[あんぐる] どっぷりはまった 島原城秋のレンコン掘り大会(長崎県島原市)
2019年11月18日

城の堀に自生するレンコンを採る「島原城秋のレンコン掘り大会」の参加者。1本の重さを競った(長崎県島原市で)
この秋も消費者が農産物の実りを楽しむ催しが各地で開かれた。長崎県島原市では、島原城を囲む堀でレンコンを収穫し重さを競う名物イベントに、県内外から約130人が集合。収穫合戦を繰り広げた。
行事の名前は「島原城秋のレンコン掘り大会」。島原城の間近にある森岳商店街が毎年催し、15回目の今年は10月14日に行った。
ルールは単純明快。参加者は城を囲む外周約4キロの堀に入り、自生するレンコンを手で収穫する。一番重いものを採った人が勝ちだ。
午前10時、開始の合図とともにゴーグルや雨具に身を包んだ参加者が一斉に堀に入り、首まで漬かってレンコンを探した。しばらくすると、あちこちから「あった!」「採れた!」と歓声が起こった。
堀で自然に育ったレンコンは一般に流通しているものより細いが、同じように料理して食べられる。長崎市の会社員、安永まゆみさん(55)は「足の感覚で探すのが楽しかった。たくさん採れたのでレンコンパーティーをしたい」と楽しんでいた。
島原城は1620年代に築かれたと伝わり、現在は公園として整備されている。堀は昔のまま。ハスは、1950年代まで農家がここでレンコンを栽培していた名残だという。
この逸話を地域おこしに生かそうと考えた同商店街が2005年、レンコン掘り大会を始めた。初回は30人ほどだった参加者は口コミで増え、今では地域の名物行事の一つになった。
今回、重さ2・6キロのレンコンを採って優勝した島原市の看護師、北村寿郎さん(41)はトロフィーやメダルを受け取り「7回目の参加で優勝できた」と喜んでいた。
商店街会長の松坂昌應さん(65)は「堀には、130人がかりでも採り切れないほどレンコンがある。来年も大勢の挑戦を待っています」と笑顔を見せた。(富永健太郎)
「あんぐる」の写真(全4枚)は日本農業新聞の紙面とデータベースでご覧になれます
行事の名前は「島原城秋のレンコン掘り大会」。島原城の間近にある森岳商店街が毎年催し、15回目の今年は10月14日に行った。
ルールは単純明快。参加者は城を囲む外周約4キロの堀に入り、自生するレンコンを手で収穫する。一番重いものを採った人が勝ちだ。
午前10時、開始の合図とともにゴーグルや雨具に身を包んだ参加者が一斉に堀に入り、首まで漬かってレンコンを探した。しばらくすると、あちこちから「あった!」「採れた!」と歓声が起こった。
堀で自然に育ったレンコンは一般に流通しているものより細いが、同じように料理して食べられる。長崎市の会社員、安永まゆみさん(55)は「足の感覚で探すのが楽しかった。たくさん採れたのでレンコンパーティーをしたい」と楽しんでいた。

