危機の時代 問われる政府の対応 法政大学教授 山口二郎

山口二郎氏

 東日本大震災の発生した3・11を迎えた中、新型コロナウイルスが世界を襲い、再び政府の危機への対処の仕方が問われている。原子力発電所事故と伝染病では危機の性質は違う。だが、今回の伝染病の政府の説明に既視感を覚える。

 原発事故当時は、政府も東京電力もなかなかメルトダウンを認めようとしなかった。国民がパニックに陥ることを防ぐという配慮もある時期まではやむを得なかったのかもしれないが、事態をなるべく小さく見せたいという意図があったと思われる。
 

脆弱な医療体制


 新型コロナウイルス感染について、日本の対応は韓国や欧米とは異なる。外国ではドライブスルーでの検査も行われ、多くの感染者が発見されている。日本ではなぜか検査件数自体が抑制されている。具合が悪くても検査してもらえない事態が各地で報告されている。それゆえ、現在公表されている感染者数が正しいのかどうか、分からない。

 大規模な検査を行いおびただしい感染者が見つかれば、それらの人々が病院に殺到し、高度医療の施設がパンクするという危惧もある。医療の供給体制をすぐに拡大するのは難しい。だが、外国にできることが日本でできないはずはない。検査段階で感染者を絞り込むという本末転倒はやめなければならない。

 社会保障・雇用政策研究者の今野春貴氏によれば、厚生労働省職員の53%が非正規職員であり、地域社会における保健衛生の拠点となるべき保健所も1992年との比較で2019年には45%も減少している。また厚労省は19年9月、再編統合の議論を求める全国424の公立・公的病院名を公表。医療の供給体制の脆弱(ぜいじゃく)化は、過去20年余りの小さな政府路線の政策的帰結なのである。

 日本の政治は、常に平穏無事で、いざという時への備えは普段は役に立たない余剰だという発想で動いてきた。そして効率化というやいばは社会保障だけでなく、人間の命を支える農業にも向けられてきた。新型コロナウイルスのまん延は地球全体に広がるに違いない。工業生産におけるサプライチェーンの途絶はすぐに話題になるが、農業は大丈夫だろうか。食料の輸入もままならないということが起こるかもしれない。世界中からいつでも食料を買えるという前提を当たり前と思ってはならない。
 

「効率化」の限界


 3・11の時も、水やエネルギーの供給が途絶する恐怖を人々は味わった。危機をしのぐためには世の中に遊びや重複がなければならないという議論が盛んに行われたはずである。しかし、見掛け上の無駄の排除と効率化を金科玉条とする「改革」の趨勢(すうせい)は止まらなかった。

 残念ながら、21世紀の半ばは世の中全体が平穏無事で、地球環境や他人のことを考えずに金もうけにまい進できる時代ではないだろう。種類は違っても、さまざまな危機が人間を脅かす。それゆえ、いま改めて私たちが生き延びるための社会はどんなものか、真剣に考えなければならない。食べ物をなるべく近い場所で作ることも、生存のために不可欠な政策となる。

 やまぐち・じろう 1958年岡山県生まれ。東京大学法学部卒。北海道大学教授などを経て2014年に現職。現実政治への発言を続け、憲法に従った政治を取り戻そうと「立憲デモクラシーの会」を設立。近著に『「改憲」の論点』(集英社新書)。
 

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