産地紹介

大分白ねぎ/JAおおいた

JAおおいた 大分白ねぎ連絡協議会
担い手部長 板清 良文さん

西日本一の生産量を誇るブランドネギ「大分白ねぎ」。秋冬取りでは全国区として市場の一角を占め、夏取りでは九州エリアのトップ産地の座を譲らない。大分県内の海抜0メートルの平野部から標高900メートルの高原部まで、標高差を生かし時期に応じて作付けることで、周年出荷を可能にしている。

板清良文さん

標高差生かし周年出荷

「大分白ねぎ」は、平野部では江戸と昭和に海を埋め立てて造成された海抜0メートルの干拓地で栽培される。一方で、夏場の出荷量の減少を防ぐために始まった高原地域での栽培も拡大。この標高差でリレー栽培し、周年出荷を実現させている。

ミネラル豊富で甘味が強いことが特徴だ。特に秋冬作では生で糖度12ほどある。協議会の規格では、軟白部分の長さは27センチ以上。まっすぐでつやつやと輝く白と、鮮やかな葉の緑のコントラストが美しい姿は生産者の技術の高さの現れだ。

「大分白ねぎ」ブランドのネギは、「大分白ねぎ連絡協議会」で販売。2022年度は生産者数167人、栽培面積367.5ヘクタール、年間出荷量5900トンを計画している。

豊後富士の愛称を持つ「由布岳」を望む板清さんの標高600メートルの塚原地区のネギ畑

2地区の畑で周年を実現

同協議会で担い手部長を務める板清良文さん(38)は、父の代からのネギ生産者で、大学卒業後に就農した。平野部の豊後高田地区に6ヘクタール、高原部の塚原地区に3ヘクタールの合計9ヘクタールで大分白ねぎを栽培している。標高600メートルの高原部でのネギ栽培は、10年ほど前から始めた。

板清さんが標高差を利用して高原でネギを作付けした理由は、周年出荷の実現だ。11、12月に播種(はしゅ)し、3、4月に定植することで、それまで出荷の空白期間だった8月中旬から年内の出荷が可能になった(表)。

「経営資源を考えれば、1年間切れ間なく出せるのは強み。外国人研修生も含め周年雇用できる」と、板清さんは強調する。栽培に苦労する点もある。まず、2つの畑の土質が異なること。平野部の豊後高田地区は、干拓地のため砂質土壌。一方の塚原地区は、由布岳のふもとで火山灰土由来の黒ボク土だ。土質に合わせ、肥料の量も変えている。平均5回ほど行う土寄せは、黒ボク土の方が砂質土壌に比べがちがちに固まるため、上げづらい。一方で高原部は冷涼なことから病害は少なめ。害虫の種類もやや異なり、高原部にはネギコガが多く出るという。

高原部では、近隣に水田が多いため、除草作業は刈り払い機で行っている。また、両地区の移動に片道1時間かかるので、農機具の運搬もひと苦労だ。乗用トラクタ、歩行用管理機、自走式収穫機などをトラックに積み運搬している。

収穫後は、自宅で調製作業をする。根切り機、皮むき機にかけた後、サイズごとに分別しテープで結束、箱詰め時に頭を包丁で切る。

板清さんは、今後について「品種変更などでリスクを分散しながら、2つの地区をバランスよく規模拡大していきたい」と意気込む。

JAおおいたの木村さん(右)、JA全農おおいたの阿南さん(中)と作柄を確認する

JAグループ支援 成果実る

7月初旬、4回目の土寄せ直前の塚原地区のネギ。9月中旬に収穫する。

JAグループ大分では、県内に集出荷所を10カ所設置し、集荷品目を一元販売している。白ねぎも12年1月に「大分白ねぎ」ブランドとして一元販売するようになって10年を迎えた。県内での周年リレー出荷に力を入れることで、ロットも増え市場のシェア率も拡大、産地としての発言力も強くなった。

今年度から、3か年計画で大分白ねぎを短期集中支援品目に指定、また大分県では「ねぎ産出額100億円プロジェクト」を立ち上げ、県産ネギの振興に努めている。JAと県はネギ振興を掲げており、多様な支援策を講じている。

新規生産者や規模拡大する既存農家に対し、21年からまとまった農地の確保に取り組んでいる。また新規生産者には、19年から豊後高田市でJAが運営する「大分広域白ねぎ就農学校」で2年間の研修が受講できる。市町でもファーマーズスクールを設けている。

JAおおいたでは、白ねぎに特化した専門の広域指導員を管内に2人配置し指導体制を充実。また複合経営でネギに取り組む生産者の支援策として、広域育苗体制を構築し、育苗の負担を軽減させた。

「大分白ねぎ」の一番の強みは、生産者に担い手が多いこと。30、40代が多く、年々若返りが図られ、規模拡大意欲も旺盛だ。生産基盤が整った将来性のある産地といえる。

大分県を代表するブランドネギ「大分白ねぎ」

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