震災10年の軌跡 復興の壁に続く試練 民俗研究家 結城登美雄

結城登美雄氏

 3・11東日本大震災から10年の歳月が流れた。感染が拡大する新型コロナウイルス禍の影響を受けてか、近頃は震災復興への関心が日に日に薄れゆくように感じている。

 私はこの10年間ひたすらに岩手・宮城・福島3県の沿岸漁村を中心に定期的に訪ね歩き、被災した人々がどのように復興の道を歩もうとしているのかを見詰め続けてきた。
 

海と生きる決意


 しかし、それにしても被災地の海岸線は長く、かつ複雑に入り組んでいる。海岸線の距離は3県合わせて1700キロほど。これは新幹線で青森駅を出発し、東京経由で広島駅辺りまでの距離に匹敵する。その海岸線沿い5、6キロごとに263の漁港があり、そこを拠点に海仕事をする438の漁業集落が肩を寄せ合って暮らしていた。

 それが、3・11の大津波によって住まいはもとより漁港、漁船、漁具などが全て破壊され、多くの命が奪われた。私が訪れた初期の頃、人々は深い悲しみと苦しみの中で「もう二度とここには住みたくない。海を見るのも嫌だ」と拒絶していたが、訪ねるたびに少しずつ言葉と行動が前向きになったと感じた。

 この数年、現地を支配する圧倒的風景は、3県で延べ400キロ、予算1兆円を投じた巨大防潮堤工事の連続である。そして浸水した市街を10~20メートルの高さにかさ上げする盛り土工事、高台移転地造成の山崩し工事も進む。行き交うものは、おびただしい数のダンプカーと重機のみ。さながら土木復興劇場だ。車で海辺を走っても海は全く見えず、「ここはどこ?」と戸惑うばかり。
 

温暖化、処理水…


 私にとって、漁業者とは農業者同様、大切な命の食料を私たちに代わって取ってくれる人、との思いが強い。一方、魚はリスクの多い厳しい自然に働き掛けなければ手に入らない。金さえあれば何でも手に入ると思い込んでいる人には分かるまいが、どんなに豊かな海があっても、そこに向けて船を出し、網を入れて引き揚げる漁師がいなければ、私たちの食卓に魚はないのである。

 今、その漁師たちが苦しんでいる。10年前、全てを失い、思い悩み、迷いながらもようやくにして「もう一度、海に生きる」と決意した漁師たちを襲う新たな問題。地球温暖化で海水温や海流が変化し、これまで取れていたサンマやイカなどが極端な不漁続き。加えて、福島第1原発の処理水の海洋放出が決定し、風評被害の再燃が心配されている。日本にとって漁業は農業と同じく重要な生命産業である。漁師たちの声を受け止め、解決の道を探りたい。

 ゆうき・とみお 1945年山形県生まれ。山形大学卒業後、広告デザイン業界に入る。東北の農山村を訪ね歩いて、住民が主体になった地域づくり手法「地元学」を提唱。2004年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
 

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