神田陽子さん(講談師) 苦しい時こそ食事が大切

神田陽子さん

 新型コロナウイルスのために、改めて人情に触れることができました。

 「コロナで大変でしょう」と、米を送ってくれた方が、3人もいました。トイレットペーパーやマスクが手に入らなかった時期がありましたが、生活必需品が買えないと、とても不安な気持ちになるものです。米を送っていただいたことで、「そうだ。一人じゃないんだ。ともかく米さえあれば生きていけるんだ!」と勇気をもらうことができました。

 私には弟子が4人います。そのうちの一人、もう真打ちになった神田京子は、2月に東京から山口県に引っ越しました。小さな子どもがいるので、保育園など子育ての環境を考えると東京よりも地方がいい、と。ですから東京での私の弟子は3人。この3人が私のもとに稽古に来るので、「皆さん、召し上がってください」と10キロの米を送ってくれたのです。
 

米あれば大丈夫


 彼女は農家の方と知り合って、農業体験もしたそうです。田んぼで子どもが大はしゃぎをしたという手紙も添えてありました。

 もう一人、お世話になっているお姉ちゃまも真空パックにした米を10キロ届けてくださいました。知人の大学の先生も、ブランド米を送ってくださったり。おかげで肝が据わったというか、やはり、「何がなくとも日本人は米なんだなあ」と実感しているところです。

 苦しい時こそ、しっかり食べていないと駄目ですね。それで思い出したのは、亡き師匠(二代目神田山陽)のことです。

 弟子にどういうものを食べさせるかというのは、師匠それぞれに考えがあります。

 明治生まれの名人、落語の三遊亭圓朝が入門したてのころ、師匠のお供でそば屋に入ったところ、師匠にだけ天ぷらそばが運ばれてきました。自分の分はまだかなと思っていると、師匠は「お前も早くこういうものを食べるようにおなり」と言って、結局そばにはありつけなかったそうです。そのおかげか、圓朝は大名人になるのです。

 しかし、私の師匠はまったくそういうことはなく、弟子に同じように食べさせてくれました。年の暮れに弟子たちが師匠の家の大掃除をして、それが終わると、おかみさんが全員分の天丼を取ってくれました。そうやって一門になっていけたんですね。
 

優しかった師匠


 晩年入院していた師匠は、私が見舞いに行くと必ず「持ってきたかね?」と言って、大福とか草餅を楽しみにしていました。「せめて半分にしてください」と言うんですが、師匠は1個丸々食べてしまうんです。糖尿だからいけないのは分かっているんですが、子息には言えないことも弟子には言えるんですね。次の日の検査では、数値がピッと上がってしまうのでひやひやしたものです。

 入院中は毎日、病院から3時ごろおやつが出るんですね。プリンとかヨーグルトとか。一番若い弟子の京子が見舞いに行くと、師匠はそれを「君、食べなさい」と言って譲ったんです。本当は、自分だっておやつが楽しみだろうに。ダンディーな人でした。孫ほど若い弟子にまで優しかったなあと、今も感謝の思いでいっぱいに包まれるのです。

 食というのは大事で、同じ釜の飯を食べた体験はかけがえないですね。同じものを一緒に食べて、泣いたり笑ったりしながら、一緒に国難を乗り越えていきたい。師匠の教えを守り、伝えていきたいと心がけております。(聞き手=菊地武顕)

 かんだ・ようこ 東京都生まれ。1979年二代目神田山陽門下に入門した。女性講談師の草分け的な存在。88年、真打ち昇進。2017年、早稲田大学卒業。新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場、上野広小路亭を拠点に、忠臣蔵や怪談、女性一代記ものを得意とする。大阪、名古屋、東京の講談教室も好評。
 

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