なぎら健壱さん(フォークシンガー) 話題尽きぬ 給食の思い出

なぎら健壱さん

 食べ物について語ることって、特にないんですよね。そんなにうまいものを食べてきたわけではないし……。いろいろ考えてみて、給食なら語れるんじゃないかと、思いつきました。

 うちの子どもが小学生の頃、給食のメニューを見たらビビンバとか茶そばとかがあったんです。飲み屋の仕上げでもないのに。すごいですよね。それに嫌いなものは無理して食べなくていいと言う。一世代だけで、こんなにも変化していたんだと驚きました。
 

昼休みを返上で…


 われわれの子どもの頃は、残しちゃいけなかったじゃないですか。これが大変で。昼休みを返上して、嫌いなものとにらめっこをしていたものです。どういうわけか当番がよそう時に、苦手な人に苦手なものが入ってしまうんです。

 クラスには必ず何人か、野菜嫌いと肉嫌いがいました。

 私は肉の脂が駄目だったんです。今でも駄目なんだけど、昔の給食の肉の脂って今のよりもずっと臭くてうまくなかったですからね。ニンジン嫌いの子はニンジンと、私は肉の脂とにらめっこしながら昼休みが過ぎていきました。ちり紙に包んで捨てようという子がいて、見つかって大騒ぎになったこともあります。大変な怒られようを見て観念して、肉を小さく切って、脱脂粉乳で流し込んだという思い出があります。

 そういえば肉の検印のハンコってあるじゃないですか、紫色の。ある日、ハンコがついた肉が出たんですよ、私のところに。先生に「これ、ちょっと食べられません」と持って行ったら、「これも栄養の一つだ」と言われました。

 今となっては、脱脂粉乳は飲み屋でのネタの一つですよね。だいたいの人が「あれは飲めなかった」と言うんですが、私は平気だったんですね。ですから脱脂粉乳の話で盛り上がっている輪の中に、私は入っていけないんですよ。

 パンにつけるマーガリンもね、まずかったという人が多いけど、私は苦ではなかった。ただ、たまにジャムが出た時は異様に喜んだものです。おかずで言えば、鯨の竜田揚げをみんな「うまい」「うまい」と喜んで食べていました。そんな時代だったんだなと感じますね。

 変なものも出ましたよ。薬臭くてめちゃくちゃまずいコンソメスープとか、なぜか温めたオレンジジュースとか……。
 

地域や年代差も


 私と年齢がちょっと上か下かといった人と飲みに行って給食の話題になると、本当に盛り上がるんです。面白いのは、地域と年代によってコッペパンか食パンかに分かれるという点。

 「俺は1年生の時から食パンだった」「そんなわけないだろう。幾つだっけ? え、その歳だともう食パンになっていた!?」とか。埼玉の○○市出身の人が「食パンだった」と言うと、「ウソだろう。埼玉の田舎で食パンのはずがないだろう」とか。

 そうそう思い出しました。5年生か6年生の担任が、ニンジンが嫌いだったことを発見したんです。それからは給食当番が、ニンジンが出るたびに先生に山盛りにしたんです。あからさまに駄目だという顔をしながら、先生も必死に食べていました。

 私たちは給食についていろいろ語れるけど、飽食の時代の子は30年後にどうなっているんでしょうね。全員が口をそろえて「まずい」と感じるようなものもないわけですから。それとも「にぎりずしが出た」みたいな自慢話で盛り上がるんでしょうか。(聞き手・写真 菊地武顕)
 

 なぎら・けんいち


 1952年、東京都生まれ。70年、全日本フォークジャンボリーにアマチュアとして飛び入り参加し注目を集め、72年に「万年床」でアルバムデビュー。著書「下町小僧」を出版するなど下町文化に造詣が深く、たいとう観光大使も務めている。
 

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