あんぐる
守り伝えたい農村の風習や新しい農業・農村の動き、農や食にまつわる各地の話題などを、カメラで追います。

[あんぐる] 美味の証明 防蛾灯輝く梨園(石川県加賀市)
「加賀梨」の産地として知られる石川県加賀市奥谷町。夜更けに市の中心部から車で20分ほど走り林道を抜けると、黄色い光に包まれる。特産の梨を害虫から守る「防蛾(ぼうが)灯」の光だ。面積32ヘクタールの梨園には、約1500本の防蛾灯が等間隔に並び、地域では、“奥谷100万ドルの夜景”と呼ばれている。
防蛾灯を設置するのはJA加賀の組合員25戸でつくる「奥谷梨生産組合」。県内最大の園地面積を誇る。
防蛾灯は、ガが嫌う波長の光を放ち、梨に寄せ付けにくくする機器だ。碁盤の目のように整備された園内全体に設置し、夏場は、午後6時から午前6時までの12時間にわたって点灯する。
梨の生育具合を確かめるベテラン農家の上坂さん
農家の上坂武志さん(79)は「防蛾灯があることで、重労働の袋掛けをせずに育てられる。無袋栽培なので太陽の光をしっかりと浴びて甘く仕上がる」と利点を話す。
防蛾灯は出荷が始まる10日ほど前から、収穫が終わる10月上旬まで点灯する。今年は7月31日に早生の「愛甘水」から出荷がスタートした。8月上旬に「幸水」、9月上旬から「豊水」「あきづき」などに切り替わり、関西の市場を中心に出荷する。
地域で梨栽培が本格的に始まったのは1977年。地元農家らが、松林を切り開き植樹を始めた。防蛾灯は、収量が安定してきた84年ごろから、広大な園地を少ない労力で管理するために導入した。
農家の高齢化が進む現在、組合は就農希望者を積極的に受け入れ、後継者育成に取り組む。希望者には本格的な就農の前にベテラン農家の園地で研修を実施。栽培技術を身に付けやすい環境を整えたことなどで、直近5年間で計6人が就農した。
組合長の岩山則生さん(60)は「後継者を育て、この景色をいつまでも守っていきたい」と話す。(富永健太郎)
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2020年09月07日

[あんぐる] あなたの備え支えます 「防災の日」─農業の多面的機能
農業・農地には、災害時に食料や水を提供したり、災害支援の拠点となったりして人の命を守る防災機能がある。多面的な機能の一つだ。JAグループは防災食の開発で機能を強化する。大規模な水害や地震は、いつ発生してもおかしくない。「防災の日」に農業・農地の価値を改めて認識したい。
精米備蓄倉庫(千葉市)
倉庫や工場が建ち並ぶ千葉市内の工業団地に、ひときわ大きな建物がある。災害に備えて精米を保管する倉庫だ。温度や湿度を一定に保った庫内には10キロずつに小分けされた精米80トンが積み上がる。万が一の場合に、被災地でご飯がすぐに食べられるようにしている。
政府は現在、精米備蓄事業として約500トンを保管する。これは2011年の東日本大震災の発生から1カ月ほどの間に、被災地で必要とされた量に相当する。16年に発生した熊本地震の際は、約86トンを被災地に送った。
精米は1年間保管して、菓子などの加工用米として販売し、翌年産の米と入れ替える。農水省は「被災地ですぐに使えることが重要。無洗米で保管する」と説明する。(富永健太郎)
避難場所(東京都西東京市)
岡さんの畑に立つ「災害時協力農地」の看板。自衛隊や市、消防などとの連携で毎年、防災イベントを開く(東京都西東京市で)
災害発生時に、農地を地域住民らの避難場所として開放する「災害時協力農地」。JA東京みらい管内の西東京市には、この農地が107カ所ある。市内の農業体験農園「トミー倶楽部(くらぶ)」代表の冨岡誠一さん(61)は「東日本大震災の時には、地元住民らが畑に避難してきた。食料の供給だけでなく、地域住民に『近くに避難できる場所がある』と安心してもらうことも農業の役割」と話す。(釜江紗英)
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2020年08月31日

