依然として激戦が続くヘルソン周辺から、西に100キロ足らずのミコライフ州ゼレニー・ガイ村郊外で野菜栽培をしているアダム・メルニクさん(64)を訪ねた。かつて150ヘクタールでタマネギやニンジン、キャベツなど、別に150ヘクタールでトウモロコシや飼料作物を生産していた。自社で野菜缶詰やジュースの工場を運営し、製品は米国やドイツなどにも輸出されていた。
最盛期で1000人近い職員を雇用していたが、ロシア軍が侵攻を始めた昨年2月24日に事態は一変。侵攻するロシア軍が地域を占拠したこともあり、両軍の砲弾で建物の多くが破壊された。地域住民の多くが国内外に逃げ、現在農場で働くのは10人余り。今年の栽培は、以前の10分の1となる30ヘクタールだ。
メルニクさんが直面するもう一つの難題は販路だ。都市部のスーパーマーケットに野菜を大量販売していたが、出荷できる量が激減し売り場を失った。周年で大量出荷を求める要望に応じるのは難しい。
「30年築いてきた農場が一瞬で崩れた。ロシア軍の戦車が走り回り700メートルのかんがいパイプを踏みつぶし、農機の大半は破壊された」とメルニクさんは語る。壊れたトラクターから部品を取り外し、別のトラクターに移し替え作業する。保険では、戦争で破壊された施設や機械は補償されない。復旧までにメルニクさんが負担する気が遠くなるような金額を想像すると、返す言葉がない。
しかし、ごみを焼く煙は、農場再建へののろしでもある。人手が集まらず放置していたハウスは、育苗用に使っている。野菜の栽培面積を拡大するため、周辺のごみを片付け、ハウスにプラスチックを張ることを決めた。全ての畑で地雷が撤去されたことも朗報だ。困難の中でもメルニクさんは前を向き、再び農業を軌道に乗せようとしている。