ひまわりプロジェクト10年 “大輪の応援”に支えられ 全国から届く“種”で食用油製造 福島市の福祉施設

全国の支援者から送られてきた手紙。「みんなの手」と印字された瓶にひまわり油が入っている(福島市で)

 ヒマワリの種を圧搾して食用油を製造、販売する福島市の障害者福祉施設の授産活動が2011年3月、東京電力福島第1原子力発電所事故で中断を強いられた。それを知った県外の人々がそれぞれ育てたヒマワリの種を贈り、授産活動を支え、共生社会を目指す「ひまわりプロジェクト」が始動したのは12年。支援の輪は全国へ広がり、10年目の今年は350以上の学校や市民団体、農家らが参加し、耕作放棄地の活用も進む。1日、念願の福島での栽培が再開される。(栗田慎一)
 

原発事故で自家産“断念”

 

育ててもらう種を支援者に送る袋に同封するメッセージを書く障害者の男性(福島市で)
 種まきを前にした4月下旬、福島市渡利にある授産施設「ベーシック憩(いこい)」で、知的障害者らが一輪咲きの食用種「パイオニア」の種を袋詰めしていた。育ててくれる全国の支援者に送るためで、小さい頃から絵を描くのが大好きな女性(29)はメッセージカードにイラストを描きながら「障害者も頑張っていることを知ってもらえてうれしい」と言った。

 種は毎年、プロジェクトを運営する特定非営利活動法人「シャローム」がJAから購入している。支援者らはその種を育て、秋に実った種を「憩」に送り返す。圧搾法による純度100%のひまわり油となり、商品名「みんなの手」として販売されることで障害者のなりわいになっている。

 原発事故は、「憩」を運営する一般社団法人「シャローム福祉会」が県内で育てたヒマワリの種から食用油を圧搾する授産活動を始めた直後に起きた。JA福島中央会や農家も関わる農福連携として注目されたが、福祉会の大竹隆理事長は「土壌の放射性物質が種に移行しないことが確認されたが、風評への懸念から諦めざるを得なかった」と振り返る。

 社会的弱者は災害弱者にもなる。障害者は収入を失い、避難も難しい状況に置かれた。そんな現実を知った阪神大震災の被災地、神戸の人々や同会とつながりのある県外の仲間たちが「ヒマワリを代わりに育てよう」と提案したのがプロジェクトのきっかけだった。

 支援の輪は口コミやインターネット交流サイト(SNS)を通じ、北海道から沖縄まで拡散した。プロジェクト事務局の吉野裕之さん(54)は「種を送っていない学校や団体、個人から育てた種が送られてくるようになった。僕らが送った種が次々と誰かの手に渡っていった」と感謝する。

 東京では都立深沢高校を起点に計13の高校に広がった。都立国分寺高では今春、ちらしを作り、新入生らに「ヒマワリを育てませんか」と呼び掛けた。福岡ではグリーンコープを中心に支援が広がる。
 

きょう、福島で栽培再開


 シャローム代表の大竹静子さん(73)は「プロジェクトの広がりとともに障害者に対する社会の理解も進んだ」と言い、福島で10年ぶりの栽培再開を決めた。1日、福島市内で種を植える。

 県内を中心に店舗展開するスーパー「いちい」が今春、「みんなの手」など授産施設で作られた食品の店内常設を決めた。スーパーでの常設販売は全国的にも珍しく、“商福連携”として注目を集めている。農福連携に取り組む福島市内の複数の果樹農家は、摘花作業に携わった障害者の仕事ぶりに感動し、「毎年働いて」と期待する。

 昨年は長雨と新型コロナウイルスの影響で、全国から送られてきた種は例年より2割少ない1・2トンだった。圧搾法で製造できる油は種1キロで180グラム(瓶詰1本分)と少ないが、施設利用者の男性(20)は「みんなが大切に育ててくれて本当にすごい」と喜ぶ。「憩」の高野真哉施設長は「耕作放棄地でヒマワリを育てたいという農家もいる。健康に良い国産ヒマワリ油が普及すれば、障害者の自立や食料自給率の向上にもつながる」と言った。

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