涙に暮れた「あの日」から半年 “春”を信じて一歩一歩… 北海道ルポ

営農再開に向けて話し合う佐藤泰夫さん(左)と妻の美奈子さん。何より、地域全体が復興することを願う(北海道厚真町で)

経営再建へ向けて、子牛の事故防止などロス減少を徹底する干場さん(北海道安平町で)

 北海道地震から6日で半年。被災農家は生活や経営を取り戻そうと少しずつ歩みを進める。震源地・厚真町の稲作農家夫妻は地域の復興を願い多忙な日々を送る。安平町の若手酪農家は、周囲の支えで再建への決意を固めた。(川崎勇、望月悠希)
 

いとこの分もさあ米作り 厚真町の佐藤さん夫妻


 地震による土砂崩れで自宅や農地に被害を受けた厚真町の稲作農家、佐藤泰夫さん(63)と妻の美奈子さん(59)は、営農再開や暮らしに不安を抱えながら、地域を元気づけようと奮闘する。今年は仮設住宅から通って稲作をする。泰夫さんは犠牲者をしのぶ慰霊塔を製作。美奈子さんはJAとまこまい広域の女性部長として、伝統のみそ造り再開など復興へ向けて前を向く。

 「まだ亡くなった実感がない。家に戻ると、姿を見せる気がする」と美奈子さん。隣に暮らしていた夫のいとこ、故・佐藤正芳さん=当時(65)=のことだ。稲作農家だった正芳さんは、地震の土砂崩れに巻き込まれて亡くなった。夫妻が庭で作業していると、「何してるんだ」とやって来る気さくな性格だった。今年は、正芳さんの農地2ヘクタールも借りて作付けする。

 夫妻の住宅は土砂崩れで損壊し、避難所暮らしを経て昨年11月から仮設住宅で暮らす。農地は4・5ヘクタールのうち0・6ヘクタールが土砂に埋まった。仮設住宅を出た後、どこで暮らすかめどが立たない。先が見えない中、美奈子さんはJA女性部長として活動する。昨年11月には、女性部員が毎年集まる交流会を開いた。「中止の話もあったが、こういう時こそみんなの元気な顔を見たい」。震災をテーマに、教訓や部員の思いを伝え合った。

 女性部厚真支部加工部の「おふくろみそ」の製造も再開した。地震の際、販売を控えたみそだるが散乱した。みそは美奈子さんの女性部加入のきっかけになった商品。途絶えさせたくないという思いがあった。昨年12月~今年1月に仕込んだ。製品1万800個に相当する9720キロができる見通しで、11月に販売する。美奈子さんは「先人から引き継いだものをつなぐことができ、ほっとしている。今後も復興につながる事業を進めたい」と話す。

 同町で看板店も営む泰夫さんも、復興に向け汗を流す。昨年12月の慰霊祭で使われた約3メートルの慰霊塔を製作。亡くなった住民の思いも背に、春の農作業に臨む。
 

親身の支援 牛戻り再起へ 安平町の干場隆文さん


 厚真町に隣接する安平町の酪農家、干場隆文さん(34)は地震で自宅や牛舎が全壊。元の場所で営農を再開できる見通しが立たず、一度は経営を諦めた。親族やJAとまこまい広域の職員らの支援で、再起に向け動きだしている。少しでも早く立て直そうと、飼養管理に細心の注意を払う。

 2月末、修繕した育成牛舎に、町内の畜産農家に預かってもらっていた育成牛8頭が戻って来た。搾乳牛舎では24頭の経産牛を飼養する。震災前の搾乳頭数や乳量に戻るまで、もう少し。子牛の事故防止や確実な発情発見など、無駄がないよう気を引き締める。

 地震直後、激しく損壊した牛舎を見て驚愕(きょうがく)した。壁のブロックはばらばらに崩れ、舎内があらわに。鳴き騒ぐ牛たち。最悪の事態を覚悟した。

 JA管内では、酪農家と畜産農家約150戸のうち、牛舎が全壊した4戸が安平町内の牧場やホクレン南北海道家畜市場に3週間ほど牛を避難させた。干場さんも避難所で生活しながら、応急的に牛を世話し、2日後に全頭を移動させた。「いつ戻れるか分からず、膨大な修理費用がかかる。もうやめようと思った」

 失意の中、支えてくれたのが地域の人たち。自宅の片付けや生活物資を届けてくれた親戚、牛の移動に力を貸してくれた地元農家、避難牛の世話をしてくれたJA職員など。皆が被災する中、親身になってくれた。

 育成牛舎は全壊したが、搾乳牛舎は半壊で搾乳設備も無事だったため昨年9月下旬には牛を戻し、牛舎の修理を進めつつ営農を再開。頭数が減った上、乳房炎などで出荷乳量は激減。2カ月間はほとんど収入がなかったが、諦めなかった。

 現在の出荷乳量は震災前の6割ほど。少しずつ経営を立て直していく計画だ。「支えてもらっている人に報いるためにも、早く立て直したい」と意欲を見せる。
 

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