島原城の石垣と堀は昔のままだという
島原城は1620年代に築かれたと伝わり、現在は公園として整備されている。堀は昔のまま。ハスは、1950年代まで農家がここでレンコンを栽培していた名残だという。
この逸話を地域おこしに生かそうと考えた同商店街が2005年、レンコン掘り大会を始めた。初回は30人ほどだった参加者は口コミで増え、今では地域の名物行事の一つになった。
今回、重さ2・6キロのレンコンを採って優勝した島原市の看護師、北村寿郎さん(41)はトロフィーやメダルを受け取り「7回目の参加で優勝できた」と喜んでいた。
商店街会長の松坂昌應さん(65)は「堀には、130人がかりでも採り切れないほどレンコンがある。来年も大勢の挑戦を待っています」と笑顔を見せた。(富永健太郎)
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集落営農の持続性 広域連携と再編が鍵に
JA全中が開いた全国集落営農サミットは、これまでで最高の140人が参加した。存続の岐路に立つ集落営農組織の危機感を反映したものだろう。同サミットでの先進事例に学び、持続可能な地域農業確立へ広域連携と組織再編を急ぐべきだ。
第4回となる同サミットのキーワードは「広域化」「連携」「再編」の三つだ。総活役を務めた広島大学大学院の小林元助教は「生産基盤が大きく揺らいでいる。集落営農はあくまで手段。持続可能な地域に向け、今こそ知恵を絞る時だ」と強調する。JAグループは、今春の第28回JA全国大会で「集落営農組織間の広域連携、再編などによる規模拡大を支援する」と決議した。背景には、高齢化が進む中で地域農業の地盤沈下に歯止めがかからない実態がある。集落営農は「地域丸ごと」で農業を支える仕組みだ。だが、今の経営単位では存続が難しくなっている。
同サミットを肱岡弘典全中常務は「高齢化が進む中で集落営農組織は構造的課題を抱えている。米価変動リスクも高まる中で、情報交換を通じ今後の組織の在り方を考える大きな契機だ」と位置付ける。関係者に改めて衝撃を与えたのは、日本農業新聞の1面連載「ゆらぐ基 危機のシグナル」の10月4日付「集落営農の解散」だ。採算が悪化し集落営農組織の解散が増えている。今年2月現在の集落営農数は約1万5000で、前年より1%減った。組織が倒れたら、引き受けた農地が耕作放棄地になりかねない。
同サミットで発表された事例は、広域化、組織合併、あるいは地元JAと連携し別組織で試練に対応した。1集落単位では採算が取れず、コスト低減にも限界がある。最も深刻なのは、高齢化が進み、組織のリーダーやオペレーターの人材不足だ。
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中山間地の岐阜県白川町にある農事組合法人ファーム佐見は3組織を合併した全国でも珍しい事例だ。組合員の意思統一や合併手続きでの曲折などは、再編による今後の新組織立ち上げの大きな参考になる。
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2019年12月13日

イノシシ捕獲に手引 環境、農水省 ウイルス拡散を防止
環境省と農水省は、豚コレラ(CSF)、アフリカ豚コレラ(ASF)対策として野生イノシシの捕獲に関する防疫措置の手引を作成した。国がイノシシ捕獲の手引を作成するのは初めて。野生イノシシの捕獲を強化する必要がある一方で、捕獲でウイルス拡散の恐れがあることから、狩猟者に防疫の手法を徹底する。
手引では、これまで農水省がイノシシ捕獲に関して通知していた文言や特定家畜伝染病防疫指針などを踏まえ、捕獲作業の事前準備から帰宅後の対応までを写真と共に掲載した。
現地に到着し、わなの設置や見回りをする前に手袋や長靴を装着するなど、作業ごとのポイントを解説。手袋は二重に装着し、内側のゴム手袋は洋服の袖口を覆うように着用するなど詳細に注意を呼び掛けた。
防護服や靴底の泥落としに使うブラシなどの持ち物チェックリストも併記している。環境省は「イノシシを捕獲する中で、豚コレラが拡大してしまうことを防ぐため、あらゆる捕獲に関する防疫手法をまとめた。手引を参考に、各地域で必要な防疫対策をしっかり行ってほしい」(野生生物課)と呼び掛ける。
手引は、アフリカ豚コレラが発生した際にも活用できる。
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2019年12月13日

