西川りゅうじんさん(マーケティングコンサルタント) いただきます 日本の神髄

西川りゅうじんさん

 子どもの頃、休みになると母方の伯父の家によく遊びに行きました。伯父は大学で教壇に立ちながら、代々受け継いできた田畑で米や野菜を作っていたんです。

 一緒に草むしりしながら、いろいろなことを教わりました。

 小学校で農という漢字を習ったときに不思議に感じ、聞いてみたんです。

 「農という字は、曲がるに辰(たつ)と書くよね。曲がったことをすると、辰が出てくるってこと」

 「面白い見方だな。実は、曲は田を、辰は石で作った農具を表しているんだ。田畑を農具を使って耕すという意味だよ」
 

命の尊さ教わる


 伯父は無農薬で作っていて、野菜には時々虫が付くことがありました。私も種をまき水をやっていましたから、チョウの幼虫に食べられたりすると悔しいわけですよ。

 憎たらしいからつぶそうとすると、伯父に「それはそれで育ててあげたらいいんだよ」と言われ、幼虫を自分の家に持ち帰りました。やがて、かわいいモンシロチョウに育ち、命の尊さを知りました。

 私の家では、食事の前に必ず手を合わせて「いただきます」と唱えてから食べていました。この言葉こそ日本の食文化の神髄を表していると思います。動・植物の命、農家の皆さんの耕作の成果を賜って生かしていただいているわけですから。

 食べ物を粗末にすると両親は許しませんでした。出されたものは、全て食べるのが当たり前。

 小学校の低学年のある日。キャベツとシソを刻んだサラダが出ました。シソが苦くて、両親が食べ終わった後も一人で食べ続けましたが、食べ残して自分の部屋に行って寝ました。すると翌朝から3食全てそのサラダだけ。

 それで、伯父の家に行かされるようになったのかもしれません。自分で野菜を作って、その苦労を知れば、好き嫌いなく、おいしく食べられるようになるだろうという、両親の食育だったのでしょう。

 食事は一汁三菜が基本でした。母が漬けた漬物が、朝夕、食卓に彩りを添えていたのを覚えています。

 1960年代には、既に家でぬか漬けを漬けるのは臭いし面倒だと敬遠されていました。

 今でこそ和食が見直されていますが、当時は食でも何でも欧米化が正しいという風潮でした。朝はパンとベーコンとコーヒーが豊かさと健康をもたらすという幻想が支配していた時代です。
 

欧米化とは無縁


 その頃から、カブトムシはデパートで、漬物はスーパーで売っているモノになり果てたのです。祖母から受け継いだ臭いぬか床を母親が自分の手でかき混ぜ、自宅で漬物を作っていたわが家は戦前の食文化の化石でした。

 父方の祖父母の家に泊まりに行った時の思い出も、まるで「ふるさと」の歌のようによみがえってきます。

 春の河辺でみんなでツクシを取り、あく抜きして、おひたしや卵とじにして食べました。ヨモギを摘み、すり鉢ですって、よもぎ餅を作りました。

 今も「春の七草」は全部言えますよ。一方、「秋の七草」は知りません。だって食べずに鑑賞するものですからね。でもこの歳になって、そんな風流もやっと分かってきた気がします。

 幼き日に心と体でいただいた農と食の実体験はかけがえのない人生の宝物です。文字通り、「有り難い」ことですね。ありがとうございます。(聞き手=菊地武顕)

 にしかわ・りゅうじん 1960年兵庫県生まれ。「愛・地球博」のモリゾーとキッコロや「平城遷都祭」のせんとくんの選定・PR、「つくばエクスプレス」沿線の街づくり、全国的な焼酎の人気作りに携わる。JAや日本食鳥協会で講師を務め、農産物のブランド化と大都市部でのチャンネル開発に手腕を発揮している。
 

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