西日本豪雨から1年 先見えぬ日々越えて 復興けん引たくましく

「嫁はんは妻であり同志。一緒やったからここまでこれた」という成高さん(右)と敦子さん(愛媛県大洲市)

 多くの犠牲者を出し、農業にも大きな被害をもたらした西日本豪雨から6日で1年がたつ。復興途上の地域もある中で、再出発を果たした農業者もいる。災害に負けない農業を目指す人。名誉ある賞を狙い、産地の意地と誇りを示そうとする人。復興をけん引しようと奮闘する。
 

原木シイタケ 大臣賞 また挑戦 愛媛県大洲市の成高さん

 
 愛媛県大洲市の原木シイタケ生産者で県椎茸(しいたけ)同志会長の成高王洋さん(66)は、自宅が全壊し、乾燥機や発電機など大きな被害を受けた。当初は先の見えない不安の日々が続いたが、妻の敦子さんと共に生活再建とシイタケ生産に力を注ぎ、同志会主催の乾椎茸品評会で11回連続となる最優秀賞を受賞した。「生涯最悪の年だったが、仲間が助けてくれた。人の情けが身に染みた」と語る。

 肱川が氾濫し自宅が3メートルも浸水。濁流に押され、家が動き始めた時は死を意識した。避難生活では、酒を飲まないと眠れない日々が続いた。

 支えてくれたのは、仲間だった。地元はもちろん全国から励ましや物資が届き、力が湧いた。作業場2階での仮住まいは風呂が無く、トイレは仮設で不便な生活だったが、ほだ場は無事で、例年並みの質の良いシイタケの収穫が始まると気持ちが明るくなった。

 全国品評会で農水大臣賞6回受賞の実績を持つ成高さんは「災害に負けず元気なことを示すために大臣賞を」と意気込んだが、今年は一歩及ばず。「嫁はんを笑わせながら仕事して、大臣賞10回を目指す」と明るく語る。

 6月、全壊した自宅跡地に新居が完成した。シイタケも一段落し、1年ぶりに落ち着いた日々をかみしめている。
 

黄ニラ、 パクチー ハウスで再出発 岡山市の植田さん


 岡山市北区に立ち並ぶ6棟の真新しいハウス。植田輝義さん(44)の新しい挑戦の場だ。選んだ作物は、被災前と同じ黄ニラとパクチー。露地中心だったが、西日本豪雨被害と、その後の台風で壊滅的なダメージを受けた。復興を果たすに当たってハウスを導入し、天候に左右されない強い農業を目指す。「責任を持って農産物を安定的に届けなければいけない」と決意を新たにする。

 
新設したハウスでパクチーの栽培に精を出す植田さん(岡山市で)

 就農20年の節目に向け、2018年7月2日に法人を設立。その4日後、豪雨が襲った。地蔵川が氾濫し、最大2・5メートルまで農地が冠水。3・5ヘクタールのうち2・5ヘクタールが漬かり、3日間抜けなかった。作物は全滅。機械も故障した。追い打ちをかけるように台風が襲った。

 消防団員の植田さんは、昼夜問わず土のうを積む作業や、救助活動にも当たり、農地を見に行く暇もなかった。「当時の記憶があまりない。必死だった」と振り返る。

 黄ニラには、並々ならぬ力を入れてきた。自身を“黄ニラ大使”として売り込み、宣伝に力を入れてきた。被災のショック以上に、販売先の飲食店の経営に影響が出たことに対する申し訳ない気持ちが大きかった。

 「安定して生産できる環境をつくらなければ駄目だ」と決意。台風被害を免れたハウス1棟に加え、出資・融資を受けて約3000万円かけてハウス6棟と機械を整備した。ハウスのパイプ直径は、地域で一般的な20ミリより太い32ミリを選んだ。上部はパイプ材を増やし、耐久性を重視。4月には社員を2人増やした。

 豪雨後、水が引いた農地でパクチーの芽が出た。その種を採取し、大切に取っている。今年は種を増やし、来年は「希望のパクチー」として売り出す。「農業ができることは当たり前ではない。感謝しながらさらに挑戦していきたい」と力を込める。

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