第100回東京箱根間往復大学駅伝競走に10年ぶりに挑んだ東京農業大学は、2日間のレースを総合22位で終えるも、出場70回目の古豪として存在感を示した。選手らは力の限り走り切り、往路・復路の全10区で途切れることなくたすきをつなぎ完走した。同大応援団による伝統の「青山ほとり(通称・大根踊り)」も大会を沸かせた。箱根駅伝のために農家や団員らが栽培してきたダイコンが箱根路を彩った。
■「大根踊り」・オール農大産で後押し
♪昔も今も変わらない
♪人間喰わずに生きらりょか
東京と箱根の沿道に各校の応援団が陣取る中、同大全学応援団による「青山ほとり(通称・大根踊り)」の歌声がひと際力強く周囲に響き渡った。
応援団リーダー部が手にしていたのは、鮮やかな緑に色付き、ぴんと伸びた茎葉が付いたダイコン。声を張り上げて歌い踊りながら、高く振り上げ、緑色のユニフォームに身を包んでコースを駆ける同大選手を鼓舞した。
使ったダイコンは「オール農大産」。応援団OBの農家が箱根駅伝の「大根踊り」用にハウスで栽培した50本を提供。さらに、「農大らしい応援」を追求し、同大教員の全面協力を得て団員らが栽培した40本がそろい、2日間の応援に臨んだ。
最終日、レースが終わると応援団幹部の学生は「誇りを持って応援ができた。今後も選手を支え続けたい」と決意を新たにした。
東京都中央区に設けられた応援場所では、「大根踊り」を目の当たりにした観客から拍手が巻き起こり、「来年も頼むぞ」と期待する声も上がっていた。
◇東農大応援団OBで、現在は東京都国分寺市の野菜農家で、応援用のダイコンを提供した小坂良夫さん(66)
後輩が胸を張って応援できるよう、ハウス栽培で美しい色や形のダイコンを追求し、最高の仕上がりで渡すことができた。力走を後押しでき、誇りに思う。「青山ほとり」が正月の風物詩として注目されるのは、応援団OBとしてもうれしい。小田原駅前で現地観戦したが、懸命に走る選手の姿に改めて感動した。来年も本戦出場を願っている。
◇父の良夫さんとともに野菜を栽培する農家で、同大OBで陸上競技部の駅伝ランナーだった小坂知儀さん(34)
箱根を走る選手の姿はまぶしかった。自分はダイコンを通じてエールを送った。本戦前日の1月1日に団員たちが収穫に来て50本を提供した。羽織はかまや黒い詰襟制服で、懸命にダイコンを振る姿は、とても格好良かった。選手、応援団とも晴れの舞台に全力を尽くしてくれた。来年も本戦出場を願い、良いダイコンを作り続ける。
◇東農大厚木キャンパスで、応援団のダイコン栽培に全面協力した園芸学研究室の高畑健教授
「青山ほとり」で使うダイコンは葉も大事。本戦間近の12月下旬、急に冷え込んだので傷まないよう被覆して守った。無事収穫でき、胸をなでおろした。農大の名に恥じない立派なダイコンを手に、全力で応援する団員がテレビに映ると、釘付けになった。選手も応援団も良い経験をした。まずは身体を休めてほしい。お疲れ様でした。
■次世代台頭・前田、深堀ら力走
東農大にとって、来年大会の出場が確定する総合10位以内のシード権こそ逃したが、次世代の台頭を予感させる大会となった。
予選会で日本人トップの記録を残した前田和摩(1年)は、けがの影響で当初は補欠登録だったが復路の7区に出走。順位を一つ上げて、8区の圓谷吏生(2年)にたすきをつないだ。
レース後、前田は「4年生がチームを引っ張ってくれて箱根をつかみ取れた」と感謝の言葉を述べた。「(箱根本戦)復活の年に携わることができて、うれしく思う。このチームに来て良かった」と改めて心境を明かした。
けがの影響で中断していた練習を再開したのは大会2週間前だった前田。「万全の状態で挑みたかった」と振り返り、「まずは100%の状態で大会を迎えることが第一の目標」と前を向いた。
総合優勝の青山学院大学がリードを広げて独走し、ハイペースで進んだ今大会。9区を走った東農大の深堀優(2年)は、4校が繰り上げスタートとなる中、区間順位4位の快走によって、アンカーの栗本航希(1年)に着実にたすきを手渡した。栗本は東京・大手町まで走り切り、白地に緑色で校名を記した同大のたすきをゴールに届けた。
同大の小指徹監督は「復路は1年生3人、2年生2人が走り、良い経験が積めた」と振り返った。「メンタル面、競技面でもっと鍛えていく」とチームの一層のレベルアップを誓った。
(鴻田寛之、柘植昌行、丸草慶人)
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