これを機会に、今の日本において国を守るとは何を意味するか、国民を守るために必要な手段は何なのか、根本的に議論しなければならない。
源泉は生活安定
日本が中国大陸での戦争にのめり込んだ1930年代後半、狭義国防と広義国防を巡る論争が行われた。狭義国防とは、軍備増強で防衛力が強化できるという立場である。広義国防とは、経済的生産力を強化し、国民生活を安定させて国力を充実させることが防衛力の源泉だという考え方である。当時の広義国防は労働者、農民をまき込んだ総動員体制を構築することを目指していたので、今の日本にそのまま当てはめることはできない。
それにしても、防衛力の源泉は国民生活の安定であり、経済の各分野における生産力の向上だという考え方は、われわれに防衛力を考える際の重要な視点を提供する。最近のニュースでは、日本の国力の低下を示すデータが相次いで紹介されている。1人当たりの国内総生産(GDP)について、日本は今年、韓国、台湾に追い越されたと推計されている。円安と世界的インフレによって貿易収支の赤字が定着している。今年一年に生まれた子供の数は80万人を割ることが確実である。社会が収縮し、国民が疲弊する中で何を防衛するのか、根本的な議論が必要である。
買い負ける日本
特に重大な課題は、食料の確保である。最近、輸入食材を扱っている店の主人から、「買い負け」という言葉を聞いた。世界第2位の経済大国だと威張っていた時代には、食料は金を出せば世界中から手に入れられると豪語する経済人や学者がいた。しかし、今や日本人の所得は停滞し、円安も相まって、金に物を言わせるなどという話は遠い過去のものとなった。自分が食べる基本的食料はなるべく自国で生産することこそ、安全保障の土台である。
肥料、飼料、燃料の高騰によって、酪農をはじめとして、農業者はかつてない窮地に追い込まれている。農業という産業が持続可能かどうか、瀬戸際に追い込まれていると言ってもよいのだろう。
現実的な防衛とは、国民の生命を守るために必要な政策を優先度の高い順に実行することである。現代版の広義国防のあるべき姿について、農業界からも発言してほしい。
