令和と農の文化 天地自然観 再評価を 百姓・思想家 宇根豊

宇根豊氏

 「137億年前に宇宙が生まれた」「作物は光合成で、でんぷんと酸素をつくる」。科学的な説明である。しかし、「生まれた」「つくる」とは、人間の営みになぞらえた擬人法もいいところだ。実は、科学は擬人法を多用している。実感が湧くからだ。

 近年では、これは「心の理論」として、人間が進化の過程で獲得した能力だと考えられている。人だけでなく生きものの表情や様子からも、相手の心情を読み取り、行動を予測するわけだ。そして人間の言葉に置き換える。近年アニミズム(万物有魂論)が再評価されている理由もここにある。

 この能力と感覚こそ、農業が発達させてきたものではないか。百姓はこういう感性がなければ成り立たない営みである。
 

稲の声聞こえる


 若い頃の私は、年寄りの百姓の「稲の声が聞こえるようにならないと一人前ではない」という言葉に、何と非科学的な! と聞く耳を持たなかった。今では、大雨が降ると、夜中でも田んぼに急ぐ。稲と田んぼが呼んでいるからだ。

 「稲の生育や水路や畦(あぜ)の崩壊が心配なだけでしょう」とからかう人は、大事なものを引き継いでいない。

 皆さんは日本語で一番不思議なことに気付いているだろうか。人間の体の名前と、草の体の名前が同じなのだ。芽は目、葉は歯、葉が生えている茎は歯茎、花は鼻、実は身、実実が耳、穂穂が頬に対応する。根と心根、殻と体、種と胤(たね)もそうだ。

 あまりに出来過ぎていると思わないだろうか。言語学者の木村紀子氏は、草(稲)の名前が先にあって人間に当てはめた、と説明している。古事記では人間は「青人草(あおひとくさ)」と呼ばれ、八千草(やちぐさ)の一つであったからだ。
 

間柄が近くなり


 百姓は経験を積むほど、作物や生きものとの間柄が近くなり、隔てる垣根が低くなる。愛(いと)おしく感じ、会わずにいられなくなるから、毎日田畑に通う。そして同じ生きもの同士という感覚に達する。こういう世界こそ、これからの未来に向けて再評価して、表現し直して、伝えていかなければならない。

 これはスマート農業でロボットの機能に組み込むのは不可能だ。

 平成の時代は、資本主義の先を模索した時代だったが、うまくいかなかった。しかし、経済中心=人間中心=では、未来世代に送る(贈る)文化が貧しくなることは、誰もが気付いている。人間の欲望だけを追求する時代は終わりにしたい。かつても今も、人間は生きものの一員ではないか。令和の時代には、この日本的な天地自然観が見直されてほしい。

 新元号「令和」の出典となった万葉集の中で私が最も好きな和歌がある。

 苗代(なはしろ)の、小水葱(こなぎ)が花を、衣(きぬ)に摺(す)り、なるるまにまに、あぜか愛(かな)しけ

 小菜葱の紫の花を擦り込んだ服を、妻はずっーと着ていてくれる、こうやって一緒に百姓している妻がとても愛しい、と歌っている。

 小菜葱は「雑草」どころか、思いを背負って妻の体を包むタマシイの草だったのだ。野の花が咲き乱れる畦道を通いながら、生きとし生けるものと心を通わせた、遠い日の百姓の気持ちを絶やすまいと思う。 

 うね・ゆたか 1950年長崎県生まれ。農業改良普及員時代の78年から減農薬運動を提唱。「農と自然の研究所」代表。これまでの思索をまとめた『日本人にとって自然とは何か』(ちくまプリマ―新書)を7月に刊行予定。 

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