新沼謙治さん(歌手) 大所帯支えてくれた野菜

新沼謙治さん

 僕が生まれ育ったのは、岩手県の大船渡。大家族だった上、子どもの頃は家族以外の人も僕の家に寝泊りしていたんですよ。少ない時で12人、多い時は16人くらいが一緒に住んでいました。

 2升炊きの釜が二つもあって、それでご飯を炊いていました。母親と祖母は毎朝早く起きて、おかずをテーブルいっぱいに並べていました。料理の種類は少なくて、量だけがものすごく多かったように覚えています。

 それだけの人数のおかずを作るため、畑を借りて野菜を作っていました。祖父と母がせっせと畑をやっていましたね。つまり母は働き詰めだったわけです。

 僕も手伝わされました。畑に行くと、母が「メロン、食うか?」と声を掛けてくれました。実際はウリだったんですけど。

 食卓では、よくキュウリを食べた記憶があります。でっかいボウルにたっぷりと水を入れて、その中に畑で取ったキュウリを斜めに切って入れていました。皆の前に小皿があり、キュウリにみそをつけて食べていました。
 

思い出のサンマ


 大船渡には漁港がありますから、肉よりも魚です。サンマとイワシが多かったですね。

 僕が好きだったのは、サンマの塩炊き。鍋に1センチくらい水を入れて、千切りにしたダイコンを大量に入れるんです。その上に、ブツ切りにしたサンマを載せて、さらにダイコンを載せて煮ます。調味料は塩だけ。サンマは頭や尻尾、はらわたを取らずに、5センチくらいに切りました。サンマがおいしいだけでなく、魚の匂いと味が染み込んだダイコンもおいしかったなあ。

 子どもの頃はよく釣りに行きました。学校から帰ると、友達と一緒に自転車で海に。魚市場ではいろんな魚が水揚げされ、商売にならないのは海に捨てるんですよね。その魚を食べに、魚が寄って来る。岸壁のそばにサバが集まる場所があり、そこにさおを入れるとまさに入れ食い状態。サバを釣っているところに、カツオ漁の漁船が帰ってきたりします。漁船に乗ってる意気の良いお兄さんはサバを釣って喜んでいる僕たちを見て、「おーい、おめだち。持って行ってくれー」と、カツオを投げてくるんですよ。大量のサバと丸々1匹のカツオを持って家に帰りました。

 好き嫌いがなく育ち、大人になってからもガツガツと食べていました。僕は早食いです。というのも僕は歌手になる前、左官屋で働いていました。昼飯をゆっくりと食べていると、親方に叱られました。「いつまでも食ってるんじゃない」「早く食って、壁塗りの練習をしろ」と。見習いだった僕は、皆が食べている間に練習をしないと駄目だったんです。

 若い頃は体調のことなど考えずに、食べたいものを食べていればよかったんですが、50歳を超えた頃から変わりました。
 

良い喉に不可欠


 最近は野菜をたくさん取るように心掛けています。レタス、トマト、アボカドは毎日食べます。外出の時は、野菜を持ち歩いています。ゴルフの合間に食べ、ロケ弁を食べる時にも取り出して食べる。というのも、野菜を食べると喉の調子がいいんです。野菜の水分のおかげで、喉が潤います。

 喉の調子を良くしておくと、伸び伸び声が出るので気持ちがいい。そういう日はお客さんの盛り上がり方も違うんです。ステージから見てて、すぐ分かります。新型コロナウイルスの影響で歌う機会が減りましたが、喉の調子は整えておきたいので、野菜は欠かせません。(聞き手=菊地武顕)

 にいぬま・けんじ 1956年岩手県生まれ。オーディション番組「スター誕生」出場をきっかけに、76年に「おもいで岬」でデビュー。続く「嫁に来ないか」が大ヒットし、新人賞を総なめにした。その後も「ヘッドライト」「酒とふたりづれ」「津軽恋女」とヒット曲を出し続ける。「地図のない旅」好評発売中。
 

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