その1人、江東区でカレー店を営むインド・コルカタ出身のアズィームさん(54)は2店目を探しており、「ここは良いね」と興味津々だった。食堂や事務所探しの企業経営者も訪れ、店頭で客と交流する関沢さんの様子も眺めていた。
だが、関沢さんも、店舗が入るビルオーナーの山口修さん(86)も、何よりも地域の人たちが「八百屋」の入居を望んでいた。
そこに現れたのが、世田谷区にある京王桜上水駅の近くで2年前から青果店「清藤商店」を営む清藤太逸さん(30)と社員の井川知憲さん(38)だった。

清藤さんは兵庫県赤穂市出身で、阪神大震災の1995年生まれ。神戸の復興と自身の成長が重なる。5年前に上京し、生まれて初めて八百屋を知った。それまで野菜や果物はスーパーで買うものだと思っていた。
「住んでいたアパートの近くに、えらい繁盛している八百屋があって、飛び込みでバイトさせてもらった。そこの社長にノウハウを教えてもらった」。その八百屋とは葛飾区の青果店「大権」だ。
その後、清藤さんは都内の別の青果店に移り、そこで働いていた井川さんと出会った。
井川さんは福島県南相馬市出身。2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故で、家族が長期の避難生活を余儀なくされた。既に東京で生活していたが、故郷の痛みを思いながらむしゃらに働いた。

「1月に病気で倒れ、入院して気持ちがふさいでいた時、2年前に独立した清藤さんが見舞いに来て『一緒に八百屋をやらないか』と誘ってくれた。その時は関沢さんが継承者を探していることは知らなかったが、まるで僕らの夢を後押しするような話が舞い込んだ」と振り返った。
井川さんに任せる店を探していた清藤さんは1月下旬、世田谷市場の仲卸「遠國」に呼ばれ、継承者を探していた関沢さんを紹介された。清藤さんは数日後の1月30日、閉店を決めた関沢さんの悲しみや地域の人たちの思いを伝えた本紙記事を読んで「開店への思いと向上心が高まり」、退院した井川さんと開店準備を急いだ。
丸新青果の閉店後、自転車で15分、徒歩で30分かかるスーパーに野菜や果物を買いに行っていた地域の人たちは3月下旬、井川さんが発信したインスタグラムで再開情報を知った。「地域の吉報」はSNSで拡散された。

インスタで27日の開店を知った清家未来さん(42)は、近所で洋服店「SGSC」を経営する。午前11時の開店と同時に店内に入り、かごいっぱいの野菜を買い込んだ。
たくさんの来客をうれしそうに眺めながら「こういう活気が戻るのを待っていた。スーパーがいけないというわけじゃないが、地域でお金を回すのが本来は一番いい」と表情をほころばせた。
初めて訪れた岡崎由佳さん(35)は「いつもはスーパーで買っているけど、インスタに書き込まれていた『安い!』にひかれ、4歳と1歳の子どもと一緒に自転車でやってきました」と笑った。

そんな賑わいを見詰めていた元商店会長の土本重美さん(75)は、「相対の商売はいいねえ」と感慨深げ。「値札に糖度が書かれていても、『これ、おいしいよ』とか『こうやって食べるといいよ』とか、そんな一言の方が『買おう』という気になる。商売は人と人が基本だね」。
世田谷市場で仕入れる役目は清藤さん、店頭で切り盛りするのは井川さん。そして、関沢さんが「時々助っ人」として野菜の袋詰めなどを手伝う。4月上旬には、八百屋のファンで子育てが一段落した近所の女性(43)が店員として働く。
開店のこの日、関沢さんと清藤さんをつないだ仲卸「遠國」の営業課長、宇佐美祐太さん(38)らも駆け付け、手伝った。「地域のために安くて新鮮で良い品物を届けたい」。68年目を迎えることができた八百屋と市場関係者の決意だ。
(文・栗田慎一、写真・鴻田寛之)