無洗米「SAKURA RICE」世界に 業務向けで高評価 全農子会社
農畜産物を輸出するJA全農の子会社、JA全農インターナショナルは、業務需要に開発したブレンドの無洗米「SAKURA RICE」(サクラライス)の輸出に乗り出した。世界で日本食の注目が高まる中、業務用を開拓、輸出拡大を狙う。日本産や無洗米による調理作業の効率化が売り。日本食店が多くあるシンガポールで今年から、複数のチェーン店が同ブランドの扱いを始め、手応えを得ている。
これまで同社の輸出米は家庭用主体だったが、業務需要に応えるブランドとして「サクラライス」を企画した。同社によると①国産のブランド価値②品質③無洗米による作業性の効率化──を売りに営業している。品質が一定化し、多くの用途に使えるようにブレンド米とした。東南アジア数カ国で販売している。
シンガポールの海鮮丼チェーン店「哲平食堂」では、現地法人の全農インターナショナルアジアの提案を受け、全7店舗で10月からサクラライスを使う。量は毎月約1トン。山下哲平オーナーシェフは「粒がしっかりして時間がたっても冷えてもおいしい」と強調する。山下シェフが展開するうなぎの専門店など、他店舗でも今後使っていく予定だ。
哲平食堂のフランチャイズを手掛けるYCPダイニングシンガポールのショーン・タン代表は「在住日本人も当地の客も満足している。無洗米は店員の作業が楽で、現地で手に入れにくいので助かる」と評価する。
シンガポールでは哲平食堂の他、日本式の焼き肉レストラン「牛角」9店舗でも、サクラライスの使用が始まった。
全農インターナショナルは「米の輸出を増やすには業務需要を取り込むことが有効。全農のルートを生かし、青果など他品目とセットで販売拡大も期待できる」とサクラライスを起爆剤に、輸出拡大につなげる考えだ。
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2019年12月12日

基盤強化プログラム 生産拡大へ数値目標
政府は10日、安倍晋三首相をトップとする農林水産業・地域の活力創造本部の会合を開き、輸出向けの産地形成や担い手不足などに対応する「農業生産基盤強化プログラム」を決定した。輸出拡大をにらんだ和牛生産の倍増や水田農業の高収益作物産地500カ所創設などの新たな数値目標を設定。2019年度補正予算や20年度予算に達成に向けた経費を計上するが、万全の財源が確保できるかが問われる。
和牛倍増 加工野菜の需要奪還
安倍首相は会合で「安心で安全な日本の農林水産物が世界に羽ばたくチャンスは今後ますます広がっていく」と強調。輸出拡大や先端技術を活用したスマート農業の推進には「しっかりとした生産基盤が欠かせない」との認識を示した。
江藤拓農相は、同日の閣議後会見で「最重要課題の生産基盤強化を目的に取りまとめた」と説明。現在検討している補正予算を含め「切れ目のない対策を講じていく」との考えを示した。
プログラムは11本の柱で構成。日米貿易協定による牛肉輸出枠の拡大などを念頭に「さらなる輸出拡大」を真っ先に掲げた。来年4月に農水省に輸出の司令塔組織を設置し、輸出拡大に向けた新戦略を定める。
和牛生産は、米国や中国への輸出拡大を見込み18年の14万9000トンから35年に30万トンまで増やす目標を設定。具体策として繁殖雌牛の増頭奨励金や和牛受精卵の利用促進などを打ち出した。
水田農業対策では、輸入品が多い加工・業務用野菜の国産化や輸出向けの果樹栽培を念頭に、主食用米から高収益作物への転換を促し、25年度までに500産地の創出を目指す。高収益作物を導入する産地に水田の基盤整備や機械・施設の導入、販路開拓などを一体的に支援する方針だ。
「中山間地域や中小・家族経営も含め、幅広く生産基盤の強化を図る」とも明記。24年度までに地域資源を活用して中山間地域の所得向上などに取り組む250地区を創出することも盛り込んだ。
他に、加工・業務用野菜の出荷量(直接取引分、18年度は98万トン)を30年度までに145万トンに拡大することや、25年までに担い手のほぼ全てがデータを活用した農業を実践することなども目標に据えた。
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2019年12月11日

奥伊勢えごま油 三重・JA多気郡
三重県のJA多気郡が販売するえごま油。大台町産のエゴマの実を、熱を加えず時間をかける生搾りで搾油した。色が濃く、純度が高いのが特徴だ。JA奥伊勢えごま倶楽部(くらぶ)が種まきから収穫、洗浄、選別まで手作業で行う。
エゴマには体内では合成できない必須脂肪酸オメガ3(αリノレン酸)が含まれ、「食べるアブラ」として注目されている。サラッとした口当たり。パンに付けたり、納豆やヨーグルトに掛けたり、幅広く利用できる。
1瓶(95グラム)2500円。町内のJA購買店舗や直売所スマイル明和、スマイル多気で販売する。問い合わせはスマイル明和、(電)0596(55)8484またはスマイル多気、(電)0598(38)7070。
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2019年12月12日
あんぐるの新着記事

