[未来人材] 34歳。青年部副委員長 イベントを積極展開 動画作り魅力発信へ 宮城県色麻町 橋本拓未さん
2021年03月21日

出荷間際の牛の世話をする橋本さん(宮城県色麻町で)
宮城県色麻町の橋本拓未さん(34)は、JA加美よつば青年部色麻支部の副支部長としてさまざまなイベントに参加し、農の魅力を発信している。「消費者に農業をもっと身近に感じてもらいたい。応援してもらえる仲間を増やしたい」と、農業の理解醸成活動に情熱を注ぐ。
学生時代から農業に興味のあった橋本さんは、仲間を増やそうと、21歳で就農すると同時にJA青年部へ加入した。一貫して青年部活動に取り組む中で、28歳の時には副委員長となった。
「自分だけではなく、一人一人がやる気を持ち青年部活動に取り組めるよう、できることをどんどんしていこう」と、活動を活性化。多くのイベントに参加していった。
現在は地元の商工会と共に、祭りへの出展やイルミネーションイベントに協力。小学校での田植え体験やジャンボカボチャ大会といった食農教育体験、県内の青年部員らと合同で仙台市で直売イベントも開くなど、青年部の活躍の場を提供してきた。
新型コロナウイルスの影響でイベント参加が難しくなる中、新たな挑戦も始めた。県青年連盟と動画投稿サイト「ユーチューブ」で、米が水田から食卓まで届けられる様子を投稿することを計画し、撮影は順調に進んでいるという。
青年部活動とともに、農業技術の向上にも力を注いできた。繁殖ではせりに向けて血統や体躯(たいく)にこだわる生産者が多い中、意識しているのは「子牛の胃袋をどれだけ充実できるか」という点だ。せりを経て肥育段階になった時に増体や肉質の良い牛となるよう、粗飼料などの量を調整しながら、食いつきが良く健康な子牛を飼育している。
橋本さんの生産する子牛は他の生産者より一回り小さいこともある。しかし、市場からの評価は高く、好値で取引されている。「肥育農家から『いい牛だったよ』と言ってもらうのが何よりの励み」と笑顔を見せる。
今年からは新たに、宮城県内では珍しい雪下ニンジンの栽培に向けた準備を進めている。「農業は面白いものだということを、もっと多くの人に知ってもらいたい」。農業と地域活動の両立でやりがいを見いだしている。
「和牛繁殖は自分で時間をやりくりしやすいのも魅力」と橋本さん。以前からアウトドア派だったが、最近は狩猟免許を取得。散弾銃を手にキジやマガモなどを狙う。また猟友会の一員として、近年町内で被害が増えているイノシシなど、有害獣の駆除もしている。妻も鉄砲の免許を取得。休日には夫妻でクレー射撃に汗を流す。
学生時代から農業に興味のあった橋本さんは、仲間を増やそうと、21歳で就農すると同時にJA青年部へ加入した。一貫して青年部活動に取り組む中で、28歳の時には副委員長となった。
「自分だけではなく、一人一人がやる気を持ち青年部活動に取り組めるよう、できることをどんどんしていこう」と、活動を活性化。多くのイベントに参加していった。
現在は地元の商工会と共に、祭りへの出展やイルミネーションイベントに協力。小学校での田植え体験やジャンボカボチャ大会といった食農教育体験、県内の青年部員らと合同で仙台市で直売イベントも開くなど、青年部の活躍の場を提供してきた。
新型コロナウイルスの影響でイベント参加が難しくなる中、新たな挑戦も始めた。県青年連盟と動画投稿サイト「ユーチューブ」で、米が水田から食卓まで届けられる様子を投稿することを計画し、撮影は順調に進んでいるという。
青年部活動とともに、農業技術の向上にも力を注いできた。繁殖ではせりに向けて血統や体躯(たいく)にこだわる生産者が多い中、意識しているのは「子牛の胃袋をどれだけ充実できるか」という点だ。せりを経て肥育段階になった時に増体や肉質の良い牛となるよう、粗飼料などの量を調整しながら、食いつきが良く健康な子牛を飼育している。
橋本さんの生産する子牛は他の生産者より一回り小さいこともある。しかし、市場からの評価は高く、好値で取引されている。「肥育農家から『いい牛だったよ』と言ってもらうのが何よりの励み」と笑顔を見せる。
今年からは新たに、宮城県内では珍しい雪下ニンジンの栽培に向けた準備を進めている。「農業は面白いものだということを、もっと多くの人に知ってもらいたい」。農業と地域活動の両立でやりがいを見いだしている。
農のひととき
「和牛繁殖は自分で時間をやりくりしやすいのも魅力」と橋本さん。以前からアウトドア派だったが、最近は狩猟免許を取得。散弾銃を手にキジやマガモなどを狙う。また猟友会の一員として、近年町内で被害が増えているイノシシなど、有害獣の駆除もしている。妻も鉄砲の免許を取得。休日には夫妻でクレー射撃に汗を流す。