[あんぐる] 被爆75年 平和の花開く 全国都市緑化ひろしまフェア(広島市)
花や緑に平和への祈りを込めた緑化フェアが、被爆75年を迎えた広島市で開かれている。原爆ドームに隣接したメイン会場には現在、広島県産を中心とした300品種・12万本の花き類が並ぶ。地元農家は、広島から恒久平和の実現につながるようにと、会場を彩る花や緑の生産に励む。 広島は世界で初めて核兵器が使われた都市だ。市が把握している犠牲者はこれまでに約8万9000人。今でも多くの人が被爆の後遺症に苦しむ。事務局の光武聡一郎さん(55)は「被爆地は、原爆が投下されてから『75年は草木も生えない』と言われたこともある。たくさんの県内産の花が会場を彩る光景を見てもらえれば、平和の大切さが感じられるはずだ」と、第37回全国都市緑化ひろしまフェア「ひろしま はなのわ 2020」の開催意義を説く。
広さ約1万3000平方メートルのメイン会場には、ニチニチソウやマリーゴールド、キキョウなどの県産花きが敷き詰められている。江田島市の村上農園代表、村上浩司さん(49)は緑化フェアにニチニチソウを1万鉢出荷した。「節目の年の緑化フェアに携われるのはとても光栄。県内の農家の祈りが込められた花や緑で会場を彩りたい」と話す。県内の農業高校6校もパンジーやビオラを生産し盛り上げた。
緑化フェアメイン会場に隣接する平和記念公園で千羽鶴を奉納しに訪れた女性ら。原爆ドームが静かに見守る
会場では旧広島市民球場の外周に沿って立体花壇が並ぶ。世界遺産の厳島神社や原爆ドーム、棚田など名所をミニチュアで再現した「ひろしま百景花壇」は、県内を旅行した気分になれると来場者から好評だ。「HANANOWA」の箱文字もフォトスポットとして人気を集める。プロ野球・広島東洋カープの選手を形作った立体花壇、イザナミノミコトを囲む多肉植物の花壇など見どころは多い。
希望と思い出ゾーンは、戦後から復興への歩みを振り返り、平和と復興のメッセージを世界に発信する。にっぽんピースガーデンでは、静岡県浜松市や神戸市などが平和をテーマに花壇を造った。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、来場者に検温を実施し、消毒液を設置している。メイン会場の他、県内4カ所に協賛会場がある。(釜江紗英)
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2020年08月10日

[あんぐる] コ~ンな冒険待ってたよ トウモロコシ畑の迷路(福島県鏡石町)
福島県鏡石町に7月中旬、飼料用トウモロコシでできた巨大な迷路が現れた。造ったのは、国内での本格的な西洋式酪農の発祥の地として知られる観光牧場の岩瀬牧場。迷路の面積は1.3ヘクタールと東北地方で最大級の規模。密集や密閉、密接を避けながら、酪農に触れられる観光スポットとして、早くも家族連れの人気を集めている。
迷路に入ると、挑戦者の前に3メートル近い高さの飼料用トウモロコシが立ちふさがる。緑の壁に囲まれながら3カ所のチェックポイントを回り、スタンプを集めて出口を目指す。総延長は約1.5キロ。ゴールまでにかかる時間は平均20分で、1時間ほどかかる人もいる。
同県西郷村から家族で訪れた佐藤佑太郎くん(8)は「難しくて途中で迷子になりそうだった。長い旅だった」と、探検後の汗を拭った。
新型コロナウイルスの影響で牧場は、4月20日から約4週間にわたって休業を余儀なくされた。一年で観光客が最も多く訪れる時期で、経営は大きな打撃を受けた。
安全に楽しめる催しを模索する中、トウモロコシ迷路に行き着いた。
芝刈り機で雑草を刈り、迷路の通路を整える伊藤さん
5月上旬に種をまき、高さ30センチほどに育ったところで、芝刈り機で通路部分を刈り取って迷路にした。代表の伊藤喬さん(40)は「いつ再開できるのか、不安を抱えながらの作業だった」と振り返る。
感染防止を徹底するため、通路の幅は2.5メートルと広めにし、すれ違っても“密”にはならない。来場者が多いときは迷路に入る人数を制限し、密集を防ぐ。対策が理解され、多い日には1000人以上が訪れる。伊藤さんは「自粛や休校でたまった子どもたちのストレスを発散できる場所だ」と話す。
1880年に開業した牧場には、明治時代の牛舎や日本初のコンクリートサイロなどが残る。展示物を通じて酪農の歴史を解説する支配人の橋本政宏さん(72)は「迷路の後に展示物も見て、現代酪農の初期の姿を感じ取ってほしい」と話す。(富永健太郎)
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2020年08月03日

[あんぐる] ドライがうまい 食用花の加工に挑む(滋賀県東近江市)
食べられる花(エディブルフラワー)の押し花やドライフラワーで普段の食卓を彩り、「おうち時間」の食を楽んで──。
提案するのは滋賀県東近江市の「87farm(ハナファーム)」代表の増田健多さん(32)。トレニアやナデシコ、ベゴニア、ビオラといった約10種類の食用花の生産から、全国でも数少ない加工まで手掛ける。“視覚調味料”として日常的に利用されるようになるまで挑戦を続けていく。
増田さんは、約60平方メートルのビニールハウス4棟で食用花を専門に栽培する。豊富な地下水をたっぷりと用い、温度管理に細心の注意を払う。化学合成農薬は使わない。花が最も美しい状態で収穫し、すぐに水にぬらした筆で花に付いた不純物を取り除く。
加工作業を自ら行うのが増田さんの経営の特徴だ。乾燥機で水分を飛ばしてドライフラワーにしたり、押し花にしたりすると、保存しやすくなって付加価値が高まる。装飾性の高いパッケージに詰め込めるメリットもある。「贈り物にぴったり」と消費者の評価は高い。プラスチックケースが必要な生花に比べ、流通コストも安くなる。
ハウスで食用花を収穫する増田さん
押し花やドライフラワーは主にインターネットで販売し、生花は地元の洋菓子店やレストランを中心に出荷する。最近では、家庭向けの押し花やドライフラワーが伸びている。「新型コロナウイルスを避けようと、自宅で料理を作る家庭が増えたからだろう」と分析する。
食用花の生産は、地域おこし協力隊の隊員として市内の商店街に立ち上げたカフェのメニューに食用花をトッピングしたところ、「味までおいしくなった」と言われたことがきっかけ。農家視察などで研究を深めてから、園芸店を営む実家のハウスで栽培をスタート。2018年に「87farm」を立ち上げた。
活動の原動力は「食用花を身近な存在にしたい」という一念。より手軽さを追求しようと、フリーズドライ加工の研究も進める。「食べるという側面から、花が持つ癒やしの力を引き出せば、日常の食生活がもっと豊かになるはずだ」と力を込める。(釜江紗英)
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2020年07月20日

