[論説]集落撤退論を問う 農村再生は住民主体で
インターネット上や一般紙などでは「中山間地域や限界集落から賢く撤退するべきだ」「人口減少を直視し、集住をめざせ」といった意見が相次ぐ。過疎高齢化が進む農山漁村を襲った能登半島地震を機に、さらに集落撤退論が強まった経緯がある。
こうした主張は、過疎集落に対して何度も提起されてきた。しかし、災害からの復興をみると、トップダウンではなく、自治体が丁寧に寄り添い、住民主体の復興計画を作った地域ほど再建に成功している。2004年の新潟中越地震で被災した山古志村(現在の長岡市)では、震災後も7割の住民が集落に戻った。集落ごとに仮設住宅を作り、話し合いを続けたことが奏功した。単に道路や建物を再建するだけが真の復興ではないことを物語る。
京都橘大学の岡田知弘教授は「考えるのは集落の住民。地域外の人間が、当人たちの意向を抜きにして無責任な議論をすべきではない」と指摘する。当然である。
人口が少なく効率が悪いとされる農村の集落に暮らす人々は、地域資源を生かし、災害や自然環境と折り合いをつけながら、独自の祭りや文化を創造し、小さな経済を回しながら暮らしている。こうした集落を、経済効率の側面だけで都市などへの集約を求めるなど言語道断だ。
そもそも、経済性から見ても地域の集約化が最適ではないことは証明されている。例えば19年、日本弁護士連合会(日弁連)が「平成の大合併」で合併を選ばなかった自治体と、合併した自治体を比較したところ、合併しなかった自治体の人口減少や高齢化率の進捗(しんちょく)は抑えられ、財政の健全化も進んでいると発表した。
集落を撤退させて村おさめを促せば、結果的に東京への一極集中につながり、周辺町村の過疎化もさらに進む恐れがある。コロナ禍で、過密による感染拡大の危険性を誰もが認識したはずだ。子育てしやすいのは待機児童問題などを抱える都市より、農村である。田園回帰が広がる中で、若者の生き方の選択肢を狭めることにもなる。
首都圏などの都市部で大地震が起きれば、被害は能登半島地震の比ではないだろう。集落撤退は経済性を含めてマイナス面も多い。今はむしろ、一極集中の弊害を考えるべきだろう。