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宇治茶の初取引 平均1キロ1万1187円
2021年産の宇治新茶の初市が19日、京都府城陽市のJA全農京都茶市場であった。平均価格は煎茶1キロ1万1187円と、新型コロナウイルス禍による需要減退で異例の安値だった昨年の8512円を大きく上回った。最高値は和束町産の手もみ茶で1キロ18万8888円(昨年10万円)と、資料の残る2000年以降で最高価格となった。宇治市の中村藤吉本店が落札した。
初市に先立ち、JA全農京都の中川泰宏会長が「昨年は茶農家にとって厳しい売り上げとなったが、茶商の皆さんの支援で、何とか今年の初市を迎えることができた。若い茶生産者を育てるためにも、目いっぱいの数字を書いてほしい」と高値での入札を呼び掛けた。……
2021年04月20日
政府は、東京電力福島第1原子力発電所にたまっている
政府は、東京電力福島第1原子力発電所にたまっている放射性物質を含む水を、海洋に放出することを決めた。地元の漁業関係者は納得していない。風評被害も心配だ。ここに至るまでの紆余(うよ)曲折と、今後に要する時間と経費、不安を考えると、原子力が夢の技術と思われていた頃がうそのようだ▼1960年代に人気だった鉄腕アトムは、原子力で動く設定だった。漫画雑誌には原子力ロケットや超音速機の想像図が載り、当時の少年は原子力に夢を託した▼原子力開発は、ギリシャ神話のプロメテウスによく例えられる。ゼウスに背き、天界から火を盗んで人間にもたらしたプロメテウスは、罰として岩山に縛り付けられる。毎朝飛んでくるワシに生き肝をついばまれるが、死ねない体は、毎日苦痛だけを味わい続ける▼火を手にして人間は、夜の闇や冬の寒さに立ち向かう力を得たが、火災の恐怖にもさらされる。制御が厄介な力はもろ刃の剣だ▼原発をもたらしたプロメテウスは誰だろう。政治家か電力会社か。毎日痛みを感じているのだろうか。得をしたワシは誰か。ワシはしばしば米国の象徴として描かれる。日本の原発は当初、米国の技術だった。ワシは今もおいしい思いをしているだろうか。
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2021年04月19日

移住・二地域居住したい 都民4割が関心 首位は鎌倉・三浦(神奈川) リクルート調査
東京都民の4割が地方移住や二地域居住に関心があるとの調査を、民間会社がまとめた。移住や二地域居住に関心のある都民に住みたいエリアを聞き、ランキングもまとめた。1位は、神奈川県の鎌倉・三浦エリアで、「街ににぎわいがある」を理由に挙げた人が多かった。
調査は、(株)リクルートが1、2月、東京都在住の20~69歳の男女を対象にインターネットで行った。東京駅から50キロ圏外を「地方」とし、希望するエリアを三つ選んでもらった。回答数は、事前調査は1万5572人で、本調査は1万572人。
事前調査で移住・二地域居住に関心があるか聞いた。「強い関心がある」が7%、「関心がある」が25%だった。移住・二地域居住が決まっている人や実施に向けて行動している人を含めると、4割が関心を持っていた。
本調査で、関心があると答えた人に理由を聞くと「自然が豊かな環境で生活したい」が56%で最も多かった。「リラックス・リフレッシュできる時間・空間がほしい」が41%、「住居費を下げたい」が31%の順だった。
ライフステージ別では、「自然が豊かな環境で暮らしたい」と答えた人は、子育てを卒業した60歳以上の夫婦世帯と、子どものいる家族世帯で多かった。単身の女性は「東京での生活・仕事に疲れた」が多かった。
移住などに関心があると答えた人に、希望するエリアも聞いた。選んだ理由は、街のにぎわいや医療・子育て環境、地域の自然環境などが多い。観光地として有名なエリアなどが人気を集めた。
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2021年04月17日

EC和牛ギフト活発 花と合わせ華やかに 花束に見立て楽しく
5月9日の「母の日」に向け、ギフト用の和牛を提案する動きが電子商取引(EC)市場で活発化している。花とのセットや肉を花に見立てた商品など、各社が趣向を凝らす。今年は8割が「母の日」の贈り物をECサイトで購入するとのアンケート結果もあり、商機が広がっている。
黒毛和牛のギフト専門ECショップ「evis meats」は、和牛肉と生花をギフトボックスに詰め合わせた商品を売り込む。「箱を開けた瞬間のサプライズだけでなく、花を飾ることで食卓も華やかに彩れる」とアピールする。