[あんぐる] メガファーム 支えるメカ スマート酪農(北海道)
高齢化による酪農家の減少で、急速な多頭化が進む北海道酪農。農家やJAは、情報通信技術(ICT)やロボットなどを取り入れ、搾乳と哺育、飼料製造の効率化を加速。少ない労働力でも対応できる手法を模索する。スマート酪農の最先端を写した。(富永健太郎)
搾乳
希望農場(中標津町)は、全国で初めてロータリー型搾乳ロボットを導入した。計24室のボックスが直径約10メートルの円状に並び、時計回りに回転しながら乳を搾る仕組みだ。
牛がボックスに入ると、5本のロボットアームが動きだし、乳頭の位置の認識、洗浄、前搾り、搾乳、消毒までの工程を自動で行う=写真下。搾乳牛260頭を飼養する希望農場で搾乳作業を担当するのは社員1人だけだ。
代表の佐々木大輔さん(49)は「重労働の搾乳作業から解放された。農業の人手不足は深刻だが、ここで働きたいと言ってもらえる、魅力ある酪農経営をしたい」と展望を語った。
哺乳
総飼養頭数1270頭の中山農場(別海町)は、子牛へのミルクやり作業を、自動哺乳ロボットで省力化した。高さ約1・5メートルのロボットが、天井に設置したレールに沿って移動。1日4、5回、牛舎内を回って哺乳する。導入前には6時間ほどかかっていたが、今ではロボットが担う。社長の中山泰輔さん(33)は「小まめな哺乳で子牛の負担が減り、病気や事故は導入前の半分以下に抑えられた」と手応えを話す。
子牛へのミルクやり作業を省力化する自動哺乳ロボット
飼料製造
牧草やトウモロコシなどが原料の混合飼料(TMR)製造の効率化を研究するのは、中標津町のJAけねべつTMRセンターアクシス。衛星利用測位システム(GPS)を活用し、事務所から収穫機や運搬用トラックの位置や作業の進捗(しんちょく)状況を把握。管理・収穫にかかる時間を短縮する。
牧草などの発酵に必要な重機での踏圧作業の回数を可視化する仕組みも取り入れた=同右。熟練の技術を経験の浅い職員でも身に付けやすくした。
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https://www.youtube.com/watch?v=gBx1hBpQwR0
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2020年07月06日

[あんぐる] 折り目正しく 坂元棚田(宮崎県日南市)
宮崎県日南市。市内の最高峰、小松山の麓に長方形の石垣田が整然と並ぶ。「坂元棚田」は昭和初期に完成し、“最後の棚田”とも呼ばれる。地元農家らがこつこつと積み上げて造った耕地は直線の多い造形で、南国の緑深い自然と調和する。地域ならではの景観を残そうと、酒谷地区の農家らは「坂元棚田保存会」を組織。棚田オーナーの助けも借りながら稲作を続ける。
坂元棚田は、標高255~315メートルの中山間地に位置する。小松山の斜面地に開かれた上部の「坂元上」と下部の「坂元前田」で構成し、合わせて約110枚。高さ約2メートルの石垣は全27段に達する。総耕作面積は6ヘクタール。水田1枚当たりの面積は約5アールだが、傾斜が急な箇所では約3アールと小さくなる。
造成が始まったのは1928年。かや場を水田に転換し、食料増産につなげる狙いだった。工事が始まった当初は職人を招いていたが、途中から酒谷地区の農家が作業を担うようになった。家族総出でも水田1枚の完成に1年かかったという。石は全て現地で調達した。
馬耕を前提とした造りが特徴だ。直線が多い棚田になり、農機での作業もしやすい。保存会会長の古澤家光さん(75)が「かつては、どの家も馬を飼っていた。馬が効率的に農作業ができるように区画や農道を整備したからだ」と説明する。
高さ2メートルを超える石垣。古澤さんは「石の積み方に、積んだ人の性格が出ている」と笑顔を見せる
稲作は棚田オーナーら県内を中心とする都市住民との共同の取り組みとなっている。品種は「ヒノヒカリ」で、年間収量は約27トンになる。25組のオーナーに配る他、道の駅でも販売。棚田米を使った地元の酒造会社が造る地ビールは広く人気を集める。
ただ、台風や大雨のたびに石垣が崩れたり、水路が詰まったりするため、手入れが欠かせない。保存会の坂元実さん(65)は「水路を補修した回数は数え切れない。過去には大規模整備事業も行われた」と話す。それでも、国の重要文化的景観にも選ばれた宝を守っていこうと、地域は団結している。(釜江紗英)
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2020年06月29日

