薬のおかげで症状がある程度コントロールできるようになってくるとともに、徐々に塩分量を戻していきました。そんな私のことを思って母は塩分量について独学で勉強。病院に許可を取った上で、料理を1品だけ作って毎日のように差し入れとして持ってきてくれたんです。メインのおかずは病院の料理ですけど、母が作ってくれた1品が本当にありがたかったです。
1日分の塩分摂取量は決まっていました。私は中途半端に薄い味の料理をたくさん食べるより、他の物は一切塩分ゼロでいいから、満足できるくらい味の付いたものを何かしら1品だけ食べたいと思ったんです。
たとえば食事で納豆を食べるとなった場合、たれを納豆に入れたら塩分を取ることになります。母は、たれなしで納豆をおいしく食べる工夫をしてくれました。シラスを取り寄せて、納豆の上に載せました。その上でスダチを搾ってかけてくれたんです。シラスの味とかんきつ系の酸っぱい味とが合わさると、塩分を控えめにしても味にだいぶ深みが出ました。納豆のたれを使わなかった分だけ、塩分を他の料理に回せるわけです。
当時の差し入れは、野菜のスープだったり、ソースを工夫した小さなエビカツサンドだったり。野菜と果物のフレッシュジュースを作って持って来てくれたこともあります。
病院のご飯というのは、栄養バランスは考えてくれているんですが、どうしてもワンパターンになりがちでした。そういうところにちょっとアクセントをつけることによって、おいしいものを食べたいという気持ちを満たしてもらえたんです。
差し入れで強く印象に残っているのは、野菜のスープです。鶏がらなどを使ってだしを利かせた中に、栄養のある野菜をかなり細かく刻んで煮込んでくれました。
食材の持っている本来のおいしさというものは、減塩にするとよく見えてきます。スープに入っているタマネギやニンジンなど、野菜のおいしさをかみ締めながら飲んだことをはっきり覚えています。
もともと母は料理が得意で、工夫して作るのが好きでした。入院前から私が特に好きだったのは、コロッケ。ひき肉とジャガイモの他にコーンも入れるんですけど、粒のコーンだけでなく、ペースト状になっているコーンクリームもたくさん入れます。滑らかな味わいの独特なコロッケです。
私が病気をしてからより気を付けるようになったわけですが、それ以前から母は無農薬の野菜を使うなど、食材にこだわっていました。父(四代目江戸家猫八さん)も体が資本の仕事をしていましたから、良い食材を使っていたのでしょう。量は少なくていいから、質にお金をかけるという形の食事を作っていました。
私は12年間ほどの自宅療養を経て、30過ぎになってようやく病気と折り合いがつきました。
一病息災といいますけど、私の場合は病気をして一番多感な頃に食に関して不自由をしたことは、貴重な経験だったと感じています。あの時に食べた数々の料理が、今の私の食生活に大きな影響を与えてくれています。食材一つ一つのおいしさが分かるようになりましたし、健康のありがたさ、食のありがたさを知ることができました。もちろん、料理を作ってくれた母には感謝の気持ちでいっぱいです。
えどや・ねこはち 1977年、東京都生まれ。2009年、四代目江戸家猫八に入門し、11年に二代目江戸家小猫を襲名。ウグイス、カエル、秋の虫をはじめ、ヌー、テナガザル、アルパカなど鳴き声を知られていない動物の鳴きまねも得意とする。都内の寄席を中心に、日本各地での講演会、動物園とのつながりから動物園イベントなどでも活躍。今年3月に五代目江戸家猫八を襲名。