[あんぐる] 作る・自然の恵み 創る・自分の芸術 高須ハウス(茨城県取手市)
茨城県取手市に、芸術家が創作活動と農作業に取り組むアトリエ「高須ハウス」がある。かつてJAだった建物で作品制作、農家から借りた畑で作物と“半農半芸”の姿勢で活動に励み、住民が集まる芸術を生かした町づくりの拠点にもなっている。
この施設は、1999年までJA茨城みなみ高須支所だった2階建ての建物を改修して2013年2月にオープンした。広さ約120平方メートルの1階をアトリエなどに使っている。受付カウンターがあった一角など、あちこちにJAだったことが分かる跡があり、敷地にはブルーベリーの木も植えられている。
主な農作業の場は、近くにある広さがテニスコートほどの畑だ。素材として和綿を作ろうと考えた芸術家が15年に耕作放棄地を借り、その後も、同施設を使う芸術家が耕作を続けている。現在はシソやネギなどを植え、芸術家が自分で食べる他、市内にある東京芸術大学取手キャンパスの食堂にも提供している。
今までに壁画家や映像作家ら、11人と2組が、1、2カ月間利用した。芸術家は作り上げた作品を地域住民らに披露する展覧会を開いた後、当地を離れるのが恒例になっている。
この施設は1999年に発足した市と同大学、市民で展開する「取手アートプロジェクト(TAP)」の取り組みの一つ。NPO法人取手アートプロジェクトオフィスが運営し、芸術家が先生役となった糸紡ぎ体験など、市民が芸術に触れる機会を増やす場にもなっている。
畑で野菜の手入れをする秋良さん。農作業から作品に生かすアイデアを得たという(写真左)。高須ハウスの外観。窓が多く開放的で、制作の様子を見に来る地域住民も多い
鑑賞者を巻き込む劇場型の作品で知られる現代芸術家の秋良美有さん(25)は今年10月、台風19号で壊れた藤棚の木材を舞台芸術に活用する構想をここで練り、畑仕事にも打ち込んだ。
秋良さんは「畑は心に余裕がないと雑草だらけになるなど、自分の今を映す鏡のようで面白い。創作と私流の農業を両立させたい」と話す。(釜江紗英)
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2019年12月16日

[あんぐる] 天空の特等席 田んぼに泊まろう 棚田キャンプ(長野県上田市)
農閑期の棚田を期日限定のキャンプ場とするユニークな取り組み「棚田キャンプ」が、長野県上田市の「稲倉の棚田」で開かれている。5回目となる11月9、10日の開催には約150人が集まり、秋の絶景を満喫した。
この棚田は北アルプスを望む標高640~900メートルの急斜面にあり、約780枚、合わせて30ヘクタールほどの水田が連なる。
「棚田キャンプ」は春と秋の稲作に影響しない時期に開かれる。今回は約20枚の棚田に設けた、一つ60平方メートルの区画それぞれに、アウトドア愛好家がテントを張った。
ハイライトは夜だ。日が沈むと、明かりがついた約60張りのテントが暗い棚田に浮かび、遠くに市街の明かりが輝いた。
参加は4度目で、自分で田植えや稲刈りをする「棚田米オーナー」でもある東京都荒川区の会社員、石井由紀さん(48)は「冷えて風も強いが景色がきれい。都内からのアクセスも良い」と魅力を話した。
参加者に配られた新米のコシヒカリ「稲倉の棚田米」。「おいしい」と評判だ
江戸時代に開かれたと伝わる「稲倉の棚田」は大きな農機を使えず、一時は耕作放棄が目立った。だが1999年の「日本の棚田百選」入りを契機に、地元有志が荒れた水田の再生を始めた。
2003年には、住民やJA信州うえだ、市などが棚田保全を目指した組織を発足。15年からは「稲倉の棚田保全委員会」の名称でオーナー制度などに取り組んでいる。
「棚田キャンプ」は、各地の棚田保全を支援するNPO法人棚田ネットワークの玉崎修平さん(44)の案を、同委員会メンバーらの任意団体「棚田フューチャーズ」が形にした。18年春に始めるとアウトドア情報誌で紹介されるなど注目を集め、毎回満員になっている。参加後に棚田米オーナーになる人も多い。
次回は来年春の予定。同委員会の事務局を務める石井史郎さん(57)は「これからも活用を含めた棚田の新しい在り方を探りたい」と話す。(釜江紗英)
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2019年12月02日

