[今、どうしていますか? 能登半島地震]米農家 新潟市 椎谷郁夫さん(77)
あの日、家族3世代7人で早い夕食を取っていた。下からドンと突き上げられ、全員で外に飛び出したのは幸いだった。大地を横に揺さぶる激震はその直後。たんすが吹っ飛んで倒れ、部屋にいたら命はなかった。
農業倉庫は倒壊を免れ、筋まきの種も無事だった。だが、私が住む中野小屋地区の被害は大きく、高齢の2人が離農するという。
地震は、新潟の農家に追い打ちをかけた。雨にたたられた一昨年、酷暑に襲われた昨年と多くの仲間が2年連続で等級を落とした。私もそれまでオール1等米だったが、昨年は3等米に下がった。今年はどうなるのか。
誰かが離農するたび、集落で農地を振り分けてきた。だが、面積が広がれば農機も大型が必要になり、借金が増える。資材は高騰しているが、米価は上がらない。52歳の息子が今、地域の農家では最も若い年代。米作りの10年先が見えない。
何はともあれ命はある。精いっぱい、春に向けて頑張るしかない。