肉の部位はイチボ、モモ、サーロインなど6種類から選べる。価格は1万3360円で、肉の量は部位ごとに異なる。同店は1月にオープンし、完売も相次ぐなどギフト用の和牛が好評という。
焼き肉店などを運営する翔山亭(東京都千代田区)は、和牛肉を花束に見立てた「肉フラワーギフト」を自社ECサイトで販売する。渦状に巻いた肉が、バラの花びらのように見えるのが特徴だ。「店舗以外でも和牛を楽しんでもらえるよう、ギフト開発に力を入れている」(同社)。
霜降り肉と赤身など3種類を組み合わせた「愛」(250グラム)が6000円、「優」(400グラム)が9000円。
日本最大級の取り寄せ情報サイト「おとりよせネット」のアンケートによると、今年は77%がネット通販で「母の日」のプレゼントを購入すると回答。百貨店などの実店舗は減少傾向となった。「生活スタイルが変わり、行動が制限される中、対面の機会が少ない『ギフト通販』を利用する人が定着してきた」と指摘する。
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2021年04月21日

樹里咲穂さん(女優) 苦手なキュウリ舞台の思い出に
子どもの頃から、キュウリが苦手でした。しっかりと味が染み込んだ漬物とか酢漬けなら大丈夫なんですけど、生のキュウリの青臭さが……。
私のキュウリ嫌いは、周りの人やファンの方にも有名でした。というのも、プロフィルに書いていたから。
私は2005年、お世話になった宝塚を卒業しました。最後の舞台は『Ernest in Love』という作品で、19世紀英国の貴族の物語。その当時、英国ではキュウリが貴重品とされていたそうで、舞台ではキュウリサンドがアフタヌーンティーに出てくるんです。
冒頭、主人公の私が親友のもとを訪ねると、親友がキュウリサンドを食べているというシーンがあります。彼に「キュウリサンド、いる?」と聞かれ、「いらないよ」というせりふがありました。ですから食べなくて済むんですよ。
でも千秋楽、本当に卒業するという日に、親友役をやってる子が「いやいや、そう言わずに」と言ったんです。客席から拍手が起きて、食べざるを得なくなってしまって。そのため最後の舞台は、戦意喪失してしまいました。それにしてもキュウリを食べただけでものすごく喜んでいただくなんて。強烈な思い出として残っています。
最近は、生のキュウリにも歩み寄れるようになってきました。いっぱいマヨネーズをかけたり、梅干しとあえたら、食べられるようになったんです。私は努力してるんですよ。でもキュウリが私を拒絶している。一進一退の闘いが続いているところです。
子どもの頃から好きな料理というと、カレーですね。母のカレーには、ジャガイモ、ニンジン、タマネギがたっぷり入っていて。肉はビーフで、ごろっとした大きな肉だったり、薄切りだったり、その時その時で切り方が変わっていました。ごく普通のルーを使ったものですけど、隠し味にコーヒーの粉を入れて奥行きを出していました。
去年の緊急事態宣言期間。毎日ずっと休んでいないといけないので、曜日の感覚がなくなりそうでした。それで思い出したのが、前に護衛艦の1日艦長をやらせていただいた時のこと。よく海軍カレーといいますが、週に1回カレーの日にすることで、曜日の感覚を取り戻すと聞きました。そこで私も、毎週金曜日はカレーの日と決めたんです。
母が作ってくれたカレーとは違い、インド風のスパイスカレーを作り続けました。飽きないように、具材で工夫をしながら。豚のスペアリブを使ったり、キーマにしたり。
最初にホールスパイスを熱して、香りを出して。次にタマネギを炒め、その後で粉のスパイスを入れる。きちんと水分を飛ばさないといけないらしいんですね。お玉でフライパンをこすると道ができれば、水分が飛んだ証拠。カレー業界ではこの道をカレーロードというらしいんです。作りながら「来た来た来た、カレーロード来た」と心の中で叫びました。
ギョーザも作るんですが、最後、ひっくり返して皿にのせるのが難しい。肉汁が手に垂れたら、熱くて死ぬ。そう考えたら怖くてできなくて。思い切りが悪いから、まるで代々木第一体育館みたいな変な形になってしまいます。
私はそれまであまり料理はしなかったんですが、料理を作るのを見るのは好きなんですよ。料理番組を録画して見るくらいでしたから。そうして頭の中にためていった知識が、ようやく開花しました。やっぱうまいなあと、自画自賛して作っています。(聞き手=菊地武顕)
