[人手不足の産地](3) JICA隊員の派遣 群馬県嬬恋村

農家に派遣された隊員と語り合う矢島さん(中)(群馬県嬬恋村で=栗田慎一写す)

国内にも活躍する場


 国際協力機構(JICA)は3月、新型コロナウイルスが世界中に広がったことを受け、開発途上国などに派遣している青年海外協力隊員ら1800人を緊急帰国させる決定をした。そのことを知ったNPO法人「自然塾寺子屋」代表、矢島亮一さん(56)は「隊員たちの心のケアが必要になる」と直感した。

 群馬県甘楽町にある自然塾寺子屋は「農村文化を世界に広げる」活動を柱に、協力隊員の派遣前研修も担っていた。矢島さんは、中米パナマに自らも隊員として派遣された25年前の記憶をたぐりながら、「任期を残しての帰国は相当につらいはず」だと想像した。

 政情不安や感染症などを理由にこれまでも帰国を指示される隊員はいたが、任期が残っていれば、別の途上国に派遣されることもあった。ところが、世界同時危機となったコロナ禍では再派遣も難しい。

 「僕にできることはないか」。矢島さんが思案していた時、開いた新聞に、JA嬬恋村が外国人技能実習生の職種変更を国に求めているとの記事があった。外国人技能実習生が来日できず、受け入れ先農家が困っており、コロナ禍で仕事を失った他職種の実習生に特例的に農家で働いてもらえれば、との訴えだった。

 食の安定供給に関わる事態だが、制度を変えるには時間もかかる。そこまで考えた時、矢島さんは「海外協力のノウハウを生かせる現場が国内にあるじゃないか」とひらめいた。JICAと協議を重ね、全国緊急事態宣言下の4月下旬、県境をまたぐ必要のない県民の帰国隊員に嬬恋派遣を呼び掛けてもらった。

 最初に手を挙げた隊員は、教師4人と助産師1人の男女5人。矢島さんは「嬬キャベ海外協力隊」と名付けた。

 同県立高崎高時代に甲子園に出場したこともある教師の中里彰吾さん(24)は、JICAから連絡を受けた時、高崎市の自宅で意気消沈していた。野球指導で派遣されたブラジルでの残る任期は3カ月だったが、突然の帰国で教え子たちに十分なお別れができなかった。無念を振り切る思いで嬬恋行きを決意した。
 

揺さぶられた価値観


 「嬬キャベ海外協力隊」の教師ら20代の男女5人のうち、ガーナで小学校教育に従事した宮田峻弥さん(25)は当初、自分がウイルスを村に持ち込むリスクを考えてためらった。しかし、外国人技能実習生221人分もの人手が足りないと聞いた時、「農家の力になれるのであれば」と思い直した。

 グアテマラで数多くの出産に立ちあった助産師の神澤杏和さん(29)と、ザンビアで体育指導に当たった岩井あみさん(24)は、村で農業作業を体験した後、「同じ思いの人たちと活動したい」と参加した。柔道指導で1月にフィジーに派遣されたばかりだった教師の餅原崇さん(28)は、残った任期1年10カ月分の働きをしようと誓った。
 
「さあ、収穫の始まりだ」。午前3時すぎ、畑に向かうトラックのヘッドライトがともされた(群馬県嬬恋村で=釜江紗英写す)
 
 5人は村内のホテルに滞在しながら、それぞれの畑で夜明け前から日没まで働く。嬬恋入りから1カ月が過ぎた6月18日、宮田さんがメンバーと朝食を取りながら「キャベツがこんなにいとおしくなるとは思わなかった」と笑わせた後、真剣な表情でこう言った。「日本にいると食べ物があることが当たり前過ぎて、大切さに気付かない。教職に戻ったら、子どもたちが農と食を学べる教育を実践したい」

 嬬恋にはその後、別の隊員も追加で派遣された。国際協力機構(JICA)によると、コロナ禍で人手不足となった農家で働く帰国隊員は嬬恋の5人を含め計50人に上った。農家派遣について、青年海外協力隊事務局の船橋志麻子さんは「人手不足の農家の労力としてではない」とJICAの立場を説明しつつ、「国内の課題に取り組み、社会貢献したいという隊員たちの強い思いを後押ししている」と強調した。

 隊員派遣の仕掛け人で、農家に生まれ育ち農業の課題にも精通する「自然塾寺子屋」代表、矢島亮一さん(56)が期待を込めて言った。「海外を目指した若者が日本の農村で価値観を揺さぶられている。出会うことのなかった出会いが農業に思わぬ変化を起こすかもしれない」(栗田慎一)(2020年7月17日掲載)
 

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