[あんぐる] 初夏の“雪”これからも 因島の除虫菊(広島県尾道市)
広島県尾道市の因島。フェリーボートがゆったりと波の穏やかな瀬戸内海を進む。向かう先の重井西港を見下ろす丘の一面に、除虫菊が白色のじゅうたんのように広がる。蚊取り線香などの原料として盛んに栽培されていた作物だ。需要はなくなってしまったが、地元農家が島の農業を支えた花に感謝を込め、観光用に管理を続ける。
除虫菊はキク科の多年草で、和名はシロバナムシヨケギク。地中海・中央アジアが原産といわれる。子房などに殺虫成分を含み、蚊取り線香や殺虫剤の原料となる。日本へは明治時代初期に持ち込まれた。
因島は国内有数の産地で、最盛期の1940年には350ヘクタールの栽培面積を誇った。かつて除虫菊を栽培していた大出金三さん(77)は「山の頂まで除虫菊が植えられ、雪が積もったように見えた」と振り返る。
因島フラワーセンターで栽培される除虫菊の苗
50年代後半から安価な海外産の台頭や殺虫成分の化学合成が可能になったことなどで需要が激減。経済栽培は姿を消した。
地域で再び花が見られるようになったのは81年。地元農家が景観づくりのために栽培を復活させた。「御殿が建つほど島の農家は潤った。今では感謝を込めた栽培だ」と話す大出さんは現在、仲間と3アールで栽培している。この他にも島内では、栽培の取り組みが5カ所に広がっている。
使い方を後世につなぐ取り組みも進む。地元農家らでつくる「因島除虫菊の里連絡協議会」は2015年に、線香の手作りキットを売り出した。島内産の除虫菊粉やタブノキの粉、説明書などがセットになっており、粉を水で練って乾燥させると昔ながらの線香ができる。
除虫菊の試験場だった植物園「因島フラワーセンター」は、定期的に手作り線香教室を催している。同会事務局の岡野八千穂さん(46)は「刺激の少ない懐かしの香りが楽しめる。家族で線香を作ってほしい」と提案する。(富永健太郎)
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2020年05月25日
あんぐるアクセスランキング
1
[あんぐる] 今年の顔です 嶺岡牧の白牛(千葉県南房総市)
今年は丑(うし)年。千葉県南房総市は、日本酪農発祥の地として知られる。同地にある県の酪農の歴史を伝える施設「酪農のさと」では、国内で初めて乳製品の加工を目的に飼育されたと伝わるゼブー種の牛「白牛(はくぎゅう)」がのんびりと過ごしている。
白牛は、白い毛と長く垂れた耳の愛らしい見た目。暑さに強く、あごの下の胸垂のたるみや、背中のこぶといった特徴がある。海外では乳肉兼用の牛で、ホルスタインのような大きな乳房はない。
江戸時代の1728年に、将軍の徳川吉宗がインド産の白牛3頭を輸入。軍馬を育成していた同地の「嶺岡牧」で飼い、とれた乳を砂糖と煮詰め薬用の乳製品「白牛酪」を作ったことが記されている文献が残る。その後、白牛は70頭まで増加し、乳製品が献上品から庶民への販売品になった記録もある。しかし、明治期に発生した牛疫で同地から白牛は姿を消した。
施設には乳牛や地域の酪農の歴史を学べる資料館がある
嶺岡牧はその後も、牛の改良や繁殖を研究する場として牛が飼われ続け、現在の酪農の基盤をつくった。県は同地を「日本酪農発祥地」として1963年に史跡に指定。現在も「酪農のさと」の隣に、約30ヘクタールの放牧地と県の嶺岡乳牛研究所があり、乳牛受精卵の供給や放牧技術の研究を進めている。
「酪農のさと」では、95年のオープン以降、同地のシンボルである白牛を国内で唯一、継続的に飼育。現在は、雌3頭が飼われ、そのうち2歳の2頭は、2019年にオーストラリアから導入した“新人”だ。3頭とも性格は穏やかで、日中は屋外で日なたぼっこをしたり、干し草を食べたりして、過ごしている。
同施設の押本敏治所長は「今は冬毛でグレーになっているのが見どころ。インドでは神の使いといわれ、縁起が良い牛です」と話す。(染谷臨太郎)
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2021年01月11日

