妻と暮らす中ノ又集落は、20軒全ての家屋が被害を受けた。住民の8割が65歳を超えており、多くが金沢などの親類宅に避難した。
壊れた家やひび割れた農地は今、雪に覆われ、ひっそりとしている。皆、春までに戻ってくるだろうか。
27歳の時に父を亡くし、農業を継いだ。以来、毎年12月に田の神様を迎え、2月に田に送り出す「あえのこと」を執り行い、13年前から町の古民家、合鹿庵で実演もしている。
奥能登は山がちで、気候も厳しい。農民は猫の額のような平地を耕してきた。江戸時代から続くあえのことは、神様に感謝しながら生きてきた先祖の労苦を伝えるが、自然に翻弄(ほんろう)される宿命は昔も今も同じだと思い知らされた。
断水は続き、漁師は漁船を失い、合鹿庵も損壊した。今年は神様にお風呂に入ってもらったり、魚のタラ汁を召し上がったりしてもらえない。でも、供えられるものをかき集め、9日の神事は自宅だけででも執り行う。
合鹿庵のある柳田植物公園は今、救助活動のため全国から派遣された消防隊員の拠点になっていて、無数のテントが並ぶ。集落には幸い、電気が来ており、自宅で生活できているが、孫世代のような彼らはテント暮らし。頭が下がる思いだ。
30アールの棚田と7アールの畑は亀裂だらけになった。無残な姿を隠した雪景色を見ると、この1カ月は夢だったのかと錯覚する。高齢者ばかりになったけれど、先祖代々のこの地でおいしい米を作り続けたいと願う。
能登半島地震から1日で1カ月が過ぎた。被災地で 生きる農家や農業関係者の「今」を伝える。