[震災10年 復興の先へ] ようやく引っ越し 「いつかまた野菜を」 新たな“日常” 不安も連れて 岩手・宮城 仮設住宅終了へ

鉢植えの手入れをしながら茶飲み友達が通るのを待つ村上さん(岩手県陸前高田市で)

 生まれ育った家を一瞬にして破壊した東日本大震災。間もなく10年がたとうとする中、約1000人が今も仮設住宅で生活している。一方で、岩手、宮城県内では3月末で「仮設」が終了する見通し。災害公営住宅などに引っ越すが、まだ行き先が決まっていない人もいる。雪がちらつく2月、入居者は長く暮らした住まいから粛々と退去の準備を進めていた。(高内杏奈)
 
 岩手県陸前高田市。太平洋に面した温暖な気候から“岩手の湘南”と呼ばれる。市街地から山あいに進み、街の喧騒が聞こえなくなった頃、密集した無機質な白いプレハブが現れる。人けはなく、ここだけ時間が止まっているようで、砂利道を進む足音だけが響く。9戸が暮らし、3月末に解消される県内最後の仮設住宅だ。

 年金で生計を立てる村上勝也さん(78)は仮設住宅で生活して10年。「テレビは友達。グルメ番組は見ない。どうせ食べれねがら」とつぶやく。昨年末に胃がんが見つかり、切除手術を受けた。時折苦しそうに目をつむり、ココアを1時間かけてゆっくりと飲む。

 病み上がりに付き添う家族は近くにいない。子どもは新しい生活を築いているため、邪魔するわけにはいかない。そんな親心もあり、ここに住み続ける。

 「片付けが苦手で、どうしたもんか」。震災以降、行政から届いた文書は全て取っておいてある。2月上旬、公営住宅の入居がやっと決まった。病み上がりの体にむち打ち、退去に向けて片付けを進める。「こんなに長い間、仮設暮らしをするとは思わなかった」

 2011年3月11日、10メートルを超える高さの津波が同市を襲った。黒い渦が一気に押し寄せ、連なる家はふわっと浮かんでは次々につぶれていく。村上さんは高台に避難し、水が引いてから自宅を見に行った。

 そこにあるはずの家は跡形もなく消えていた。村上さんは「周りの光景から、自宅に近づくにつれ“流されたろうな”と悟った。頭で分かっていたから、涙は出なかった」と話す。だが押し殺した感情はくすぶったまま、今もずっと胸の中にある。自宅も車も、形がなくなって混ざり合う光景が脳裏に焼き付き、夜になると襲ってくる。

 仮設住宅に住み、集会所で住民と笑っていると不安な気持ちをごまかせた。だが徐々に、1人、また1人といなくなり、集会所の電気がつくことはなくなった。

 自宅再建を考え、かさ上げ地に整備された宅地の引き渡しを受けたこともあったが、費用が壁になり再建を諦めた。

 震災前は畑で自家用のダイコンやスイカなど野菜を育てるのが生きがいだった。「いつかまた野菜を作りたい。孫を家に呼んで遊びたいね」と村上さん。荷物をまとめながら、寒空に向かってつぶやいた。
 

全解消は遠く…福島県900人超


 宮城、岩手県内の仮設住宅は21年3月末までに全て解消する。プレハブの「応急仮設」と、賃貸物件などを借り上げる「みなし仮設」があり、2県で合計約90戸の住民が自力再建や災害公営住宅に引っ越さなくてはならない。一方、東京電力福島第1原子力発電所事故の避難区域が残る福島県は、解消のめどが立っていない。

 県別に見ると、岩手県はプレハブ9戸、みなし70戸に計168人(1月末時点)が暮らす。宮城県は20年4月にプレハブ入居者がゼロになり、みなしは9戸に13人(同)。福島県ではプレハブ3戸、みなし552戸に計925人(同)が入居している。

おすすめ記事

地域の新着記事

検索

e農サーチ e農サーチとは