春の連休では、皆でサンショウの葉っぱを摘んだことを思い出します。夏休みといえば、大好きなトウモロコシ。私が朝寝坊している間に、祖母が朝取り。「多恵やー、南蛮キビ取ってきたでー。早うキビ食べやー」と起こしてくれて、取れたて焼きたてを食べました。秋は栗拾い。「イノシシが取る前に取れ」と、皆で栗の木の下に落ちているいがを長靴で踏んで、栗を出して拾いました。
祖母は作物ができるたび宅配便で送ってくれました。カボチャは西洋カボチャだけではなく、日本カボチャも作っていました。キュウリはとても大きくて、まるでウリみたいな感じ。これを酢の物にするとおいしかったんです。ご近所の人にお裾分けすると、あまりの大きさに皆さんビックリされてました。
強い印象があるのは、フキです。母が煮物にしていました。私の通った学校は小、中学ともにお弁当で、母は毎朝作ってくれたんですけど、祖母から送られた食材を使って調理することが多かったんです。お弁当のご飯の上に茶色いフキが載っていたなんて、すごく渋いですよね。
祖母の家にはお茶畑もあり、そこで作られるほうじ茶はまるで台湾の高級ウーロン茶みたいな味でした。
ジャガイモは2階建ての木小屋に干しており、そのジャガイモをたくさん送ってきてくれました。
サツマイモも祖母が作ったのはとても甘くて、父は「おばあちゃんの作るサツマイモは、褒章をもろうてもいいくらいや」と言いながら焼き芋を食べていました。「シルクスイート」という種類は昔はなかったと思いますし、普通の芋だと思うんですけど、ねっとりとしていて蜜がたくさん入っているような味でした。
ものすごい労力だったと思います。本当にいろいろな種類の野菜などを作っていました。おかげで、身近な人が丹精して栽培したものを食べる喜びというものを、ずっと感じて育ってきました。
私の父は食品会社に勤めていたので、新商品が出たら家族皆で食べ比べてみたりしました。おいしいものにこだわり、非常にエンゲル係数が高い家だったと思います。両親は、食べ物を粗末にしてはいけない、もったいないと教えてくれました。
私はよく母と一緒に料理番組を見ていました。母が速記みたいにダーッとメモ書きし、それを私がまとめ、そのノートを持って台所に行き2人で料理をしたのです。後に番組で料理コーナーを担当するために、さまざまな食経験を積んだのではないかと思うくらい。それほど良い食育を受けたと感じています。
私は長い間、母を介護しています。介護食士の認定資格を取るための勉強や、番組出演で得た知識が、介護食を作ることに生きています。例えば、液体は喉に落ちるスピードが早く、気管に入って誤嚥(ごえん)を起こしやすいので、でんぷん質を煮込んだり、サトイモなら、あえて水に漬けず、粘度を利用してとろみを出すなどの工夫をしています。
母と一緒に作ったノートを開き、今の母にも食べられるようアレンジすることもあります。例えば母がよく作っていた梅とインゲンマメの白あえ。インゲンマメは昔は3センチほどの長さに切りましたが、かむ力が落ちた時は、繊維を断ち切るように細かく包丁で切り込みを入れて小さめに切るようにしました。あまり小さいと逆にかめないので、ちょうどよい大きさにするのが大事です。祖母の作る野菜、父の会社が開発した食品、母と一緒に台所に立って作った料理、番組で得た知識……。そういう食経験の全てが、今の生活に生きていると感じます。
こまむら・たえ 1975年、大阪府生まれ。アイドル歌手としてデビュー。大学の短期留学プログラムで渡米。帰国後、キャスターとして報道・情報番組を中心に活躍。実母の介護を15年以上続けており、仕事をする傍ら介護福祉士や介護食士の資格を取得。現在は「あさイチ」(NHK総合)サブキャスター、「にっぽん縦断 こころ旅」(NHKBS)月曜朝版朗読ほか、ウェブ「なかまぁる」にて連載中。