「うそでしょ」。常連客の母娘、栗山志野さん(47)と小学5年生の響さん(11)が駆け込んできた。響さんは店でニンジンの袋詰めの手伝いも体験し、野菜好きになった。2人は、事情を語る関沢さんやスタッフをいたわり、「これまでありがとう」と感謝した。
政府統計によると、日本の青果店(個人経営)は1970年代の6万店をピークに、2021年時点で約8200店にまで減った。産地の実情や生産者の思い、旬や食べ方などを消費者に伝えてきた「街の八百屋」は、高齢化が進み、次々と姿を消している。
関沢さんも、ぎりぎりまで存続を探った。でも限界だった。八百屋を愛する地域の人々に惜しまれながら、31日、18歳で飛び込んだ青果業に幕を下ろす。


午後3時、関沢さんが20年近い常連客の佐川美枝さん(76)に言った。杉並区に住む佐川さんは週に2~3回、マイカーに乗って片道30分かけて野菜を買いに来る。そしてこの日、閉店を知った。
関沢さんは長野・信州の農家に5人兄弟の末っ子として生まれた。中学卒業後、集団就職で上京し、オート三輪に乗って青果物の引き売りを始めたのが18歳。40歳の時、渋谷で廃業した八百屋を居抜きで買い、店舗販売に切り替えた。7年前に区画整理で立ち退きとなったが、八百屋を廃業した店舗オーナーの山口修さん(86)から店を引き継いだ。
佐川さんは、引き売りの時から関沢さんが売る野菜や果物のファンだと笑い泣きした。「関沢さんが勧めるものはどれもおいしい。店の場所が変わっても、関沢さんが売るものなら間違いがないの」
ひっきりなしに訪れる人々から話を聞くにつれ、八百屋の姿が浮かび上がってきた。
「とても残念」と語った金子優子さんは高校生と中学生の母親。「この地域に家族で引っ越してきた時、知り合いがいなくて、心細くて。そんな時、お店に来たら、野菜の使い方や料理の仕方などをいろいろ教えてくれて。素敵な地域だなって思えるようになった」きっかけの八百屋だ。
小学生3人の娘を育てる辻光さんも、「地域のよりどころが消えてしまう」と嘆いた。「娘たちが幼い頃、お使いをさせようと思ったけど、スーパーは不安だから、八百屋さんに行かせて電信柱の影から見ていると、お店の人たちがほめてくれたり、おまけしてくれたり。とてもうれしかった」と悲しむ。


共働きの天野莉世さん(29)は「スーパーに行く時は何を買うか決めていくけど、産地や野菜のことをいろいろと教えてくれる八百屋さんは行ってから何を買うか考える。だから、生活が楽しい」。
関沢さんは日本農業新聞を愛読し、気になる記事は切り抜いて店の壁に張る。「読んでほしい」記事のページを包み紙にする時もある。毎朝、最初に見るのは市況欄。最近は猛暑の影響や、資材高騰などで廃業する農家が増えている現実を知り、客にも伝える。
財布に入れている切り抜きは、昨年11月23日付の1面コラム「四季」。文末に引用されていた、米大リーグの大谷翔平選手の「無理だと思わないことが一番大事」という言葉が胸にしみた。店の存廃に悩んでいた時だ。
「年齢には抗えないけれど、無理だと思わないことで、最後まで楽しくやれた」と関沢さんは笑顔だ。探った第三者継承は、引き継ぐタイミングが合わなかったが、関心を示した若い世代はいる。
閉店時間の午後8時。関沢さんはシャッターを下ろしながら言った。「丸新青果は終わる。でも近い未来、ここで新しい八百屋が出店したら、うれしいねえ」







(写真はいずれも東京都狛江市で)