じゅり・さきほ 1971年大阪府生まれ。宝塚歌劇団に入団し、90年花組公演にて初舞台。男役ながら女役もこなし、幅広い役柄を演じた。伸びやかな歌声と優れたダンスに定評がある。2005年、主演を務めた「Ernest in Love」を最後に退団。その後も舞台を中心に活躍を続ける。5月からミュージカル「レ・ミゼラブル」に出演予定。
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2021年04月17日
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[未来人材プラス] シェフから農家に 糖度15超マンゴー栽培 販路開拓し全量完売 茨城県日立市 鈴木拓海さん(41)
フランス料理のシェフからマンゴー農家に転身したのは、茨城県日立市の鈴木拓海さん(41)。パリでシェフの修業をして帰国。独立後、自ら作った食材を使いたいとの思いが募り、果樹栽培に手を付けた。沖縄で印象に残ったマンゴーを作ろうと、2013年に10本の鉢植えを始めた。現在はハウスで、150本の木から年間約3000個を収穫する。
幼少期から料理やシュークリームなどの菓子を作るのが得意だった鈴木さん。シェフになるのが夢で、調理師専門学校を19歳で卒業して渡仏。パリのビストロや三つ星の飲食店などで修業した。
フランスに5年間滞在して04年に帰国。「両親が営む飲食店で経営を学んだ。独立するなら、食材も自分で作りたかった」と就農を決めた。
だが、農業は未経験だった。JA日立市多賀の紹介で農地を借り、16年に就農した。マンゴーの他、30アールでナスやエダマメなども1人で栽培する。マンゴーは、養分が分散しないように、根域を制御したボックスで栽培。樹上完熟で収穫するため、糖度は15以上だ。
販路は自ら開拓した。通販サイトなどで、1玉3000円前後で売る。異業種の若手経営者が集まる場に顔を出し、知り合った企業が開くイベントなどで大口の注文も獲得した。とろけるような食感が口コミで広がり毎年完売する。規格外品は両親の飲食店を活用して、ジャムやタルトに加工する。加工品を含めたマンゴーの利益は、年間約300万円という。
マンゴーを栽培する7アール2連棟のハウスや農機は自己資金で調達した。19年に行政支援が手厚い認定農業者になったと同時に、理事としてJA運営にも携わる。くくりわなや箱わな、銃免許も取得して地域の有害鳥獣駆除にも貢献する。鈴木さんの今の夢はシェフ兼農家。「新型コロナウイルス禍でも需要が見込めるケータリングを展開したい」と展望する。
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2021年04月22日

[未来人材プラス] キュウリで独立1年 部会平均収量2倍 技術者の経験生かす 佐賀県武雄市 斉藤義和さん(38)
佐賀県武雄市の斉藤義和さん(38)、圭子さん(38)夫妻は、2019年に就農してキュウリ栽培を始めた。独立1年で収量は、部会平均の2倍に当たる10アール当たり40トンを実現。エンジニアだった経験を生かし、環境制御技術を積極的に導入している。若手農家との連携強化にも意欲的だ。
義和さんは福岡市出身。大学卒業後、福岡県でコンピューターソフトの開発・販売会社に就職した。
11年に圭子さんと結婚。エンジニアの知識を身に付け、車のディーラーに転職して愛知県などで働いた。「仕事を早く終えても、決まった時間は机の前にいなければならず、拘束されるストレスが強かった」と、働き方に疑問を強めていった。
そのころ武雄市でキュウリ農家を営む圭子さんの実家では、施設の老朽化が問題化していた。農作業の手伝いを重ねるうちに「目指す生き方に合うのは、農業ではないか」と思うようになった。
17年に夫妻はJAさがトレーニングファームに1期生で入校。圭子さんの父が「就農するなら環境制御などの新技術を学ぶべきだ」と後押しした。最先端の栽培方法を取り入れた模擬経営では、管理ミスで3分の1が枯れた。それでもキュウリで「8割ほど思い通りにできる」と実感するまで技術力を高めた。
卒業後、老朽化した施設に替えて10アールのハウスを建設した。研修時代に知り合った大分県の企業に依頼し、独自の環境制御システムを導入。温度や土中の窒素濃度など複数項目を端末一つで管理する。安定供給を続けて初年度の売り上げは、1000万円に達した。
所属するJAみどり地区施設きゅうり部会では新規就農者が増えている。義和さんは若手農家と勉強会を頻繁に開く。施設のトラブルも知識を生かして対応し、周囲から頼りにされている。
目標は雇用を伴う規模拡大だ。「田舎でも大きなビジネスができるのが農業の魅力」と語る。
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2021年04月15日