[あんぐる] どっぷりはまった 島原城秋のレンコン掘り大会(長崎県島原市)
この秋も消費者が農産物の実りを楽しむ催しが各地で開かれた。長崎県島原市では、島原城を囲む堀でレンコンを収穫し重さを競う名物イベントに、県内外から約130人が集合。収穫合戦を繰り広げた。
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午前10時、開始の合図とともにゴーグルや雨具に身を包んだ参加者が一斉に堀に入り、首まで漬かってレンコンを探した。しばらくすると、あちこちから「あった!」「採れた!」と歓声が起こった。
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2019年11月18日

[あんぐる] 光の食卓夢心地 夜の果樹園(福島市)
日が暮れた後の果樹園を新たな観光資源に生かす挑戦が福島市で進んでいる。実ったリンゴや桃の木を幻想的にライトアップした園地で、果実狩りや県産食材のディナーを楽しむもので、その名も「夜の果樹園」。来年の本格実施を目指す。
市内のまるせい果樹園で10月23日、リンゴの実りに合わせた「夜の果樹園」が開かれた。
午後6時ごろ、復興庁が催した福島県の食などを体感するツアーの参加者およそ30人が到着。カウントダウンとともに約500個の電飾が一斉にともり、暗闇に収穫期を迎えたリンゴ「陽光」の実が浮かび上がると歓声が上がった。
参加者は、この光景をインターネット交流サイト(SNS)に載せようと盛んに写真を撮り、昼間とは一味違う夜のリンゴを満喫した。園主の佐藤清一さん(49)の手ほどきを受けてリンゴ狩りを楽しみ、市内の人気店のシェフが腕を振るった福島牛のステーキや、同市産の地酒「金水晶」などを味わった。
リンゴの木に電飾を取り付ける作業は、収穫間際の実に注意して慎重に行う
「夜の果樹園」は、桃などの大産地である同市の木幡浩市長が県内で撮られた夜の桃園の写真を見て観光資源化を思い付いたことを発端に、市内の有志による実行委員会が始めた。
2018年9月に同園で初めて行って以来、プレオープンと位置付けて夏は桃、秋はリンゴの園地で不定期に開く。20年からの本格実施に向けてノウハウを蓄えてきた。
来年からはサクランボ畑でも開く予定で、夜の行楽として定着を目指す。特に東京オリンピック・パラリンピックで来日する外国人観光客に、福島県の食や農業をアピールする考えだ。
実行委員で、SNSによる自治体などの情報発信を手助けする会社、SMLで代表取締役を務める熊坂仁美さん(59)は「農地はエンターテインメントの場になる可能性を秘める。あまり訪れる機会がない人にも農業の魅力を伝えたい」と話す。(釜江紗英)
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2019年11月04日

