「なつぞら」 北の酪農ヒストリー 第11回「アイスクリーム登場」~甘さに戦後復興の喜び重なる

NHK連続テレビ小説「なつぞら」場面写真 (C)NHK

 「なつぞら」には何度かアイスクリームが登場している。戦争孤児のなつが北海道十勝の柴田家に引き取られて、初めてアイスクリームを食べるシーンは特に印象深かった。

 1946(昭和21)年、柴田家の祖父泰樹(草刈正雄)は、帯広の菓子屋「雪月」の店主・小畑雪之介(安田顕)に、9歳のなつが初めて搾った牛乳と家の卵を差し入れ、それで何か作ってほしいと頼む。雪之介が作ってくれたアイスクリームを、雪月の軒先でなつと並んで食べながら泰樹が「ちゃんと働けば必ず報われる日がくる」と言った。

 甘くて、口の中でやさしく溶けるアイスクリームは、困難を乗り越えて頑張ることへの褒美とも受け取れて、「なつぞら」を見ている人の胸を打ったのではないだろうか。

 53(昭和28)年に十勝農業高校に進学したなつは、雪月の店主の息子・雪次郎(山田裕貴)と同じ演劇部に入った。演劇コンクールの応援にきた雪月の人たちは、最中の皮で挟んで食べやすくしたアイスクリームを、来場者に無料で振る舞った。

 十勝の主要農産物の牛乳と砂糖原料のテンサイを使ったアイスクリームに、戦後の復興が進んで少しぜいたくなものを食べられるようになってきた喜びが、さりげなく重ねられていた。

 日本人が初めてアイスクリームを食べたのは幕末の1860(万延元)年で、遣米使節団が米政府に出迎えられた船上でのことだった。明治に入るとアイスクリームをメニューに上げるレストランは、全国的に少しずつ増えていくが、庶民が食べる機会はほとんどなかった。

 北海道で市販されるようになったのは1923(大正12)年。雪印乳業の創立者の一人の佐藤善七が開いた「自助園牧場」で製造・販売が開始された。チョコレート、ストロベリー、レモン味が3層になっていて、米国で製造技術を学んだ佐藤の息子・貢(雪印乳業初代社長)が主導して作り出したのだという。  
北海道製酪販売組合連合会が製造したブリックアイスクリーム
北海道製酪販売組合連合会が製造したブリックアイスクリーム


 自助園アイスクリームは、25(大正14)年に設立された「北海道製酪販売組合」(後の雪印乳業)に引き継がれ、レモン味をバニラ味に変更し、「ブリックアイスクリーム」の商品名で発売された。その3種類の味は今もフレーバーの定番となっている。

 青く澄んだ夏空の下、北海道を訪れる人は、涼やかな風に吹かれながら食べるアイスクリームを楽しみにしている。道の駅や農産物直売所のアイスクリーム売り場は、どこも大変なにぎわいだ。

 また、札幌ではアイスクリームパフェが大ブームとなっていて、行列ができる店も多い。1961(昭和36)年に創業した雪印パーラーは老舗で、アイスクリームの上に北海道産の新鮮な生クリームのホイップがふんだんにトッピングされていて、酪農大国ならではの豊かな味わいがある。盛り付けの美しさと豪華さとが相まって、インスタ映えするパフェとして国内外の観光客にも好評を博している。(作家・森久美子)  
 
「雪印アイスクリーム」の文字が見えるトラック
「雪印アイスクリーム」の文字が見えるトラック

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