[未来人材プラス] 大分から熊本に Iターンでタマネギ 初年から1.2ヘクタールで栽培 熊本県芦北町 山下恭平さん(33)
熊本県芦北町の山下恭平さん(33)は、大分県から熊本県にIターンして2018年からタマネギ栽培を始めた。初年から1ヘクタールを超える広い農地を借りて就農を実現。地域を回って農地を探し、地主に頭を下げてかき集めた。「自分で作業を決められる農業は勤め人より楽しい」と話す。
芦北町は妻の春花さん(33)の実家だ。恭平さんは大分県日田市の酪農家出身で、18歳から熊本市の料理店で働き、春花さんと出会った。
22歳、父が農作業中の事故で入院し、恭平さんは大分の実家に戻る。乳用牛を飼いながら、6次産業化を進めてアイスクリームやチーズの加工ができると希望を抱いた。
ところが離農者の牛を引き受けての規模拡大をきっかけに、加工事業は中止になる。恭平さんは経営を兄夫妻に任せ、熊本で独立を決意。「人から雇われるよりも独立したかった」と振り返る。
経営の中心はJAあしきたの特産・サラダタマネギに決めた。露地野菜は、経験も農地もなくゼロからのスタートだ。県の職員からは20アールの小面積から始めることを勧められた。「結婚して子供が2人、所得を増やしたい」と、6倍の120アールから始めることにした。
経営資金を賄うため、日本政策金融公庫の「青年等就農資金」を活用。また農水省の「農業次世代人材投資資金」を受給しながら1年間、研修として現場で働いた。
研修期間中に日当たりなど条件の良い農地を探して地域を回った。JAなどに地主を紹介してもらい、直接頭を下げて借り受けた。水田の裏作に作るときは、腐敗果を一つずつ手で拾うなど、きれいにして返す。
初年は収穫が間に合わないこともあったが、雇用を5~7人に増やして対応した。恭平さんは「作業は、苗の運び方、雑草の防ぎ方など工夫しがいがある」と楽しみを語る。将来は機械化を進めつつ、中晩かんなどに経営を広げるのが夢だ。
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2021年04月08日

[未来人材プラス] 地域・自然と歩む 夢の放牧ライフ実現 富山県高岡市 青沼光さん(34)
次世代育成 見据える
都市近郊型で酪農の価値や役割を伝える青沼光さん(34)。離農予定だった富山県高岡市の牧場を受け継ぎ、家族経営の「clover farm」を立ち上げた。限られた開業資金で自ら牛舎を修繕し、飼養頭数を拡大。人と地域との関わりを大切に、「酪農後継者を育てる仕組みを整えていきたい」と将来を見据える。
広島市出身。農家ではない家庭に育った。「牛を放牧して見ていることで生活できるのか」。そんな偏見から酪農を知ったのは中学生の時だ。
職住隣接、家で過ごす時間を大事にできる、畜主の考え方次第でいかようにも牛が飼える──。テレビに映る放牧風景に憧れ、親元を離れ西条農業高校畜産科に入学。そこからは畜産にどっぷり。理想の牧場経営への思いを強めて新潟大学農学部に進んだ。
長野県の牧場では後継者候補として働いたが、2年で挫折。富山県の牧場に移り4年ほど経験を積んだ。妻の佳奈さん(39)との結婚、子どもの誕生を経て、自分の牧場を持ちたい思いが再燃。第三者継承ができる離農予定の牧場を探していたところ、異業種交流で知り合った県内の米農家の紹介で見つかった。
牧場開設は2015年。青年等就農資金3700万円で資産を買い取り、引き継いだ7頭から始めた。JAを窓口に指定生乳生産者団体にも出荷するようになった。資金は潤沢とは言えなかったが、安価に導入できる廃用牛を活用。もう一度妊娠させたり、肉用に回したりして収益を確保し、3年目には現在の経産牛40頭規模にした。
県内に2カ所ある酪農教育ファーム認定牧場の一つにもなった。培った知識を生かして酪農が地域でどう貢献しているのかを、佳奈さんと伝える。「新規参入した時に苦しいと思ったことを少しでも楽にして、次の世代に渡したい」。酪農振興への強い責任を感じている。
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2021年04月01日

[未来人材] 21歳。大学で農学び担い手めざす決意 直売通して地域と絆 横浜市 唐戸柚香さん
横浜市の大学生の唐戸柚香さん(21)は、自宅敷地内の直売小屋に80種類を超す多様な農産物を並べ、常連客が付くほどの人気を得ている。唐戸家は1ヘクタールでトマトやキュウリ、小松菜を市場に出荷するが、これまで地域との交流は薄かった。直売で自分たちと地域とのつながりが増えただけでなく、客同士での交流も生まれた。唐戸さんは「新鮮な物を食べ、自然に囲まれている生活が好き。自分がこの場所で農業を続けることで、地域にも良い影響を与えたい」と話す。
