北野まち子さん(歌手) パワーの源はおいしい米

北野まち子さん

 実家では父が健在なうちは、ずっと農業をやっていました。

 青森県の弘前ですので、祖父が手間暇をかけ愛情を込めて、リンゴも作っていました。桜の花が終わった頃から、リンゴの授粉が始まります。農家は一斉に忙しくなるんですね。アルバイトさんを雇ったり、親戚や近所の人たちが応援で助け合ったりしてました。

 でも祖父が年を取ってもう自分ではできないとなった時に、リンゴはやめて米と野菜作りに専念することにしたのです。虫が付いて近所に迷惑をかけてはいけないということで、木は全部切りました。

 うちではもうリンゴは作ってはいないのですが、70を過ぎた母は収穫の時期になりますと、親戚の手伝いに行っています。葉っぱの陰になって色付かないリンゴがあると、葉っぱを取ってあげたり、もぎりをしたり。

 父が亡くなって米作りもやめましたが、母は自宅の周りの畑で少々の野菜は作っています。
 

野菜が“おやつ”


 母は農家の生まれではないので、お嫁に来るまではまったく農業のことが分かっていなかったそうです。畑で草取りをやった時に、ホウレンソウを雑草だと勘違いして全部抜いてしまったこともあったそうです。

 それくらい農業のことを知らなかったのに、70を過ぎてもせっせと野菜を作っているんです。農業の持つ魅力なんでしょうね。今でも冬になりますと、畑で取れたダイコンを漬物にして送ってくれます。「うわー、懐かしい。お母さんの味だ」とうれしくなり、ご飯がどんどん進みます。

 子どもの頃は、野菜を買った記憶はありません。家で取れたものばかり。よく畑で遊びながら、取れたてを食べていました。キャベツを丸かじりしたり。トマトやキュウリは、畑にマヨネーズを持って行って食べていました。野菜がおやつ代わりだったんです。

 冬になると、畑は雪で覆われます。印を付けておいて、雪室の中の野菜を取っていました。みそも手作り。蔵の中に大きなたるがあって、はしごを上ってみそをくんで台所に運んでいました。

 祖母はよくみそおにぎりを作ってくれました。学校から帰った私がおなかがすいたような顔をしていると「これでも食べてな」と、冷めたご飯を握って、みそを塗ってくれたんです。その味は、今でも忘れられません。
 

おかずに合わせ


 20歳で東京に出て、最初のうちは寮に入って生活しました。母は段ボールにたくさんの野菜を入れて送ってくれたので、それを寮のおばさんに渡し、食材として使ってもらいました。

 やがて一人暮らしを始め、初めて野菜を買うという経験をしたわけですね。こんなに高いんだ、とびっくりしたものです。お米は実家のものを食べていました。新米が取れると送ってくれたんです。

 今はうれしいことに、ファンの方が地元でできたお米を送ってくださるので、おいしくいただいています。また、全国のお米を1合、2合と小分けにして売るお店がありまして、その時々の気分で少しずつ何種類かを買い、各地のお米を味わっています。その日のおかずによって、食べ分けているんです。今、自宅にあるお米は、山形の「つや姫」、茨城の「コシヒカリ」、香川の「おいでまい」、徳島の「コシヒカリ」です。

 朝は必ずお米をいただきます。ご飯を食べないと、元気が出なくて。特に、歌う日はご飯。パワーの源は、おいしいご飯なんです。(聞き手・写真=菊地武顕)

 きたの・まちこ 青森県出身。1989年、「包丁一代歌手募集コンテスト」で約7000人の応募者の中、グランプリを獲得。同年、「包丁一代」でデビュー。石川県能美市観光大使も務める。シングル「浮き世橋」発売中。4月7日、東京・江東区文化センターでの「艶歌華舞台~農業と演歌は日本の宝」に出演する。
 

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