掛けたけど……。

 自分の家が燃えるのを見るのはつらかったね。それなのに今、その国の音楽をやっているんだから(苦笑)。

 いとこが戦前から東京の根津でお肉屋さんをやっています。あの辺りは焼けずに残ったから、今でも営業をしてるんだよ。そこで揚げたメンチかつが大好きでした。都電、その頃は市電と言ってたね、それに乗って買いに行きました。肉を食べられない時代。大きくて肉がたっぷり入ったメンチかつは、子ども心にもぜいたくだと感じていました。柏に移ってからも買いに行ったし、今でも孫と一緒に買いに行ったりします。

 いたくな料理を食べられるようになったのは、いつかなあ。ドリフターズに入り、「8時だョ! 全員集合」が始まったのが1969年。その頃は、だいぶ変わってきました。「全員集合」のため、木曜から土曜まで拘束されました。3日間は、他のことは考えないで、それだけに集中してたんです。

 木曜日の午後に、メンバーとディレクター、本屋さん(放送作家)の7人が集まるんです。本屋さんが書いた大体のストーリーを練って、ギャグやコントを入れていく。午前0時に出来上がると、大道具さん、小道具さん、衣装さんらに「こういうのをやります」と発注します。

 木曜午後と金曜は稽古。土曜も午前10時から各シーンの稽古をして、午後はカメラを入れてリハーサル。今度は時間のチェックもします。「全員集合」は生放送だから、時間ピッタリに進めます。アドリブは禁止で、台本通りにやらないといけない。

 員集合の本番の日の昼は、お弁当か、店屋物。ラーメンかカレーですね。夜は、結婚していた長さん(いかりや長介さん)と僕の2人だけはまっすぐ家に帰ったね。

 注さん(荒井注さん)が抜けて志村(けんさん)が入ったでしょう。すると、長さんと僕、その10歳ほど下に仲本(工事さん)と加藤(茶さん)。さらに下に志村。世代が違うから、全員で遊びに行ったりはしないんです。それでドリフターズは長持ちしたんですよ。芸能界は先輩後輩がしっかりしている世界ですから、志村が不満があったとしても、長さんに文句を言うわけがない。

 長さんは、飲みたくなったら僕だけを誘うんです。よく焼き肉を食べに行きました。長さんは肉をしっかり焼く方が好き。僕はレアな状態ですぐ食べちゃう。それで長さんがマジで怒りだしたことがあったねえ。食事の間、長さんは若いやつらについて愚痴をこぼすんです。僕は相づちを打ちながら聞いてました。しょうがないですよね、長さんは他に愚痴をこぼせる相手がいなかったんだから。

 当時は忙しくて、ほとんど家で食事をすることはできなかったのですが、そんな中でも妻が作ってくれたおいなりさんが好きで。妻は油揚げを裏にして作るんですよ。それで割と汁だくの、他にはないおいなりさんでした。妻は25年前に他界してしまったけど、また食べたいなぁ。(聞き手・写真 菊地武顕)
 

 たかぎ・ぶー


 1933年、東京都生まれ。中央大学時代にハワイアンバンドのメンバーとして活動。64年にザ・ドリフターズに加入した。ウクレレ奏者としても、ハワイに招聘(しょうへい)されて演奏を披露するなど活躍。今年2月、サザンオールスターズ関口和之と共に「1933ウクレレオールスターズ」に参加。12月9日に東京・恵比寿ザ・ガーデンホールで日本初のライブを行う。
 

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