2
[あんぐる] 売り切れ御免秘伝の甘味 日本最北限のサトウキビ畑と「よこすかしろ」(静岡県掛川市)
日本最北限のサトウキビ栽培地とされる静岡県掛川市南部(旧大須賀町横須賀)で、地砂糖「よこすかしろ(横須賀白)」の製糖が続いている。11月下旬から2月までしか作られない希少品で、起源は江戸時代にさかのぼる。戦後になって衰退するが、「伝統産業をもう一度」と願う有志らが1989年に復活させ、今では毎年20トンの製造が見込めるようになった。
風力発電施設を臨む畑で刈り取られるサトウキビ。風が強い一帯で2メートルほどにまで育つため、農地の防風にも利用されていたという
よこすかしろは、高級砂糖「和三盆」の原料にもなる白下糖(しろしたとう)。横須賀藩の武士が18世紀末に身分を隠して四国へ渡り、秘伝とされていた製糖技術を習得するとともに、サトウキビの苗を持ち帰って広めたと伝えられる。以来、産業として地元に根差すが、1950年代半ばになると、安価な輸入砂糖に押され、庭先に残されたわずかなサトウキビが、各家庭で消費されるほどになってしまった。
有志たちはまず、地域に残ったわずかなサトウキビから苗を育てて7アールの畑に作付けし、辛うじて製法を知る高齢者から技術を学んだ。年々耕作地を拡張し、今では作付けを40アールにまで広げ、2013年には製法を伝承するための「よこすかしろ保存会」を発足させた。19年からは大須賀物産センター「サンサンファーム」の一角で製糖を続ける。
200グラム800円。サトウキビから取れる砂糖は約8%のため、10キロから800グラム程度しか取れない。しかも、よこすかしろの製糖は全て手作業のため、1回4時間をかけて作れるのは25キロ未満。だが、保存会の松本幹次さん(68)は「収益性を上げるより、地域の文化を後世に残すことこそが目的」と話す。
コーヒーや紅茶に入れても、煮物や菓子に使っても上質な甘さが好評だが、そのまま口に入れるのが一番のお勧め。試食すると、甘さの中にほんのりとした塩味や独特の風味が感じられ、素材の味が広がる。よこすかしろと、それを使った製品は「売り切れ御免」。サンサンファームの他、市内の道の駅や老舗菓子店でも販売される。(仙波理)
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2021年01月18日

3
[あんぐる] メガファーム 支えるメカ スマート酪農(北海道)
高齢化による酪農家の減少で、急速な多頭化が進む北海道酪農。農家やJAは、情報通信技術(ICT)やロボットなどを取り入れ、搾乳と哺育、飼料製造の効率化を加速。少ない労働力でも対応できる手法を模索する。スマート酪農の最先端を写した。(富永健太郎)
搾乳
希望農場(中標津町)は、全国で初めてロータリー型搾乳ロボットを導入した。計24室のボックスが直径約10メートルの円状に並び、時計回りに回転しながら乳を搾る仕組みだ。
牛がボックスに入ると、5本のロボットアームが動きだし、乳頭の位置の認識、洗浄、前搾り、搾乳、消毒までの工程を自動で行う=写真下。搾乳牛260頭を飼養する希望農場で搾乳作業を担当するのは社員1人だけだ。
代表の佐々木大輔さん(49)は「重労働の搾乳作業から解放された。農業の人手不足は深刻だが、ここで働きたいと言ってもらえる、魅力ある酪農経営をしたい」と展望を語った。
哺乳
総飼養頭数1270頭の中山農場(別海町)は、子牛へのミルクやり作業を、自動哺乳ロボットで省力化した。高さ約1・5メートルのロボットが、天井に設置したレールに沿って移動。1日4、5回、牛舎内を回って哺乳する。導入前には6時間ほどかかっていたが、今ではロボットが担う。社長の中山泰輔さん(33)は「小まめな哺乳で子牛の負担が減り、病気や事故は導入前の半分以下に抑えられた」と手応えを話す。
子牛へのミルクやり作業を省力化する自動哺乳ロボット
飼料製造
牧草やトウモロコシなどが原料の混合飼料(TMR)製造の効率化を研究するのは、中標津町のJAけねべつTMRセンターアクシス。衛星利用測位システム(GPS)を活用し、事務所から収穫機や運搬用トラックの位置や作業の進捗(しんちょく)状況を把握。管理・収穫にかかる時間を短縮する。
牧草などの発酵に必要な重機での踏圧作業の回数を可視化する仕組みも取り入れた=同右。熟練の技術を経験の浅い職員でも身に付けやすくした。
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2020年07月06日

