辛島美登里さん(シンガー・ソングライター) 親元離れ気付いた料理 感謝の気持ち素直に母へ

辛島美登里さん

 学から高校に上がる時に受験に失敗して、浪人した経験があるんですよ。生まれ育った鹿児島では私立が少なくて、浪人して公立高校を受け直す人がたくさんいました。

 お昼ご飯は、お弁当か購買部でパンを買うかのどちらか。私は母がお弁当を作ってくれて、それを食べていました。

 予備校で仲良くなった友達に、大隅半島の根占町(現・南大隅町)の子がいて、彼女は鹿児島市内の叔母さんのところに居候していたんです。叔母さんも働いているから、お弁当は作れません。なので毎日、購買部でパンを買って食べていました。

 いつも一緒にいた私はかわいそうに思い、母に頼んで彼女の分ものり弁を作ってもらいました。それをあげたらすごく喜んで。それで月に1回くらい、作ってあげるようになったんです。

 彼女も私もそれぞれ希望する高校に入り、だんだん疎遠になっていきました。でもある年、年賀状をきっかけに距離が近づいて。ものすごく久しぶりに会ったら「お弁当を作ってもらったのが本当にうれしかった。あの恩は忘れない」と、30年も前のことを言うんです。

 以来、彼女は「私にもお母さん孝行させてほしい」と、毎年正月明けの3日、4日くらいに霧島の温泉宿を予約して、母と私を招待してくれるんです。この10年くらい毎年欠かさず。霧島神宮にお参りもするんですけど、そこに行くのには階段を上らないといけないんですよ。彼女の方が私よりもずっと丁寧に、母の手を引いてくれて。

 どもの頃は、料理を作ってくれた母に感謝の気持ちを述べたことなんてありませんでした。昭和の鹿児島は、すごく封建的。父は女が料理を作るのは当たり前といった感じで食べ、子どもたちも「ありがとう」と言うのは恥ずかしかったですね。ただ、ギョーザの時だけは別でした。母が皮から作るギョーザはとてもおいしくて、それを作ってもらいたいから、みんな「おいしい」と褒めるんです。

 母は満州(中国東北部)からの引き揚げ者で、向こうの人と同じようにご飯なしでギョーザだけ食べるんです。完全食なんですよね、小麦粉で作った皮に、野菜とひき肉がたっぷり入っていますから。

 いつも100個くらい作ってくれました。それを家族4人で食べるんです。最初は水ギョーザ、後で焼きギョーザを。母は座っている暇もありません。ゆでるか焼いているかでしたねえ。

 学(奈良女子大)に入るため家を出て、親のありがたさをしみじみ感じました。最初の2年間は寮で過ごしました。4人部屋で、寮費は月300円(笑)。学生はみんな質素な暮らしをしていて、中には家庭教師をして得たお金を親に仕送りしていた子もいました。

 近くに「ポポロ」というパン屋があって、サンドイッチに使えなかった食パンの端の硬い部分だけを集めて売っていたんですよ。30枚くらい入っていたのかな。それを買うのは1年生の役目。早く買わないと他の部屋の子に取られちゃう。部屋で4人でパンの硬い部分をトーストにして食べていました。

 休みになると学生同士で旅行に行くこともなく、すぐ実家に帰り、一日でも長く過ごしました。私が奈良に戻った翌日に、母が電話をしてきたことがあります。母は寂しくて泣いたそうで、「お父さんが電話してもいいと言ってくれたから」とかけてきたんです。親元を離れて、それまで普通だと思っていたことがどんなに貴重なことか、よく分かりました。以後は素直に、母に感謝の気持ちを伝えています。(聞き手・写真 菊地武顕)
 

 からしま・みどり


 鹿児島県出身。大学卒業後、作曲家として活動開始。1989年にアーティストデビュー。翌年「サイレント・イヴ」が大ヒット。ベストシングルアルバム「Carnation」好評発売中。4月7日に名古屋・日本特殊陶業市民会館、20日に東京・日本橋三井ホールで30周年記念コンサート。 
 

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