[あんぐる] 静かな人気「農業ミニチュア」 郷愁、憧れ…胸キュン
農業を題材にしたミニチュアが静かな人気を集めている。“萌(も)え系”フィギュアと農機を組み合わせた斬新なプラモデルは模型ファンの心をつかみ、農作業の紙製ミニチュアは部屋を飾る小物として女性が注目する。さまざまな模型を集めた。(富永健太郎)
アニメ風の農業女子フィギュアが操るのは、ホンダが1966年に発売した耕運機「F90」。東京都千代田区の玩具メーカーのマックスファクトリーが、2018年に売り出したプラモデルだ。大きさは実物の20分の1で、やかんや水筒などの小道具も添えた。開発担当の高久裕輝さん(37)は「耕運機がSFに登場する機械に見えた。農業は未開拓の分野だが、売れ行きはいい」と手応えをつかむ。
茨城県守谷市の巧玩具設計者・河邊明さん(69)は、趣味で半世紀前の米国社製トラクター「フォード871」を木で作り上げた。コンピューターで描いた図面を元に、板から工作機械で部品を切り出した。大きさは実物の12分の1。さまざまな木製玩具を手掛ける河邊さんは「古いトラクターの無骨なデザインに引かれた」という。
東京都世田谷区のテラダモケイが販売する、農作業中の農家を表現した紙製のミニチュアが女性に人気だ。元は建築模型に添える部品だったが、農作業を再現したものが「懐かしさを感じる」と注目された。切り離して折るだけで飾れる。同社の足立睦さん(39)は「20代から40代の女性が、部屋に飾って楽しんでいる」と話す。
農作業中の農家を表現した紙製のミニチュア
埼玉県蕨市の模型メーカー、マイクロエースが販売する「箱庭シリーズ『農家』」は、かやぶき民家や水田を再現したジオラマ風のプラモデル。実物の100分の1サイズで、屋根はヤシの繊維で表現。完成すると、井戸や荷車などがある農家の庭先ができる。水田の部分で栽培できるチモシーなどの種も付属する。同じシリーズに牧場などもある。同社は「作って育てて楽しんで」と勧める。
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2019年10月21日

[あんぐる] 豊穣の舞 脈々と 朝日豊年太鼓踊(滋賀県米原市)
滋賀県米原市朝日地区では、住民が毎年10月上旬、五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する「朝日豊年太鼓踊(おどり)」を八幡神社に奉納する。色鮮やかな衣装を身にまとい、竹のばちで太鼓を打ち鳴らしながら、掛け声に合わせて勇ましく舞う。
今年の開催日となった6日の午後1時ごろ、背中に金色の飾りを付け、肩から腕に着る赤い「緋(ひ)小手」やすげがさ、縦じまのはかまで着飾った住民合わせて約100人の行列が出発。腹に抱えた太鼓や鉦(しょう)、笛を鳴らしながら、伊吹山を望む住宅地や農道を八幡神社まで練り歩いた。
参加者には子どもが目立った。「太鼓打ち」として参加した吉田絢寧さん(7)は「とっても緊張する。上手にたたけるように頑張る」と本番に向けて意気込んでいた。
神社に着いた一行は、境内で輪になり、体を翻しながら腕を大きく振り上げて太鼓をたたき、ばちを打ち合わせて踊った。踊り手の列の間を、子どもが舞いながら通り抜ける見せ場もあった。終盤には2列になって膝を突いて踊る「綾(あや)の踊り」を披露。最後は再び輪になって踊った。
ばちを勇ましく打ち合わせながら踊る「太鼓打ち」
この踊りは約1300年前、伊吹山の山裾に位置する大原郷を開墾した際に、雨乞いを目的に始まったと伝わる。かつては地域のあちこちで見られたが、農業用水が整って雨乞いが廃れると、多くは消えた。
一方、朝日地区では、自然への感謝と五穀豊穣の祈願に姿を変えて現在まで受け継がれてきた。現存する太鼓踊りの中でも勇壮さが特徴で、1974年に国が選択無形民俗文化財に指定。2015年認定の日本遺産「琵琶湖とその水辺景観―祈りと暮らしの水遺産」の構成文化財にも名を連ねる。
保存会の馬渕英幸会長は「地域の自慢で、郷土愛を育むきっかけになっている。受け継いだ踊りを絶やさぬよう、若い人にも参加してほしい」と語る。(釜江紗英)
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2019年10月14日