4
[あんぐる] お給料は The草 七面鳥農法(熊本県水俣市)
熊本県水俣市の果樹農園「Mr.Orange(ミスターオレンジ)」では、一風変わった“従業員”が働いている。海外ではクリスマスのごちそうとして親しまれる七面鳥だ。同園で農地を自由に歩き回り、雑草や害虫を食べるので、除草剤の散布が不要。「七面鳥農法」と名付け、人にも環境にも優しい循環型農業を実践する。
八代海を望む広さ1棟3アールのビニールハウスに、甲高い「ケロケロケロ」という独特な鳴き声が響く。レモンがたわわに実った木の下を、七面鳥がマイペースに歩き回る。
「雑草食べ放題がお給料」と笑顔を見せるのは代表の安田昌一さん(65)。現在レモンと「不知火」の2品目で七面鳥農法を実践。雄3羽、雌6羽をハウス3棟で放し飼いにする。
レモンの成長を確認する安田さん
安田さんは20年ほど前、農薬を散布した後に体調が悪くなったことをきっかけに「消費者にも生産者にも体に良い作物を作ろう」と、減農薬栽培を決心。アイガモ農法を参考に、鹿児島県の養鶏農家から七面鳥を仕入れた。
「七面鳥は性格が臆病で常に歩き回っているので、雑草の発生を抑えられる」とメリットを話す。導入前は月2回行っていた草刈りが、年に2回だけと大幅に減少。ふんは栄養豊富な土壌づくりに役立つ。七面鳥は年に3回ハウス内で自然に産卵。回収してふ化器でかえした後、約半年ほどハウスを仕切った一角で育ててからハウスに放す。寿命は8年ほどで食用には出荷しない。
安田さんは環境と健康に配慮する生産者を登録する同市の制度「環境マイスター」の認定者。園内の16種の果実はほぼ無農薬で、年30トンをインターネットなどで販売している。フルーツソースやジュースなどの加工品も健康志向の消費者に人気が高い。安田さんは「もっと七面鳥農法の規模を拡大して循環型農業を知ってもらいたい」と展望を語る。(釜江紗英)
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2020年12月21日

5
[あんぐる] 手仕事いちずに 能登志賀ころ柿(石川県志賀町)
能登半島の中央部にある石川県志賀町で、伝統の干し柿「能登志賀ころ柿」の加工が盛りを迎えた。「食べる芸術品」と例えられるあめ色で緻密な果肉の干し柿は、農家の惜しみない手間と地域固有の海陸風が生み出す。産地は今、地理的表示(GI)保護制度登録の追い風も受け、活気づいている。
「能登志賀ころ柿」は、2016年にGIに登録された。地元のJA志賀とJAころ柿部会が工程や出荷規格を厳格に管理し、確認できたものだけをこの名前で出荷している。
原料に使う柿の品種は「最勝」。100年以上前に地域の農家が干し柿に向く系統を「西条」から選抜した品種だ。糖度が高く、果頂部がとがった形で、やや小ぶりなサイズは、同地の干し柿作りの最大の特徴である入念な手もみ作業に適している。
手もみは、皮をむき硫黄薫蒸を経て自然乾燥した後に、一玉ずつ農家が手作業で果肉をもんで繊維をほぐす作業。もむほどに果汁が出て、それをじっくりと乾燥させる工程を繰り返し、和菓子のようかんのような滑らかで、きめ細かい干し柿に仕上げる。
JA営農部の土田茂樹担い手支援室長は「徹底した手もみや、繊細な温度管理など、農家の手が柿を芸術品に変えます」と胸を張る。
加工時期の11月になると、農家の作業場にオレンジのカーテンが現れる
干し柿作りは、稲作地帯の同地で農家の冬の手仕事として始まり、1932年に販売用の生産が本格化した。92年に7万ケース(1ケース=約1キロ)まで増えたが、高齢化が進み2014年には3万ケースまで減少した。
産地再生の一手として、JAや生産者が選んだのがGIだ。登録による知名度アップなどで、取引価格が1割ほど上昇。部会員や生産面積も増加に転じ、現在は130人の部会員が86ヘクタールで生産。昨年は4万2500ケースを「能登志賀ころ柿」として出荷した。
部会長の新明侃二さん(76)は「GIの登録は、生産者に地域の象徴をつくっているというプライドを生んだ。それが数字に表れたのでしょう」と笑顔を見せる。(染谷臨太郎)
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2020年11月30日

6
[あんぐる] コ~ンな冒険待ってたよ トウモロコシ畑の迷路(福島県鏡石町)
福島県鏡石町に7月中旬、飼料用トウモロコシでできた巨大な迷路が現れた。造ったのは、国内での本格的な西洋式酪農の発祥の地として知られる観光牧場の岩瀬牧場。迷路の面積は1.3ヘクタールと東北地方で最大級の規模。密集や密閉、密接を避けながら、酪農に触れられる観光スポットとして、早くも家族連れの人気を集めている。
迷路に入ると、挑戦者の前に3メートル近い高さの飼料用トウモロコシが立ちふさがる。緑の壁に囲まれながら3カ所のチェックポイントを回り、スタンプを集めて出口を目指す。総延長は約1.5キロ。ゴールまでにかかる時間は平均20分で、1時間ほどかかる人もいる。
同県西郷村から家族で訪れた佐藤佑太郎くん(8)は「難しくて途中で迷子になりそうだった。長い旅だった」と、探検後の汗を拭った。
新型コロナウイルスの影響で牧場は、4月20日から約4週間にわたって休業を余儀なくされた。一年で観光客が最も多く訪れる時期で、経営は大きな打撃を受けた。
安全に楽しめる催しを模索する中、トウモロコシ迷路に行き着いた。
芝刈り機で雑草を刈り、迷路の通路を整える伊藤さん
5月上旬に種をまき、高さ30センチほどに育ったところで、芝刈り機で通路部分を刈り取って迷路にした。代表の伊藤喬さん(40)は「いつ再開できるのか、不安を抱えながらの作業だった」と振り返る。
感染防止を徹底するため、通路の幅は2.5メートルと広めにし、すれ違っても“密”にはならない。来場者が多いときは迷路に入る人数を制限し、密集を防ぐ。対策が理解され、多い日には1000人以上が訪れる。伊藤さんは「自粛や休校でたまった子どもたちのストレスを発散できる場所だ」と話す。
1880年に開業した牧場には、明治時代の牛舎や日本初のコンクリートサイロなどが残る。展示物を通じて酪農の歴史を解説する支配人の橋本政宏さん(72)は「迷路の後に展示物も見て、現代酪農の初期の姿を感じ取ってほしい」と話す。(富永健太郎)
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2020年08月03日

