アルプス席では、酪農ヘルパーを何とか確保して休みをとった酪農家たちが声をからし、応援を続けた。エースで8回まで力投した堺暖貴投手(2年)の叔父で酪農家の安部克寿さん(42)もその一人。年末には堺投手が安部さんの牧場を訪れ、牛の寝床掃除や除ふん作業を一緒にしたという。安部さんは「今日見た景色は一生忘れない。日々の牧場作業のモチベーションにつながる」と笑顔で選手をたたえた。
同町の酪農家、山賀秀一さん(44)は特別な思いでアルプス席から選手の活躍を祈り続けていた。山賀さんは林伸悟選手(2年)、関口光樹選手(1年)と同じ中西別地区で牛を飼う。2人が通った町立中西別中学校の野球部は10年以上前から廃部状態だった。山賀さんは保護者らと協力し、学校側に野球部の復活を嘆願。同校の生徒が町の合同チームに参加できる体制を整えた。山賀さんの思いは実を結び、3年前に野球部は復活。野球を続けたいと願う子どもたちの夢をかなえた。山賀さんは「町民が一丸となった応援で、選手を後押しできたと思う」と語った。
同校は6回の攻撃時には日本学校農業クラブ連盟(FFJ)の連盟歌「FFJの歌」を演奏し、農業系の学科を持つ高校らしさをアピール。地元では搾乳を終えた酪農家ら町民400人が、パブリックビューイングに集結し、大声援で試合に見入っていた。
もう一回来る 夏の雪辱誓う
敗退したが、選手は晴れの舞台で大健闘した。初ヒットを打ったのは、酪農経営科の影山航大選手(2年)だ。将来は酪農家を志す影山選手は「打線が詰まっていたので、自分が1本打ってやるという気持ちでバットを思いっきり振った」と振り返り、夏での雪辱を誓った。
主将でチームをまとめた中道航太郎選手(3年)は「本当にたくさんの方々に応援していただいて、感謝の気持ちでいっぱい。その中でも勝ちきれなかったのは本当に悔しい。監督に勝ちをプレゼントできなくて、絶対もう一回戻ってきたい場所だと感じた」と語った。
島影隆啓監督(41)は「試合前に応援席を見た瞬間、こんなにもたくさんの人が応援に来てくれたのだと思い本当にうれしかった。これまで支えていただいた町民の皆さまに恩返しをという気持ちで試合に臨んだ。田舎の公立校で人数が少なくても努力すれば甲子園に来られるという証明を子どもたちはしてくれた」と感謝した。
編集後記 母校の力で小さな町一つに 安田美琴記者
生乳生産日本一を誇る別海町だが、ここ数年間は生乳の生産抑制や生産資材の高騰などで酪農を取り巻く環境は厳しく、離農が続出している。その中で同野球部の甲子園出場は久しぶりの明るいニュースとなり、酪農家にも笑顔が戻った。
私は4年前に酪農を志し、地元の兵庫県から別海町へ移住した。別海高校の農業特別専攻科に通いながら、牧場従業員として働いた。2年前、酪農ともう一つの夢だった農業の物書きになるため本紙根釧通信部の記者になった。酪農経営が急激に悪化し、目に涙をためて、市場で最後の牛を手放す酪農家や、飼料を減らして経費削減するしかない経営者を取材してきた。
本当にたくさんの人が別海ナインのプレーに励まされた。私もそのうちの一人だ。たくさんのありがとうを伝え、牛乳で乾杯したい。