IKKOさん(美容家) 母の料理、街・季節の匂い 幼少期に育まれる味覚

IKKOさん

 覚というものは、幼少期に形成されるものじゃないか──。この年になって、つくづくそう感じます。50歳を過ぎた頃から私は、母の手料理や生まれ育った福岡県の炭鉱町、田川で食べた物に望郷を感じています。食の望郷なんですよ。

 母は、料理上手でした。母の味で一番に思い出すのは、ハンバーグかもしれません。最近のハンバーグって、牛肉を使ったステーキ風じゃない? 母が作ってくれたのは、牛と豚の合いびきを牛乳に浸した食パンをつなぎにして、バターで炒めたみじん切りのタマネギやショウガを入れたもの。表面はカリッだけど、中はモチッとした感じ。それにケチャップを掛けて、その上にウスターソースを掛けて食べました。

 ギョーザもよく作ってくれました。ニラ、キャベツ、タマネギ、豚のひき肉。シイタケもちょっと入っていて。タマネギの食感が分かるくらいに練ってました。最後の晩さんはこのギョーザって思うくらいおいしかったわね。

 母は中学を卒業して東京に出て美容師になり、米軍基地で働いたこともあったので、食べ物の知識が近所のお母さん方とはちょっと違っていて。食パンが乾燥しないようにナプキンで湿らせて柔らかくして、レタスとトマトを挟んだサンドイッチを作ってくれたんです。その頃の田川では、サンドイッチといえばポテトか卵だったんですね。他の子はまだ目にしたことがなかったのです。それで「なぜレタスとトマトなの?」と聞かれて恥ずかしかったですね。

 おにぎりは涙の味。遠足のお弁当を作ってくれるんですけど、商売をやっているから忙しくて、握ったおにぎりを冷ます時間がないままに(プラスチックの)食品保存容器に入れるんです。だから汗をかいちゃうの。のりがベチョベチョになってしまって。今は本当に感謝してるんですけど、当時はなんで私のだけベチョベチョなんだろうって。これは涙の思い出。

 の美容院は、毎月第3日曜は休みだったんです。日曜に休むのは、月に1回だけ。そこでその日は必ず、家族全員で出掛けました。普段かまってあげられないから、と。

 お目当ては飯塚市の井筒屋デパート。裏通りに市場があって、そこで屋台のホットケーキを買ってそれをかじりながら歩いて井筒屋に行って買い物をして、上の階でお昼を食べて、最後に屋上で乗り物に乗るんです。

 田川に戻ってからは蛇の目寿司(ずし)に行って。そこのおかみは満州(中国東北部)から戻ってきた人で、中華料理を田川の人に食べてほしいと作ってくれるんです。ちょっとおすしを頼んで、その後で中華そばと八宝菜と酢豚を食べる。その後にさかえ屋でショートケーキを買い、家でテレビを見ながらみんなで食べる。小学校6年生まで毎月出掛けていました。

 あと忘れられないのが、仲よし食堂のチャーハン。かまぼこと豚バラを、ラードを使って炒めて作るんです。ウスターソースで味をつけて。

 学生は遊んでいても、カラスが鳴いたら帰るわけですよね。帰り道、隣近所から夕飯のいい匂いがするんです。昔は、季節ごとに街に匂いがあったと思います。夏ならスイカ、暮れは餅を蒸す匂いですよね。あちこちの家から漂ってきた匂いが、地域の絆を感じさせていたように思います。

 私、一番記憶を消したくない時期は、昭和40年代の前半。小学校低学年までです。風景、風情、家の様子、食べた物の味。この記憶は、頭にたたき込んだまま忘れずにいたいです。(聞き手 菊地武顕)
 

 いっこー


 1962年、福岡県生まれ。横浜「髪結処サワイイ」で修業後、92年に独立。数々の雑誌表紙やCM、舞台のヘアメークを担当。自身もタレントとして活動する他、書家としても多くの書道展で受賞する。韓国名誉観光大使に任命されるなど、海外での活躍も顕著。
 

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