7
[あんぐる] 牛飼いの道究める 発信する畜産農家、田中一馬さん(兵庫県香美町)
但馬牛の産地、兵庫県香美町の和牛繁殖農家の田中一馬さん(42)は、自ら制作した動画で和牛の魅力や畜産農家の日常を、動画投稿サイト「ユーチューブ」へ積極的に発信している。削蹄(さくてい)師の資格も持ち、食肉加工や精肉販売といった複合的な経営を手掛ける傍ら、これまでに制作した動画は240本を数える。伝えたいのは「奥深い牛飼いの世界」だ。
「こんちは。田中畜産の田中一馬です!」
動画は軽快なあいさつで始まる。技術を伝える動画では「低体温子牛の蘇生法」「神経質な牛の削蹄」など、実体験に基づくノウハウを惜しみなく紹介。農機や持続化給付金を解説する動画もある。
消費者の疑問や好奇心に答える題材も多く、品種別の和牛の食べ比べや和牛の乳の味など、農家ならではの視点を発揮。「牛は赤色に興奮するか」の“実験”や、「子牛と哺乳瓶早飲み対決」などの娯楽性に富む投稿は、視聴者を飽きさせない。
田中さんは「プロの農家が見て違和感がなく、専門的な話はかみ砕いて伝えるのを心掛けている」と言い、生産者から消費者まで幅広い支持を得て人気の投稿は11万を超す視聴数を誇る。
枝肉を買い戻した精肉販売も手掛ける。妻のあつみさん(33)(左)が切り分けを担当している
田中さんは同地で研修を経て2002年に新規就農した。発信活動は、その頃に始めたブログが起点だ。現在はツイッターやインスタグラムなど、さまざまなインターネット交流サイト(SNS)を駆使。フォロワーは延べ4万人に上る。
発信が生んだ“共感”は顧客の獲得に結び付き、精肉のネット販売では、1頭分(350人前)が8分で完売した。
畜産農家として確かな実力も備える。就農時から田中さんを知るJAたじまみかた畜産事業所の田中博幸さん(60)は「とにかく勉強熱心で、子牛の管理も良い。今では品評会上位の常連で、後輩の面倒見もいい」と信頼を置く。
田中一馬さんは「見られても恥ずかしくない農家であり続け、牛の面白さを多くの人に伝えたい」と話している。(染谷臨太郎)
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2020年11月02日

8
[あんぐる] 復興の心ともる 棚田ライトアップ(福岡県東峰村)
薄暮に青く染まる空の下、何層にも連なる石垣が光り輝く──。
福岡県東峰村の「竹地区の棚田」で、棚田のライトアップイベント「秋あかり2020」が開かれた。豪雨災害からの復興祈願として始まり、例年多くの観光客でにぎわうが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、「密」を避け静かに催した。
午後5時半。日が沈んだ同村で、400年の歴史を持つ棚田が闇の中に浮かび上がった。約300個の発光ダイオード(LED)ライトで照らされた石垣が黄や青、白と淡く色づき、来場者は満天の星の下で散策や撮影を楽しんだ。
この棚田は、標高250~400メートルの中山間地に位置し、面積11ヘクタールの棚田の中に、民家が点在する景観が特徴。田んぼは「400年、400枚」とも称され、1999年には農水省の「日本の棚田百選」に選ばれた。
棚田でキャンプを楽しむ家族
2017年の九州北部豪雨で地域一帯が被災し、村は土砂や流木被害による壊滅的な被害を受けた。付近の山には崩れた斜面を補修した跡が残る。棚田のライトアップは村の復興を願い、18年から始まった。地元住民らを中心とした一般社団法人「竹棚田」が、企画・運営を担う。代表理事の伊藤英紀さん(68)は「今年は7月に発生した豪雨災害と、コロナに負けないという思いも込めた」と開催の意気込みを話す。
11月8日までのライトアップ中は、田んぼをキャンプ場として開放。同県直方市から家族で訪れた大西良さん(41)は「開放感があり、子どもたちもコロナを気にせず伸び伸び楽しめる」と笑顔を見せる。
地域では高齢化や過疎化が進むが、同法人が古民家を改造した農泊施設やキャンプ場、棚田を見渡せるカフェなど新たな観光施設を次々とオープン。利益を棚田の保全活動に還元し、地域には新たな雇用も生まれた。
伊藤さんは「復興を祈る灯(あか)りは棚田の保全にもつながっている。将来村が『ポツンと一軒家』にならないよう地域を守りたい」と鎌で石垣に生えた草を手際よく刈り取っていた。(釜江紗英)
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2020年11月16日

