沖縄復帰50年、築いた小菊王国 県外出荷にかじ、国内シェア4割
本土からの帰農者がけん引
「栽培を始めた当初は小菊の単価が100円に届き、特にもうかった」。糸満市で小菊を60アール栽培する島袋幸憲さん(59)は振り返る。下葉を落としてまとめる結束機は30年前に自費で購入したものだが、今も現役だ。
戦後、県内だけでわずかに流通していた菊は、本土復帰前から県外を視野に品種適応や電照の試験を進め、復帰後の1974年に恩納村で県外出荷が始まった。
その後、本土に仕事で出ていた若者が帰農して生産が拡大。気候を生かし冬春季の小菊や黄菊の責任産地としての地位を確立した。東京都中央卸売市場に入荷する小菊のうち、沖縄県産は3000万本で5割(19年)を占める。特に12~4月は県産が独占する。
島袋さんは東京や名古屋で働いていたが、91年に帰農。自分の代から電照菊を主体にした。2005年度から6年間は部会長を務め産地をけん引。就農時より単価は下がったが「面積を増やして収量も上がり、手取りは維持できている」(島袋さん)。
糸満市は県内でも最大級の小菊産地となり、JAおきなわ糸満支店花卉(かき)生産部会は45戸、約76ヘクタールで年2800万本弱を出荷する。11~8月に出荷し、販売額は約8億5000万円に上る。
コロナ下でも作型や色に挑戦
産地が近年力を注ぐのは、作型や色のバランスを需要の波に合わせることだ。コロナ禍の労働力不足もあり非需要期の作付けを減らしたが、市場の要望に的確に応えることで相場はかえって安定し、手取りを増やした。
産地は需要が高いトルコギキョウやストレリチアの生産も増やす。半面、小菊をこれ以上減らすと競合する輸入スプレイ菊に置き換わる懸念もある。
産地のかじ取りを担う、JAおきなわ南部地区営農振興センターの大城洋介さんは「小菊は通期の出荷量は減ったが、一定の生産規模は維持していく。実需に応え、5割ある相対率もさらに引き上げたい」と力を込める。
<メモ> 復帰後の沖縄農業
復帰前の主力だったサトウキビやパイナップルは国際競争にさらされ減産を余儀なくされた。一方で園芸は復帰を機に県外出荷が始まり、気温差を生かし冬季に有利販売して伸長した品目が多い。小菊の他、サヤインゲン、ニガウリ(ゴーヤー)、オクラ、マンゴーなどが定着した。