[あんぐる] だんだん…秋衣装 実りの「くい掛け」 大蕨の棚田 (山形県山辺町)
山形県山辺町の山間部にある「大蕨(おおわらび)の棚田」に、この秋も稲を干す「くい掛け」がずらりと並んだ。その数は約1000本。1本のくいを軸に稲束を積み上げる地域伝統の干し方と棚田の独特な景観を地元農家らが守っている。
棚田ができた時期は不明だが、江戸時代初期に当たる寛永13(1636)年の領地目録などに記録が残る。高低差60メートルの斜面に26枚の水田が広がる。総面積3・4ヘクタールのうち、現在2・5ヘクタールを12戸の農家が耕作し、県が育成した品種「里のゆき」を作っている。
くい掛けに使う棒は杉の木で、長さは約2メートル。これを、あぜに穴を掘って約2メートル間隔で立て、大人の膝と腰の高さに短い横棒を結び付けて軸にする。稲は両手でつかめるくらいの束にして、初めに横棒に掛け、続けて方向を変えながら、最終的に60束ほどを積み上げる。
くいに稲を干す農家。稲束を次々に掛ける
農家らが協力し、10日間かけて大量のくい掛けを作り、10日置きに掛け替えながら約1カ月干す。稲作農家の武田二男さん(71)は「稲穂のまま乾かすので、おいしくなる。今年は天気に恵まれ、米の出来も良い」と作業に励んでいた。
大蕨の棚田は、県内に三つある「日本の棚田百選」認定地区の一つ。1999年の認定時には全体が使われていたが、2011年には高齢化や担い手不足が響き、全体の3割に相当する1ヘクタールほどしか使われなくなった。
この状況に対し、「景観を守り、くい掛けを次世代に継承しよう」と地元農家が奮起し、同年「中地区有志の会」を結成。くい掛け体験や、サッカーJリーグ・モンテディオ山形の選手と農作業をするイベントを催し、ボランティアとも協力して棚田の再生を進めている。
同会とボランティア組織「グループ農夫の会」の発起人で、元JA全農山形職員の稲村和之さん(66)は「多くの人たちの力でここまできた。くい掛けが棚田の頂上まで並ぶ景色を取り戻したい」と話す。(富永健太郎)
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2019年10月07日

[あんぐる] 酢っかりとりこ ミツカンミュージアム(愛知県半田市)
酢の産地として知られる愛知県半田市で、産地の歴史や製法を学べる「ミツカンミュージアム」が人気を集めている。体験型の多彩な展示物で思う存分“酢漬け”になれる博物館として評判を呼んでいる。
同館は市内に本社を構える酢の老舗メーカー、ミツカンが設けた。五つの展示室をツアー形式で巡ると、酢の知識を深めることができる。
異彩を放つのが幅約2メートル、長さ約8メートルのテーブルに並ぶ大量のすしの模型だ。マグロのにぎりずしやイクラの軍艦巻きなど1100貫が整然と並び、来館者の人気を集める。現在のにぎりずしの原型で、江戸で人気があった「早ずし」にも、同地で造られた酢が使われたという逸話にちなんだ展示だ。
この他、仮名の「す」の文字の一部になりきるコーナーや、オリジナルラベルのポン酢作りなど、ユニークな体験がめじろ押しだ。
醸造技術や歴史を紹介する一角では、江戸時代に実際に使っていた仕込みに使う直径約1・8メートルの木おけや、江戸まで酢を運んだ全長約20メートルの「弁才船(べざいせん)」を実物大で再現した物もある。同県東浦町から訪れた会社員、杉浦暁子さん(39)は「この船で酢が運ばれていたかと思うと感慨深い」と感心していた。
(写真左)江戸時代に作られた仕込み用のおけを見物する来館者(同・右)仮名の「す」の文字になりきる来館者
同市がある知多半島は古くから酒などの醸造が盛んだ。同社も造り酒屋がルーツで、江戸時代の1804年に創業者が酒造りの際に出る酒かすを活用した「粕酢(かすず)」を考案。米との相性の良さからすし酢として評判になり、江戸まで送るようになった歴史がある。
同館は酢の歴史や魅力の発信を目的に1986年に開館。2015年に展示内容を一新した。年間およそ16万人が訪れ、市内の観光の目玉になっている。榊原健館長は「酢がテーマの博物館は全国でここだけ。台所では脇役の酢もここでは主役。楽しみながら親しんでほしい」と話す。(富永健太郎)
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2019年09月30日