唐戸さんは、東京農業大学に通う現役大学生。代々続く農家の次女で、農業が身近な環境で育った。「家は長女が継ぐもの」と育てられたため就農するつもりはなかったが「できれば農業や食に関する仕事がしたい」と進学した。
農業実習をする部活にも入った。農や食について学ぶうちに就農への思いが強くなった。「都会の中に残った農地でしか果たせない役割がきっとある」。部活で訪れた、長野県の桃農家の言葉が背中を押した。
姉が農業以外の道に進んだこともあり、就農を決意。家族からは「ここで農業を続けなくてもいい」と反対されたが、熱意を伝え続け、家を継ぐことが決まった。
直売小屋は、新型コロナウイルス禍での需要の高まりを受けて昨年の夏に設置。「毎回常連客が楽しみに来てくれる場所をつくれたことが本当にうれしい」と話す。
大学で学んだ知識を生かして、若手農家から依頼を受けたパンフレット作りなどにも取り組む。
1ヘクタールの畑は柵もなく開かれており、「子どもが街の中で農業や自然を学べる貴重な場所」と胸を張る。しかし柵がないことが裏目となり、ごみを捨てられたこともあるという。
唐戸さんは直売で地域との関係を深めた経験からも「街の中で農業を続けるためには、地域とのつながりや関係性を大事にしていかないと難しいし、やる意味もなくなってしまう」と話す。
卒業後は農業大学校への進学を考えている。経営や技術を学び、農家同士のつながりをつくって就農する。「これからここで育っていく人にも、自然や農業について学べる場所を残していきたい」と意気込みを見せる。
農のひととき
祖父、祖母と一緒に農作業をしていて、午前10時と午後3時のおやつの時間に祖母お手製のあられを食べるのが楽しみ。あられは正月の前につく餅の端を乾燥させたものを、揚げたり焼いたりして作る。
味はしょうゆと塩、たまにカレー味もある。芝生や木の根っこに座って食べている。
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2021年03月28日

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宮城県色麻町の橋本拓未さん(34)は、JA加美よつば青年部色麻支部の副支部長としてさまざまなイベントに参加し、農の魅力を発信している。「消費者に農業をもっと身近に感じてもらいたい。応援してもらえる仲間を増やしたい」と、農業の理解醸成活動に情熱を注ぐ。
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橋本さんの生産する子牛は他の生産者より一回り小さいこともある。しかし、市場からの評価は高く、好値で取引されている。「肥育農家から『いい牛だったよ』と言ってもらうのが何よりの励み」と笑顔を見せる。
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2021年03月21日

[未来人材] 39歳。元地域おこし協力隊員 アスパラガスで新規就農 早く自立し恩返しを 北海道厚沢部町 山本和範さん
北海道厚沢部町の山本和範さん(39)は、地域おこし協力隊員の任期を昨年12月で終え、立茎アスパラガスを柱とした新規就農の道へ踏み出した。就農実現には、農村ならではの人との密接なつながりが力になった。立茎栽培が盛んな同町で、既存の農家や新規就農者の仲間と共に産地の飛躍を目指す。
山本さんは釧路市出身。釧路湖陵高校から弘前大学に進み、農学系の博士号を取得。米国の大学で2年間研究職に就くなどの経歴を持つ。2018年、学生の頃から憧れていた農業の道を目指そうと決意。資金面などから、比較的取り組みやすい施設野菜を念頭に、道内で就農の候補地を探した。
リサーチを進める中、厚沢部町がアスパラガスの立茎栽培が盛んで、就農を前提にした地域おこし協力隊員を募集中であることを知り応募。18年12月に着任した。
翌年から1年間、同町の農家2戸の元に通い、アスパラガス栽培の他、農業のイロハを学んだ。周囲の農家も山本さんの熱意を受け止め、「本当によくしてもらった」と山本さんは振り返る。
20年の春、地域の理解を得て、90アールの農地を使わせてもらえることになり、新設・修繕合わせて5棟のハウスを確保。アスパラガス栽培への第一歩を踏み出した。
5月の苗の定植やハウスのビニール掛けなどの作業時には、これまで世話になった地域の農家らが駆け付け、手伝ってくれた。農作業の応援にとどまらず、1人暮らしの山本さんを見かねて、日常的に米や野菜などを差し入れてくれるという。「縁もゆかりもない自分を親身になって支えてくれる地域の人の厚意が、本当にありがたい」と山本さん。周囲の人との絆を出発点に、地域の人間関係も広がっている。
