トマトの苗がずらりと並ぶハウス。市内北東部にそびえる宝満山の麓、本道寺地区に、長年途絶えていた光景が戻った。
約10アールで「宝満とまと」を栽培、出荷する平嶋勝則さん(63)は「子どもの頃に食べたトマトはみずみずしく濃厚な味だった。そういうトマトを追求している」と話す。
平嶋さんら農家3戸でつくる「宝満とまと出荷組合」は現在、計30アールで栽培し、5~12月にかけて出荷する。メンバーは皆、幼少時代には地元産トマトを口にしてきた。再び地域に愛されるトマトを目指して完熟出荷にこだわり、出荷先はJA筑紫の農産物直売所「ゆめ畑」5店舗や、地元小売店の直売コーナーに限定している。
同地区では、かつてトマト栽培が盛んで、福岡県によると、1967年の資料「福岡の園芸」に、同地区を含む御笠村(現・筑紫野市)でトマトを栽培していることを示す記述がある。ただ「青枯病で伸び悩みがある」とあり、県は「病気のまん延や高齢化で、その後、栽培がなくなったのではないか」(農林水産部)とみる。
トマト栽培復活の動きが出てきたのは2018年度。現在の組合メンバーの1人が「消えた産地を復興させたい」と地区内に呼びかけ、平嶋さんら2戸が参加。県の園芸産地化の補助事業を活用して必要な設備を導入し、栽培が始まった。
いずれのメンバーも子どもの頃、トマトが生産されていた記憶はあるが、実際に栽培した経験はなかった。2年目までは病害や一部苗の枯死などに悩まされた。平嶋さんの妻で、共にトマトを栽培する友子さん(62)は「最初の頃、力加減が分からず誘引していても、ぽきっと折れてしまった」と打ち明ける。月1回の仲間との勉強会やJAによる営農指導もあり、3年目から生産が安定してきた。
同組合は、面積拡大も視野に入れる。JAは「安定生産・販売を維持するため、今後もJAの生産部会と同じように支援していきたい」(農業振興課)と話す。