仁支川峰子さん(歌手) 食べ物で“浮気”はしない

仁支川峰子さん

 家は福岡県田川郡の山の中の2軒家の1軒。貧乏でしたねえ。自給自足に近い感じ。家の前の畑で、野菜という野菜を作っていました。野草とか自然の植物も採って来て食べていました。

 お隣さん……といっても100メートルは離れてるんですけど、そこは母の兄の家で、田んぼをやってました。お米はそこからもらうか買うかしていましたね。

 肉は、鶏が中心で豚が少々。牛は食べた記憶がほとんどありません。いえ、鶏よりも鯨の方を食べたかな。刺し身ではなく、塩で焼いて食べました。
 

野菜は自給自足


 母は仕事をしていましたが、家事もよくやっていました。日々の料理はもちろん、漬物、梅干し、ラッキョウ……。ラッキョウ漬けは自分の畑でできたものを根を取って大きなたるで作っていました。

 うちでは「働かざるもの、食うべからず」でしたから、私も家事を手伝わされました。五右衛門風呂に水を入れる役でしたし、台所で働く母の姿を見たり手伝ったりして、料理を覚えました。

 母の料理で一番好きだったのは、ホルモン焼きです。みそ、ニンニク、ショウガ、酒などでたれを作って、前の晩から漬け込んでおくんです。このみそたれの味がすごく良くて、次の日にキャベツやニラと焼くとおいしくておいしくて。ホルモンを食べ終わってから、だしの出たたれにご飯を入れて焼いて食べるのも好きでした。

 それとツクシ料理。春になるとツクシを採ってきて、はかまを取って塩でゆでて、モヤシとニラと一緒に卵とじにするんです。みりんと麺つゆをちょっと入れて。これが大好きで、今でも私は、九州の姉が春にツクシを送ってくれると、卵とじを作ります。

 母はよくポテトサラダを作ってくれましたが、いつも缶詰のミカンを散りばめていました。それに1皿ずつ必ずチェリーを載せていて。でも私はフルーツがあんまり好きじゃないので、自分が作るときには絶対に載せません。
 

ナポリタンに恋


 私は歌手になるため、14歳で東京に出てきました。

 最初の年は、ナポリタンを毎日食べました。歌のレッスンに通うのに錦糸町の駅を使ったんですけど、駅前の喫茶店にナポリタンがあったんです。実家の方には喫茶店はありませんでしたから、ナポリタンは憧れの食べ物だったんですよ。それでうれしくて、1年365日、欠かさずに食べました。

 それで2年目に飽きちゃったんですね。もういらない、と。次にナポリタンを食べたのは、38歳くらいだったでしょうか。25年近くご無沙汰しました。

 私、食べ物で浮気をしないんです。ナポリタンと決めたらずっとナポリタン。同じように、気に入った店が見つかったら、その店にずっと通い続けます。この料理はこの店、って感じで決めて、30年以上も通い続ける店がいくつかあります。

 好きな食べ物はたくさんありますが、最期の晩さんで食べたいのは、卵掛けご飯。それに古漬けではない青い高菜漬けがあれば。

 私、卵料理が大好きなんですよ。焼きそばやハンバーグの上に目玉焼きを載っけたりしますし、カレーに黄身を入れて食べます。

 そういえば子どもの頃、卵は貴重なものでした。1人で留守番をしていた時に目玉焼きを作って食べたら、母に怒られました。「あんた一人で食べるもんじゃない。家族みんなで食べるもんだ」と。これも懐かしい思い出です。(聞き手・写真=菊地武顕)

 にしかわ・みねこ 1958年、福岡県生まれ。73年に全日本歌謡コンテストで優勝し、翌年「あなたにあげる」でデビュー。レコード大賞新人賞などに輝く。女優としても映画「陽暉楼」「吉原炎上」「肉体の門」などの文芸作で活躍。郷里の「赤村ふるさと応援大使」も務める。「昭和の女/一歩坂」が好評発売中。
 

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