[あんぐる] 跳べ 世界へ ハンドボール選手 三重・JA鈴鹿職員の河嶋英里さん
三重県のJA鈴鹿で働く河嶋英里さん(27)は、女子ハンドボールの国内トップリーグ「日本ハンドボールリーグ」に属する地元チーム選手の顔も持つ。日本代表に選ばれた実績もあり、実力は折り紙付き。JAの後押しを受け、来年の東京五輪出場を目指して日夜トレーニングに励んでいる。
神戸市出身の河嶋さんは高校、大学とハンドボールに打ち込み、2015年に鈴鹿市が本拠地のクラブチーム「三重バイオレットアイリス」に入団。チームスポンサーのJAで働き始めた。営農部営農指導課が持ち場で、青果物関係の事務などを担っている。
現在は来年1月のリーグ開幕に向け、平日はほぼ毎日練習に励む。仕事後の夕方から3時間ほどチームで練習。JAの理解を得て、週3日の午前中は筋力トレーニングなどに費やす。営農部の練木昌弘部長は「練習の疲れも見せず、大切な仕事を任せられる。もっと活躍できるよう後押ししたい」とエールを送る。
(写真左)JA鈴鹿では、営農指導課で働く。受付に席を置き、事務作業を担う(三重県鈴鹿市で)(同・右)「球技の格闘技」と例えられるハンドボールは激しい接触プレーも見どころ。相手チームの選手とぶつかる河嶋さん(名古屋市で)
「仕事中は猫をかぶっています」とおどける河嶋さんは、コートに入ると一変する。七つのポジションのうち、速攻で相手を翻弄(ほんろう)するレフトウイングを担当。持ち前の判断力で、難しい角度からでも鋭いシュートを放つ。チームの梶原晃監督は「賢くて器用な選手。思考が柔軟で、チームが行き詰まったときも打開してくれる」と信頼を置く。
「リーグ優勝できたら、インタビューでJA特産の白ネギをアピールしたい」と話す河嶋さん。その視線の先には、44年ぶりに女子日本代表「おりひめJAPAN」が出場する東京五輪もある。昨年までは代表入りし、メンバーから漏れた今も代表チームのサポート機関に食事の内容などを報告して、栄養管理を受けている。
河嶋さんは「現役の間に大舞台があるのはうれしい。目の前の課題を地道に克服し、最後まで代表入りを狙いたい」と力を込める。(染谷臨太郎)
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2019年09月16日

[あんぐる] 里山の営み 美の宝庫 中之条ビエンナーレ(群馬県中之条町)
群馬県中之条町の山深い農村が2年に1度、現代美術の芸術祭「中之条ビエンナーレ」で活気づく。7回目の今年は古民家や農業用倉庫など50カ所が作品の展示空間に姿を変え、多くの見物客が足を運んでいる。
地元住民らでつくる実行委員会や町などが主催し、芸術での町おこしを目的に2007年から隔年で開いている。今年は8月24日に開幕した。
会期中、立体造形や絵画などさまざまな作品が集落や温泉街、公園など、あちこちに現れる。英国やポーランド、タイなど海外の作家も含む150組が町内に滞在して手掛けたものだ。地域の歴史を踏まえた作品が多い。
見物客はパンフレットの地図を頼りに作品を探し、現代美術と農村風景が醸し出す独特の雰囲気を楽しむ。
森にある巨大な自然石を心臓に見立てた作品「赭(まそほ)の鼓動」
開催のきっかけは、町内の廃校に設けられた「伊参共同アトリエ」で活動する芸術家が「地元の人に作品を見てもらいたい」と発想し、町に提案したことだった。
総合ディレクターを務めるデザイナーの山重徹夫さん(44)は「野菜を差し入れしてくれるなど、地域の皆さんが親切で温かい」と話し、「何百年もたつ建物や土地の雰囲気が刺激になり、都会では作れない作品が生まれる」と、この町が創作活動に向く理由を説く。
地域住民の支えもあり、初回に延べ4万8000人だった来場者は、17年に10倍近い同46万人に増加。町の一大イベントに育った。
ボランティアで受付を手伝う地元農家、柏原裕行さん(72)は「都会から来た人との交流が楽しみ。ビエンナーレで町全体が活気づいた」と感じている。開催は9月23日まで。(富永健太郎)
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2019年09月02日