「手当ゼロ」鳥取、農高現場は―― 教育と生産、二つの重責
おんどりのけたたましい鳴き声が山あいにこだまする午前4時50分。倉吉市郊外にある県立倉吉農業高校の嵐が丘牧場で、教諭の田中慎一さん(60)は搾乳実習の準備に余念がない。近くの学生寮から生徒が集まると授業が始まった。
生乳タンクの洗浄チェックで指導した後、牛舎の柵からホルスタイン16頭を生徒と一緒に搾乳施設に追い立てる。左右各3頭の搾乳が始まるが、最後の1頭がなかなか前に進まない。「黙って見ていても牛は動かんぞ」。この日が初めての実習で気後れする生徒に声をかける。
体重700キロの牛が軽く頭を振っただけで人間はけがをする。他校で生徒が牛の間で倒れていたことがあり、田中教諭は生徒と乳牛の安全のため、片時も目が離せない。
1時間弱で搾乳実習が終わり生徒たちは食事のため寮に戻るが、田中教諭の作業は続く。牛舎に戻り、餌を食べる量や様子を確認する。暑さで弱っていないか、すべって転倒し足首を痛めていないか--。心配は尽きない。
牛舎を離れ、管理棟に戻るのは7時前。軽い朝食を済ませると、7時40分ごろ地元の乳業会社の集乳に立ち会う。同校の生乳は酪農家2戸分と共に製品化されるが、同校が品質基準を満たさず、廃棄処分されたことがあった。田中教諭は「農家に迷惑をかけない」と緊張感を持って日々の作業に当たる。教育者としてだけでなく、生産者としての重責も担っている。
8時に職員室へ移動するまでは授業の準備。1日最大4こまの授業を午後3時過ぎに終えると、再び実習。帰宅は午後6時を回る。休日は搾乳後、飼料生産のためのトウモロコシ畑8ヘクタール、牧草地7ヘクタールの管理も担う。
搾乳実習は持ち回りで月6、7回行う他、管理棟の日直や学生寮の宿直が月1回ある。産業教育手当に代わる教員特殊業務手当が支給されるものの、金額は低い。
田中教諭が初めて着任した時、先輩教諭から「牛飼いになるつもりでやれ」とアドバイスを受けた。手当が乏しい現状を受け止めながらも重責を果たしてきたのは、「酪農家の子どもが卒業後に後を継いだり、共進会で入賞したりすると、やってきて良かった」と思うからだ。
多くの酪農家を育ててきた田中教諭は来年3月、定年退職を迎える。
財政難理由も県「対応検討」
鳥取県教育委員会は産業教育手当がゼロになった理由を「財政難」と説明する。一方、昨年の教員採用試験で、同県では内定者の半数以上が辞退する事態となった。国の教員給与引き上げ方針を受け、県教委教育人材開発課は「産業教育手当についても対応を検討したい」と話している。
(後藤逸郎)