高嶋哲夫さん(作家) “年中行事”の再開を祈願

高嶋哲夫さん

 神戸に住みだして35、36年になります。

 この街は、2月の下旬から3月にかけて独特の匂いに包まれます。イカナゴのくぎ煮の匂いです。イカナゴはスズキの一種。その稚魚を、しょうゆ、さらめ、みりん、ショウガなどで炊き上げるのです。この匂いが漂いだすと、春が来たと感じます。
 

春を感じる匂い


 僕も20年くらい前に作ってみました。その頃はイカナゴは庶民的な魚で、1キロ600円か700円程度でした。それを10キロほど買ってきて、作ってみたんです。

 翌年も、その翌年も作ってみました。大きな鍋を買ってきて、それで炊くんです。

 スーパーに行くと、くぎ煮のレシピが置いてあります。でもレシピ通りに作っても、売っているものとは味も見た目も全然違うんですね。売り物の方は、もっとつくだ煮に近い感じでした。

 友達に、実家が魚屋という人がいたんですよ。彼のところでは毎年、何百キロだったか何トンだったか、ものすごい量を作っているんです。年に何回かは、彼と会っていました。その時にどうやって作るんだと聞いたんですが、絶対に教えてくれない。

 ところがある日、ぽろっと言ったことがあるんです。それは一般に出回っているレシピとはまるっきり違うものでした。その通りにやってみたら、均一に失敗なく作れたんです。

 このエピソードを地元の新聞のエッセーに書いたことがあります。すると新聞社に、作り方を教えろという問い合わせがあったそうです。次の掲載の時に、これは魚屋さんが何十年もかけて作り上げた特許みたいなものなので、申し訳ないが教えられない。そう書いた覚えがあります。

 自分で炊く量がだんだん増えていって、50キロ以上もの稚魚を買って炊くようになりました。お世話になっている全国の方々に贈ることが楽しみになったからです。

 そのうち、まるで強迫観念のようになってきたんですよ。もう今年は止めようと思っても、時期が来て、街に漂う匂いをかいだり、イカナゴを買う列を見ると、つい買ってしまう。
 

価格高騰で断念


 その習慣が、ついに去年、途絶えました。コロナ禍でしたし、漁期が非常に短かったということもあって値段が高騰したんです。近年、値段がどんどん上がってきました。それでも買って作っていたのですが、去年はついに1キロで5000円と言われてしまって。

 僕の年中行事はもう一つあります。こちらも去年はできなかったんですが……。

 友だちに丹波の農家がいて、年に何回か訪ねることを楽しみにしてきました。僕のためにジャガイモを植えてくれていて、それを掘るのが楽しみで。孫を連れて農業体験をさせたこともあります。

 友人はエダマメも作っています。それを取ってビールのおつまみにすると、最高においしい。

 エダマメは放っておくと黒豆になるんですよ。その時期になったら、また丹波に遊びに行きます。

 エダマメと黒豆の間くらいに、赤シソができます。シソも大量に頂いて、大鍋でクエン酸と砂糖と一緒に煮詰めて、しそジュースを作ります。これを世話になった方に贈るのが、夏の年中行事になったわけです。

 今年の夏はまた丹波に行き、友達とエダマメを食べながらビールを飲んで語らい、シソのジュースも作れればと願っています。(聞き手=菊地武顕)

 たかしま・てつお 1949年岡山県生まれ。日本原子力研究所研究員を経て、アメリカ留学。90年に『帰国』で北日本文学賞、99年、『イントゥルーダー』でサントリーミステリー大賞。昨年、『首都感染』(2010年)が、新型コロナウイルス感染を予言していると話題に。近著に『「首都感染」後の日本』(宝島社新書)
 

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