協力隊の任期を終えた今年はいよいよ一人立ち。3月下旬から始まる念願の初収穫を控え、覚悟は決まっている。周囲の農家がさまざまな面で支えてくれたことに「恩返し」していくことが今後の目標だ。
「やるべきことはやった。経営を早く軌道に乗せ、自立した姿を見せることで地域に報いたい」と決意を語る。
農のひととき
地域で鹿などの食害が大きいことを知り、2年前にわな猟の狩猟免許を取得。昨年秋に、仕掛けたわなで初めて鹿1頭を捕獲した。自らさばいた肉をシチューやジャーキーに加工して食べ、うまさに驚いたという。ジャーキーは知人の子どもたちにも好評で「自衛手段以外に、ジビエとしての価値を知った」。今後も余暇のわな猟で、駆除と食肉利用の一石二鳥を狙うつもりだ。
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2021年03月14日

[未来人材] 23歳。シュンギク周年栽培 10アール収部会平均の2倍 夢だった専作を実現 福岡市 福田篤さん
福岡市のシュンギク農家、福田篤さん(23)は、地域で難しいとされていた周年栽培で「シュンギク一本で食べていく」という夢を実現した。約30人が所属するJA福岡市春菊部会西支部で、最年少ながら部会平均の10アール当たり収量の約2倍を達成。JAも期待する若手農家として、部会を引っ張る。
兼業農家だった祖父を手伝う中で、農業が好きになった。12歳の時に祖父が亡くなったが、会社勤めの両親は農地を継がなかった。「それなら俺が引き継ぐ」と決意。20歳でハウスを継ぎ、小松菜とシュンギクの栽培を始めた。
シュンギクは高温や病害虫に弱いため、近隣では冬場に育てて、夏場は小松菜や水菜を育てる。福田さんもそれに倣って始めたが、経験不足で収量が安定せず、1年目で「やめようと思った」という。
迷いが生じた時、シュンギク農家の浜地和久さん(70)に出会った。周年出荷で部会首位の収量を維持し、休暇も確保してシュンギク一本で稼ぐ浜地さんに、衝撃を受けた。自分もシュンギク一本でやる――。浜地さんに師事しながら誰よりも必死に勉強し、就農2年目にはシュンギクに一本化した。
夏場の収穫は「ひと手間」が大きく左右する。部会では米ぬかを土壌にまいて被覆消毒をするが、一輪車などに載せてまくことが多く、場所によってばらつく。
福田さんはいったん小分けにした米ぬか袋を5メートル間隔に置き、隅々まで均一に散布することで、夏の収穫量を安定させている。かん水の間隔も、根が効率よく吸水する浸透基準を基にする。「忙しいからと手を抜いたり、作業を後回しにしたりすると、夏場は一瞬で駄目になる」という。
周年栽培は徐々に安定し、就農当初の迷いもなくなった。20年には部会の10アール平均収量が3・5トンの中、同6トンを達成した。JA西グリーンセンターの井浦健士郎さんは「部会約50人の中で、夏場に安定出荷をする会員は1割程度だ。技術力が高い」と感嘆する。
近隣農家が諦めた周年出荷を実現したことで「親も見直しているのではないか」と福田さんは誇らしげだ。
農のひととき
福岡のシュンギクは生でサラダがお勧め。妻は市外出身で、初めて生で食べて感動した。昨年生まれた子どもも、離乳食としておいしそうに食べている。
農業は仕事とプライベートの時間を調整できる点が魅力。就農当初は休みを取れなかったが、今は週休2日を確保。家族と過ごす時間を大切にしている。仕事のやる気にもつながる。
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2021年03月07日

[未来人材] 36歳。コンサルから転身 Jターンし夢を実現 雪害負けず規模拡大 岡山県高梁市 津山純平さん
岡山県高梁市の津山純平さん(36)は、13年勤めた大手流通企業を退職し、2020年春にトマト農家として新規就農した。都会でコンビニのコンサルティング業務に携わっていたが、独立への憧れと家族との時間を優先させたいとの思いから、Jターン移住を決断。物を売る側から作る側へと立場を変えた。就農直後には雪害に襲われ、自然の脅威を実感したが、それでも、失敗を恐れず挑戦し続ける。
津山さんは同県倉敷市出身。大学卒業後は、東京都と愛知県で、コンサルティング担当として業務に励んだ。個人事業主を相手に、店舗立ち上げから経営指導、品ぞろえ、従業員の教育まで、関わった店舗数は100以上だ。
