[論説]食と農の結び直し 循環の「自給圏」地域から
反省なき見直し論
今年は、農政の憲法、食料・農業・農村基本法見直しの年である。飼料・生産資材の高騰、気候危機、戦争や紛争による食料・資源ナショナリズムの台頭、金融・為替変動など「複合危機」下の食料安全保障強化が最大の政策課題だ。
だが生産基盤は弱体化し、農家は年老いて先細りする。能登半島地震のように災害も激甚化。この先、食料を安定的に供給できるのか。農地や水路の保全、集落の自治機能を維持できるのか、瀬戸際にいる。
農基法見直し論議では、こうした惨状を招いた検証と総括、反省が決定的に欠落している。農業ジャーナリストの大野和興さんは、基本法農政を「機械化、化学化、装置化、大規模化、単作化」の「五つの化」にあると規定。「小規模なところにいろんなものを作り、それを作りまわすというこの列島の風土や地形にあった農業の形がこの時期から急速に壊れていきます」(『農と食の戦後史』)と振り返る。
誰が村を守るのか
「農業の近代化」と並行して、政府は農畜産物の総自由化路線を推し進めた。国際競争に伍(ご)していける「強い農業」を志向。6次産業化や輸出による「農業の成長産業化」を政策目標に掲げた。
経済のグローバル化を背景に、規制緩和と市場原理を基軸とした新自由主義農政で、規模と効率を追い求め続ける。農民作家の故山下惣一さんが言った「永遠においでおいでの世界」である。その強いはずの農業が、今日の「複合危機」でばたばたと倒れていく。
農業・農村の疲弊をいち早く見抜いていた作家がいる。農家出身で終生、郷里山形の農業に心を寄せた藤沢周平さんが、30年ほど前のインタビューで、中核農家優先、零細農家軽視の農政をこう批判している。
「誰が村の行事を守るんだ、誰が村そのもの、山とか川とか道路とか神社とかを守るんだ、ということです」「経済性だけの農業になってしまうんです。わたしはそれが心配でしようがない」。その杞憂(きゆう)は現実となった。
食の主権この手に
「複合危機」に対抗し、足元の資源を見直し、生産者と消費者が手を結び「小さな自給」「小さな自治」に活路を見いだす動きが各地に出てきた。
100%有機米の学校給食を実現した千葉県いすみ市は、「自然と共生する里づくり」を掲げ、官民一丸で「環境と経済の自立」を目指す。こうした動きに呼応し、昨年6月には、全国32市町村とJA・生協など59団体が参加し「全国オーガニック給食協議会」が発足した。代表の太田洋いすみ市長は「国内で生産して、国内で消費する新たな形が生まれる」と期待を込める。
足元の資源で「循環のまちづくり」に取り組むのは福岡県大木町。生ごみやし尿を液肥に変えて農作物を育て、地域で食べる。台所と畑を結ぶことで、ごみの減量化、安価な液肥の供給、食農・環境教育につなげた。「資源の循環をよみがえらせ、住民のつながりを復活させたい」と奔走した元町長らの思いが結実したという。大木町モデルは、隣接する自治体にも広がる。
資源高騰や食料インフレに対抗し、ローカル自給圏を各地で興していこう。それは上からの食料安全保障ではなく、暮らしや生産の現場から「食の主権」を取り戻すことだ。食と農の関係を結び直す小さな一歩をあなたから踏み出してみよう。
アフリカのことわざが教えてくれる。「もし多くの小さな人たちが、あちらこちらの小さな場所で、それぞれの小さなことをがんばれば、きっと世界を変えることができるだろう」