[宮城・JA新みやぎ移動編集局] 農業の復興へ 宮城県南三陸町 住民と共に奮闘する移住者

ネギの生育を確認する渡部さん(宮城県南三陸町で)

 東日本大震災で甚大な津波被害を受けた宮城県南三陸町。震災後、町は復興イベントや農村体験ツアーに注力し、移住者を増やしてきた。農家の悲痛な叫びを聞き、異業種から参戦して農業法人を立ち上げたネギ農家、ボランティア活動をきっかけにJA職員になり、地域農業を盛り上げる女性──。住民と移住者が手を取り、完全復興に向けて歩みを進めている。
 

法人設立 雇用つくる ネギ農家 渡部恵さん


 青々としたネギが揺れ、風が潮の香りを運んでくる。ネギ農家の渡部恵さん(40)の圃場(ほじょう)だ。渡部さんは2013年10月、農地が津波被害を受け困窮する農家を雇用するため、復旧農地を活用する農業法人「グリーンファーマーズ・宮城」を設立した。

 正社員3人、パート従業員10人を雇用する。ネギを生産する農地6ヘクタールは、約50カ所に点在する。「管理は大変だが、景観を守ることと、雇用創出が重要」と思いは強い。

 両親がクリスチャンで、“困っている人を助けなさい”と教えられた。バックパッカーとして世界を飛び回り、行く先で災害があればボランティア活動をした。「いてもたってもいられない性分」と自らを表す。震災発生から1週間後、渡部さんは東京から駆け付け、2トントラックに支援物資を積み込み、50カ所以上の避難所を回った。

 復興支援中、ベテラン農家と話した。「農地が津波にのまれた。もう生きていけない」。背中をさすりながら、自分ができることを考えた。“困っている人を助けなさい”。頭で母の教えが響いた。

 同年6月、東京から通い、雇用創出のため耕作放棄地の復旧に乗り出した。地元農家ら5人と共に、背丈まで伸びた草をかき分け、木を切り倒した。JAに指導を仰ぎ、ブロッコリーやナスなど15種類を栽培した。農業は初心者だったが、努力した分返ってくる農業にのめり込み、ついに東京の家を引き払った。

 「チーム力はどこにも負けない。今後10ヘクタールまで面積を拡大し、稼げる農業で若手の就農を促したい」。被災者と共に地域農業を盛り上げ、住民と信頼関係を築き上げた渡部さんの表情は明るい。
 

“第二の故郷”のために JA職員 佐藤茜さん


 JA新みやぎ南三陸地区本部営農経済部の佐藤茜さん(26)。イチゴ農家の営農指導をする他、若手交流会を企画提案する。「人の温かさに惚れた。完全復興に役立ちたい」と笑顔を見せる。
 
若手の農家を巡回し、指導する佐藤さん(宮城県南三陸町で)
 

 実家は神奈川県で、祖父母は東京だ。「夏休みに田舎のおばあちゃんちで虫取りをした」と話す同級生がうらやましくて仕方なかった。自然が好きで、東京農業大学に進学した。

 在学中に震災が発生。13年3月、同町の漁師の元でボランティア活動をした。「津波被害でさら地が多く、白黒映像のよう。漁師から、私たちを忘れないでと言われたのが印象的」と振り返る。定期的に訪れ「お帰り」と抱きしめられるたびに“第二の故郷だ”と温かい気持ちになった。

 就職活動をする中「田舎で暮らしたい」という夢を実現するため、地域に寄り添うJA職員になろうと「第二の故郷」に移住を決意した。父に打ち明けると「猛反対された。でも、私の人生だもの」。佐藤さんはひっそりと夜行バスに乗り込んだ。

 夢を実現し、佐藤さんは今、地域を巡回して若手農家に指導する。「完全復興まで見届けるのが私の使命」。佐藤さんは今日も農家を回る。
 

16年から 60人移住 町支援センター経由


 南三陸町の人口は20年5月末で1万2515人と、震災前の11年2月末と比べ30%減少した。震災後、町民とグループで復興支援などをする「おでって活動」や体験型宿泊施設を展開し、移住者は増加。南三陸町移住・定住支援センターを経由して、開設の16年からこれまで60人が移住した。うち約1割が農業関係に従事する。
 

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