「なつぞら」 北の酪農ヒストリー 第6回「ダンと弟子たち」~若者が王国の種をまいた

NHK連続テレビ小説「なつぞら」場面写真(C)NHK

 「なつぞら」の舞台十勝をはじめ、酪農王国・北海道の最初の種をまいたのは、米国人のエドウィン・ダンです。
北海道酪農の大恩人、エドウィン・ダン(北海道大学付属図書館所蔵)
北海道酪農の大恩人、エドウィン・ダン(北海道大学付属図書館所蔵)
来日したのは1873(明治6)年7月9日、24歳の時でした。開拓の手法を習おうと政府に請われ、畜産指導のため横浜にオハイオ州から単身でやってきました。1年契約でした。

 ダンは、ショートホーン牛など42頭、綿羊100頭を連れてきます。 開拓使がつくった第3官園(国の農業試験場に相当。今の東京都渋谷区の日赤医療センター付近にあった)に運ばれ、日本の若い研修生にその飼養管理技術を伝えます。その後、七重官園(北海道七飯町)を経て、開拓使本庁があった札幌に来て1876(明治9)年、真駒内牧牛場(札幌市南区の真駒内自衛隊から真駒内中央公園一帯)を建設します。

 この牧場は100頭余りの牛、100ヘクタールの飼料畑を持つ「牛牧場」でした。ここで日本人に乳牛の飼い方だけでなく、バターやチーズ、ハムづくりも教えたのです。

 真駒内牧牛場で場長格としてダンを助けたのが、越前福井藩の武家の出の町村金彌(札幌農学校2期生、5男は町村金五元北海道知事、孫が町村信孝元衆院議長)です。
明治10年ごろの真駒内牧牛場家畜房(同所蔵)
明治10年ごろの真駒内牧牛場家畜房(同所蔵)
さらに、町村に牧夫として雇われたのが、大分県中津出身の宇都宮仙太郎でした。

 宇都宮は後年、米国に渡り、酪農を勉強し帰国、札幌で牛乳搾取業を開始します。その弟子が黒澤酉蔵であり、宇都宮の勤勉さを模範に酪農を始めるのが佐藤善七です。この3人が大正末期、酪農民救済のためバターづくりを行う北海道製酪販売組合(旧雪印乳業の前身)を設立したことはすでに紹介しました。町村金彌の長男・敬貴は10年間の米国修行を経て酪農家となり、その乳牛鑑識眼から「牛の神様」と言われた人です。

 ダンがまいた酪農の種は、後に「なつぞら」の主人公、奥原なつを育む十勝を含めて、全道で見事に花開きました。ダンは1年のはずが結局、生涯を日本で過ごし、1931(昭和6)年、死去します。84歳でした。その墓は、東京の青山霊園にあり、日本人の奥さんや子供たちとともに静かに日本酪農の発展を見守っています。(農業ジャーナリスト・神奈川透)

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