激務で休日もなく、35歳を前に将来を考え直した。就職後に引っ越しを6回経験し「好きな仕事だったが、地に足を着けて仕事をしていないような気がした」と津山さん。夢だった独立を決意し、興味があった農業経営を選んだ。
移住先は、互いの実家に行き来しやすいよう、倉敷市と妻の出身地の島根県出雲市との中間地になる高梁市備中町に決めた。19年4月に移住し、採算性が高い夏秋トマトを栽培しようと、ベテラン農家の下で1年間研修した。
20年に、離農した農家のハウス12アールを引き継ぎ、独立。しかし、苗の定植直前の4月中旬、季節外れの大雪で3アール分のハウス4棟が倒壊してしまった。栽培に備え早めに準備していたことが響いた。「農業は自然との闘い」と聞いてはいたが、それを目の当たりにして落ち込んだ。同時に、自分が独立したことを改めて実感した。
無事だったハウス9アールで定植し、7~11月に12トンを出荷。栽培期間はあっという間に過ぎた。研修先の農家や県の農業普及指導センターとの連絡を密にし、疑問はすぐに解決させたことで、満足のいく収量と品質を実現した。
2年目の21年産は、高梁市が運営する営農団地「榮農王国山光園」に入植し、40アールを手掛ける計画だ。規模はかなり広がるが、津山さんに迷いはない。前職時代で培ったスケジュール管理も生かし、経営者として効率・採算性を高めた経営を目指す。
農のひととき
「これまで当たり前だったことが非日常になった」と津山さん。妻と2人で標高500メートル地点に住み、スーパーまで車で30分かかる。移住当初は不便を感じたが、今は、買い物に行くこともイベントになり、楽しんでいる。実家の家族と会う機会も増えた。これまで1年に1回しか会えなかったが、1カ月に1回は会い、交流を深めている。
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2021年02月28日

[未来人材] 37歳。古き良き水ナス探求 10年かけ種“里帰り” 栽培技術の確立挑む 大阪府貝塚市 北野忠清さん
昔の水ナスはもっとおいしかった――。大阪府貝塚市の北野忠清さん(37)は祖父のこの言葉をきっかけに、同市を含む泉州地域の特産「泉州水なす」の原点となる水ナスを探し当て、生産の仕組みづくりに力を注いでいる。約10年かけて新潟県から種の「里帰り」を実現。絶滅したと思われていた水ナスを未来につなごうと、種の固定化や栽培技術の確立に挑む。
「今の水ナスと昔の水ナスは違う」。IT関連会社を退職し、祖父と一緒に「泉州水なす」の栽培に励んでいた2008年ごろ、たびたび祖父が口にしていた。品種改良が進む前は赤紫色の巾着形で、今より皮が薄く甘味が強かったという。
北野さんは「昔の水ナス」を突き止めようと調査を開始。生産者や研究者、学芸員ら50人以上に聞いて回った。自家採種した種も分けてもらい、20種類以上を栽培したが、「泉州水なす」になっていたり、芽が出なかったりと、ことごとく失敗。「本当になくなってしまっているのでは……」と不安が募った。
諦めかけていた16年、新潟で「昔の水ナス」が見つかったとの知らせが舞い込んだ。畑に駆け付けると、色、形、食味、全てが祖父の話に合致した。栽培の難しさから、新潟の生産者もあと1年遅ければ、やめていたかもしれないという。祖父が亡くなってからちょうど1年後だった。祖父が引き合わせてくれたとしか思えなかったという。
最初は種の提供を断られたが、熱い思いが通じ、17年に種の“里帰り”が実現。ぬか漬けにするとパイナップルのような風味になることから「フルーツ水なす」と名付け、栽培しながら採種や選抜を進める。気候で形が変形しやすいなど課題は多いが、「祖父たちが作ってくれたブランドにぶら下がるだけでは駄目。100年後も維持できるブランドをつくりたい」。
「泉州水なす」のブランド強化だけでなく、新規独立就農者の育成や、消費者が生産現場に触れるきっかけづくりにも精を出す。既に研修生7人が独立を果たし、年間約150人の援農ボランティアも受け入れる。「農業に対するハードルが高過ぎる。もっと間口を広げていきたい」。農業の明るい未来が芽吹くよう、今日も“種”を落とす。
農のひととき
収穫した「泉州水なす」は、煮びたしや生のままサラダとして食べるのが一押し。昨年10月からは本格的に「農Tuber(ノウチューバー)」としても活躍する。「情熱!ファーマーズ!」と題したチャンネルで、土づくりなどの生産現場や新規就農希望者へのメッセージなどを配信。他にも、苗の早植え対決や農園スタッフによる「ドッキリ」など、企画立案に頭をひねる毎日だ。
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2021年02月21日