9
[あんぐる] 美味の証明 防蛾灯輝く梨園(石川県加賀市)
「加賀梨」の産地として知られる石川県加賀市奥谷町。夜更けに市の中心部から車で20分ほど走り林道を抜けると、黄色い光に包まれる。特産の梨を害虫から守る「防蛾(ぼうが)灯」の光だ。面積32ヘクタールの梨園には、約1500本の防蛾灯が等間隔に並び、地域では、“奥谷100万ドルの夜景”と呼ばれている。
防蛾灯を設置するのはJA加賀の組合員25戸でつくる「奥谷梨生産組合」。県内最大の園地面積を誇る。
防蛾灯は、ガが嫌う波長の光を放ち、梨に寄せ付けにくくする機器だ。碁盤の目のように整備された園内全体に設置し、夏場は、午後6時から午前6時までの12時間にわたって点灯する。
梨の生育具合を確かめるベテラン農家の上坂さん
農家の上坂武志さん(79)は「防蛾灯があることで、重労働の袋掛けをせずに育てられる。無袋栽培なので太陽の光をしっかりと浴びて甘く仕上がる」と利点を話す。
防蛾灯は出荷が始まる10日ほど前から、収穫が終わる10月上旬まで点灯する。今年は7月31日に早生の「愛甘水」から出荷がスタートした。8月上旬に「幸水」、9月上旬から「豊水」「あきづき」などに切り替わり、関西の市場を中心に出荷する。
地域で梨栽培が本格的に始まったのは1977年。地元農家らが、松林を切り開き植樹を始めた。防蛾灯は、収量が安定してきた84年ごろから、広大な園地を少ない労力で管理するために導入した。
農家の高齢化が進む現在、組合は就農希望者を積極的に受け入れ、後継者育成に取り組む。希望者には本格的な就農の前にベテラン農家の園地で研修を実施。栽培技術を身に付けやすい環境を整えたことなどで、直近5年間で計6人が就農した。
組合長の岩山則生さん(60)は「後継者を育て、この景色をいつまでも守っていきたい」と話す。(富永健太郎)
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2020年09月07日

10
[あんぐる] 自慢の孫たちです 奥会津金山赤カボチャ (福島県金山町)
福島県の会津地方、新潟県境に位置する金山町。高齢化率県内1位の山深い農村が、特産のカボチャ作りで活気づいている。濃いオレンジ色が特徴で、その名は「奥会津金山赤カボチャ」。独特な食感は「高級な栗のよう」とも表現され、毎年、出荷分は全て完売するブランドカボチャだ。
9月上旬、町内の廃校になった中学校を改装した作業場。鮮やかなオレンジ色の実が、緑色のシートの上にころころと並ぶ。出荷前に、カボチャを風通しの良い場所に置き、糖度や保存性を高める熟成作業の風景だ。
カボチャは、地元農家でつくる「奥会津金山赤カボチャ生産者協議会」が手掛ける。メンバーは現在92人で、平均年齢は70歳を超える。
町内で自家採種した種を育苗し、5月下旬に各自の畑に定植。8月中旬から約1カ月間で収穫する。皮が薄く傷つきやすいため、丁寧な管理が必要だが、大型の機械が不要で高齢者でも栽培できる。
糖度や底部にある“へそ”の形の美しさなど、協議会で定めた厳しい基準を合格したものだけに、金色の合格シールを貼り出荷する。毎年、約1万6000個が県内のスーパーや道の駅などで販売される。
つり下げた状態で栽培中のカボチャ。底部には特徴的な大きなへそがある
メンバーの押部清夫さん(70)は「今の10倍作っても足りないくらいだ」と人気ぶりを話す。
東京都中央区にある同県のアンテナショップは毎年販売フェアを開く。来店した品川区の山内裕正さん(55)は「高級な栗のような食感で、煮ても揚げても何をしてもうまい。数年前に食べて感動して以来、毎年買っている」と購入していた。 この赤いカボチャが地域にいつ伝わったかは定かではないが、80年ほど前には既に栽培されていたという。
2008年、他の地域では珍しい赤いカボチャを町の特産品にしようと農家が集まり協議会を結成。18年には特許庁の「地域団体商標」を取得するなどブランド化を進めてきた。
協議会会長の青柳一二さん(75)は「高齢化が進む町だが、作った分だけしっかり売れるので、皆はやりがいを感じている」と話し、「毎日畑に通い、孫のように大事に世話をしてきたカボチャ。ぜひ味わってほしい」と笑顔を見せた。(富永健太郎)
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2020年09月21日
