吉川英梨さん(作家) 作るたび思い出す“先生”

吉川英梨さん

 料理は苦手だし嫌いなんです。子どもが2人いるのでやらないといけないんですけど、その時間の苦痛たるや。

 母は専業主婦で、どんなに疲れている時でも料理をしっかり作ってくれました。私は、父の方になりたいと思っていて。

 母は料理を覚えろと言いませんでしたし、私も教えてほしいと言いませんでした。
 

介護職で学んだ


 私は27歳から30歳くらいまで、介護の仕事をしていました。料理は全部、その頃に担当したお客さまから教えてもらったんですよ。

 介護には身体介護と生活援助の2種類があります。私は若くて体力があったので身体介護をやっていましたが、どうしても生活援助の仕事も入ってきちゃうんです。「私、料理ができないんです。ほんとにリンゴの皮をむくくらいだけですけど」と訴えたんですが、上司は「大丈夫。皆さん、若い人に教えるのが大好きだから。逆になんでもテキパキやれる人は嫌われるんだよ。ヘルパーのやり方は嫌だとか、味が違う、と。できない子の方が好まれるんだよ」と。

 実際、お客さまの家に行って「今日から担当の吉川です。リンゴの皮しかむけないんですけど」と言うと、「あなた、情けないわね」と言われるんですけど、本当に一からきちんと教えてくれるんです。根菜は水から煮る、青物は沸騰してから、と。

 それを繰り返すことで、料理を一つ一つ覚えていきました。面白かったのは、言葉の違い。「あそこの棚のうどん粉、取ってきて」「うどん粉ってなんですか?」とか「お煮締め作って」「えっ、鬼を締める?」「煮物だよ。冷蔵庫の残り物で作って」とか。

 ですから私が作るのは「おばあちゃんの味」。洋食は作れないんですよ。

 前に親戚が家に来た時、子どもたちに「ママの料理で何が好き? ハンバーグ? オムライス?」と聞いたんです。うわ、嫌なことを聞いてるな。家の料理はお煮しめと酢の物なのに。子どもは「ハンバーグは給食では出るけど、そういえば家では食べたことないな」と不思議がっていました。

 私に料理を教えてくれたお客さまは、おそらくもう亡くなっていることでしょう。でも料理を作るたびに思い出す。そうやって会えなくなった方とつながっているというのは、すごいと思います。
 

もてなしの一杯


 人とのつながりといえばもう一つ。私は介護の仕事をする前に、インドで3カ月間ボランティアをしていました。前半は孤児院の建設や農地開拓。後半は日本語学校で子どもたちに教えるということをやっていました。

 山の方で、18歳のすごくかわいい女の子と出会いました。彼女はコーヒーを飲まないかと勧めてくれたんです。

 家におじゃましたら、地べたに座るような貧しい暮らしでした。庭でコーヒー豆を育てていて、彼女はそれをいって入れたてのコーヒーでもてなしてくれたんです。「どこから来たの?」と聞かれたので、世界地図を描いて「ここから」と教えました。でも厳しい階級社会の下の方にいることを考えると、「遊びに来て」とは言えない。

 飲んでいたコーヒーの中に、アリが入ってしまいました。日本でなら捨てるでしょうけど、彼女の精いっぱいのおもてなしを無にするわけにはいきません。コーヒーをおいしくいただきながらさまざまなことを考えたこともまた、忘れることができません。(聞き手・写真=菊地武顕)

 よしかわ・えり 1977年、埼玉県生まれ。2008年に『私の結婚に関する予言38』で日本ラブストーリー大賞エンタテインメント特別賞を受賞しデビュー。『女性秘匿捜査官・原麻希』『新東京水上警察』『警視庁53教場』各シリーズなど、警察小説を得意とする。近刊に『正義の翼 警視庁53教場』(角川文庫)。
 

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