石川県内灘町は金沢市に隣接し、能登半島の付け根にある日本海に面した「石川のミルク王国」だ。能登半島地震の震源から120キロと離れているが、大地が大きく沈降・隆起し、多くの埋設水道管が破断したままだ。酪農家たちは連日、牛の飲用水を確保するため、給水先の消防署に何度も往復しながら、「能登の被害はもっとひどい。弱音を吐くわけにはいかない」と疲れ切った体を鼓舞している。
県内最大の酪農団地が広がる湖西地区。地震から10日が過ぎた11日、複数のトラックが、液状化でぬかるんだ道を走り回っていた。その1台に乗り、「グッチファーム」を経営する野口浩一さん(66)が「毎日5回は往復して水を運んでいる」と言った。
同ファームは乳牛80頭、和牛20頭を飼育・肥育している。地震のあった1日夕から水が止まり、牛に与える計1万リットルの飲用水が確保できなくなった。日没後、牛の悲鳴が地区内に響いた。
2日夜明け前、いつも通り集乳車が来て安堵(あんど)した。一方、断水は長期化する見通しとなり、車で20分の距離にある消防署が給水を始めた。従業員3人と河北潟酪農組合の組合員とで近隣の農家や親類宅から貯水用タンクを借り受けて回った。100頭分の水を確保できたのは地震から24時間後の同日夕。牛たちは必死の形相で水を飲んだ。
丸1日水を飲めなかった影響は大きく、乳量は今でも2割程低下している。「被害がひどい能登では集乳さえできていないと聞く。僕らはまだ良い方」。夜明け前から深夜まで働きづめの野口さんが11日、自らを奮い立たせるように言った。
ただ、内灘町の被害も深刻で、生活復旧の見通しは立たない。道路は最大で1メートル以上も沈降・隆起し、家屋の1割近くが倒壊するなどしているが、罹災(りさい)証明に必要な被害認定はこれからだ。
命を守る活動が優先され、農業被害の調査は始まっていない。周辺を車で走ると道路沿いの畑にも複数のひび割れが見え、被害の大きさをうかがわせた。
<メモ> 内灘町の酪農
金沢市や内灘町など2市2町にまたがる河北潟干拓地が国営事業で開かれ、1981年に酪農家の入植が始まった。飼料畑も整備され、同県の年間生乳生産量の5割近くを占める「石川のミルク王国」に成長した。