大震災から8年半 復興の芽育む 避難解除で営農再開 福島県浪江町・小野田浩宗さん

ユーカリの生育を確認する小野田さん(中)と花木専門グループのメンバー(福島県浪江町で)

 東日本大震災の発生から11日で8年半。福島県浪江町は、2017年に一部地域で避難指示が解除されたものの、いまだに町の81%が避難区域に指定されている。だが、この町で花木栽培に取り組み、農業再生を目指す農家がいる。小野田浩宗さん(58)。震災によるうつ病と闘いながら歩みを進めてきた。「8年半前に止まった時を動かしたい」と思いを強くする。
 

枝物転換、仲間と共に


 小野田さんは17年の避難指示解除を受け、避難先のいわき市から通い、3ヘクタールでユーカリ、アカシアなど15種類を栽培する。昨年はユーカリ7000本をJA全農福島に出荷した。

 19年3月に花木専門グループを発足。現在メンバーは3人だ。被災前は同町で花きと水稲を栽培する傍ら、写真館でも働いていた。震災が生活を一変させた。

 小野田さんは震災以降、避難所から避難所へ転々とし、行く先ではカメラマンとして食いつないできた。6度の引っ越しなど先行きの見えない不安からうつ病を患った。それでも、17年に営農再開を決意。避難指示一部解除の地域に自宅が入っていた。「先祖が20代に渡って守った土地を自分の代で終わりにしたくない。もう一度農業をして、青春を取り戻したい」

 以降、自宅を取り壊し、畑に変えた。スーパーなどがないため、通いで世話をすることができる作物を探し、枝物栽培に目を付けた。枝物は面積当たりの販売単価は花きに比べて低いが、荒れている畑でも栽培できる。

 耕作放棄地対策で花木を産地化する茨城県JA常陸大宮地区枝物部会を視察した。部会を立ち上げた石川幸太郎さん(70)は「熱心でまじめな男。復興のモデルとして地域をけん引してほしい」と期待する。

 小野田さんのことを聞き付けて花木専門グループに加入した安倍政信さん(69)は、震災当時浪江町におり津波で自宅を失った。「仕事も家も、あの日に全部失ったが、成長するユーカリを通して、自分も生きていると実感する」と涙ぐむ。

 事故から8年半たっても、同町はいまだ、夜になっても街灯はつかない。商店街のシャッターは閉まったまま。民家はブルーシートや柵で囲われ、イノシシがわが物顔で歩く。「町も、心の復興もまだまだ。せめて避難者が帰ってきたいと思える場所にできるよう、仲間と盛り上げていきたい」と小野田さん。挑戦はこれからも続く。

<メモ> 福島県浪江町

 東京電力福島第1原子力発電所事故の影響を受けた浪江町の震災時の人口は2万1434人だったが、帰還者は1095人(7月末時点)。医療や商業施設がないことが懸念材料となり、避難先に定住する人が多い。10年の農業経営体は1037戸だったが、19年8月時点では14戸。同町の他、双葉町など県内の6市町村がまだ帰宅困難区域に指定され、立ち入り禁止になっており、解除のめどは立っていない。

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