産地事例紹介
浅井農園は、津市を中心に三重県内外のグループ会社5社でミニトマトなど13ヘクタール、年間生産量3000トンほどを栽培する。代表の浅井雄一郎さん(41)は、父の代までサツキなどの植木を生産していた農家の5代目。高校までは農業に興味はなかったが、大学時代に研修でアメリカ農業に触れ、日本の農業に危機感を抱いた。卒業後は、農業やJA向けの経営コンサルティングファームに入社。農業を外側から支援する職務を通じ、経営を学んだ。
28歳で家業を継ぎ、第2創業として2008年からミニトマトの生産を開始。家業の植木ではなくミニトマトを選んだ理由は、知人のミニトマト生産事業立ち上げを手伝い、そこで口にしたミニトマトのおいしさに将来性を直感したからという。実家の三重に戻った際は、まずボロボロの苗木ハウスのさびをこすり、ペンキを塗るところから始めた。当時の栽培面積は360平方メートルだった。
すぐには収入がないため、昼間は庭木の剪定(せんてい)で日銭を稼ぎ、夕方からはハウスの管理作業、さらにトマトを学ぶため、三重大学の大学院に社会人入学した。そこでトマトの品種ゲノム育種を研究、「学術博士」の学位を取得した。
収穫を始めたミニトマトが好評で、借金をして4000平方メートルのハウスを増棟。その後、毎年いろいろな協力社と組みながら規模拡大を図った。そして、15年に1000平方メートル×2区画の研究用ハウスを建てたことが転機になった。大学の研究室レベルではなく、農家が使える実用技術を研究開発するためのもの。ここで大学や企業との共同研究が始まり、それに合わせ研究のための人材も採用した。ここでは生産性を高める技術や品種の能力を最大限に引き出す栽培方法、品種の比較試験、作業着の開発、トマトの収穫・搬送ロボットの開発などを行っている。
現在の浅井農園のスローガンである「『常に現場を科学する』研究開発型の農業カンパニーをめざす」の基礎はこの時期に培われ、この方向性が同園を国内トップクラスの農業生産法人に押し上げていった。
今後のトマト市場を浅井さんは、需給バランスを見極めながら、当事者間の利益の奪い合いであるゼロサムゲームにならないよう、市場全体を拡大させなければいけないと見る。顧客のニーズを、食べるシーン、食べ方、レシピ、用途も含めて、もう一度ゼロから見直してみる。日本では人口は減少基調だが世界では増加しているし、日本でも新たな食文化が生まれている。その中に新しい価値を生み出していけばいい。独創的で隙間(ニッチ)を狙う同園の商品開発は、その発想から生まれている。
ヒット商品の房どりミニトマト、高リコピンの機能性ミニトマト。高齢者向けの皮がとても薄く歯に引っかかりにくいトマトや、子ども向けのヘタがなく食べやすい甘いトマト─などがそれだ。また、子ども向けの「はぐくみトマト」は1袋につき1円を子どもたちの未来につながる活動に寄付しており、今はコロナ禍で重要性を増す「子ども食堂」活動をする団体に寄付している。
また19年には、全国の生産者4人で「ナフィールドジャパン」を立ち上げた。「ナフィールド」は国際農業奨学金制度で、生産者が奨学生として2年間にわたり、世界各地の先進的な農業技術や文化を学ぶもの。農林中央金庫が初代スポンサーとして支援している。浅井さんは、「私も海外で学んだことが今の成長に生かされたので、そういう経験を若い農業者にしてもらいたい」とエールを送る。