震災8年─風化と闘う 無念、悲しみ 教訓生かして あの日を伝え紡ぐ

岡さん(右)の紙芝居に涙する復興イベントの来場者(福島市で)

客に当時の状況を説明する松野さん(左)(宮城県南三陸町で)

 あの日を忘れない──。東日本大震災から11日で8年。記憶を風化させまいと、被災体験を語り継ぐ女性農業者がいる。心の痛みと闘いながら、防災の意識を高めたいとの思いを込めて、次世代につなぐ。(高内杏奈)
 

国内外で紙芝居上演―岡さん 当事者だからこそ 福島県浪江町


 福島県浪江町から福島市に避難した岡洋子さん(58)は、東京電力福島第1原子力発電所事故での被災体験を紙芝居で語る。口コミで活動は県外に広がり、月の半分は全国を飛び回る。2017年3月にはフランスでの公演も果たした。「地元を追い出された悲しみを伝えるのが私の役目」との使命感を持つ。

 原発から10キロ圏内にあり、避難指示が出た浪江町で、岡さんは野菜と水稲を栽培していた。「雪が解け、今年は何の野菜を作ろうかと心を躍らせていた矢先のことだった。帰れないと知った時は、全て奪われた感覚だった」と振り返る。「一時解除で帰宅しても、きれいだった畑は荒れ放題。玄関に足を踏み入れることができなかった」 同市で避難生活を送っていた14年、農業委員から紹介され、仮設住宅で民話の紙芝居をする「浪江まち物語つたえ隊」への参加を決意。消防隊で紙芝居の経験があったことも後押しした。「私にしか作れないもの、演じられないものがある。ここが私の居場所だ」と希望を持った。

 紙芝居「無念」は思い入れのある作品だ。避難指示が出たために、がれきの下敷きになった住民の救助活動を断念した同町の消防隊の苦悩を描いた。

 17年、岡さんの自宅は居住制限が解除された。再生に向け、荒れ放題の畑を耕す。被災生活を続ける人が帰って来られるようにと、自宅の倉庫を改装してコミュニティーカフェ「OCAFE」も経営。「これからも紙芝居を続け、地元の力になりたい」と笑顔を見せる。
 

農家レストランで語り部―松野さん 亡き人の思いまで 宮城県南三陸町


 宮城県南三陸町で農家レストランを経営する松野三枝子さん(65)。毎月400人の来店者に被災体験を伝える。

 大津波が襲って来た時、実父が入院する病院にいた。4階建ての病院が3階まで浸水。看護師の叫び声が響く中、とにかく走って屋上に避難したが、実父を助けられなかった。「私が死ねばいがったのに。神様なんていねえ」。屋上で寒さも忘れ、天に向かって叫んだ。

 語り部をしようと思ったのは、11年5月に仙台市で、かつて町内に住んでいた女性に遭遇したことがきっかけだった。「久しぶり、生きてたんだね」。声を掛けた途端、女性は泣き崩れた。

 女性は話した。津波から逃げようと祖母の手を取り自宅裏の土手に上がったが、祖母は胸まで泥水に漬かった。水の重さで引き上げられない。限界を感じた祖母は一本ずつ、指を外してきた。「おれの分まで生きてけろ」

 抱いていた夢が、松野さんの頭をよぎった。「被災者が戻って来られる農家レストランを開こう。初めて来る客には被災体験を伝えて防災を呼び掛けよう」と決心した。

 定食には栽培した野菜をふんだんに入れる。当時は津波にのまれ、栽培できる環境でなかった──そんな言葉を添える。震災の学習ツアーも受け入れ、東京の教育機関などで講演する。「話すのはつらいが、津波への油断を戒めるためにも続けたい」と思いを強くする。
 

多様な手法で記憶を次代に


 

 震災の記憶継承に詳しい宮城教育大学・山内明美准教授の話


 震災被害を風化させないため、語り部の役割は年々大きくなっている。

 受けた傷を人に話すことは勇気のいることだ。女性たちの、紙芝居や料理など多様な手法でのアプローチは素晴らしい。さまざまな角度から訴え掛け、次世代につなぐことを期待したい。 
 

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