農家の福田耕生さん(35)が「軸に人さし指を当て、こうひねるんです。片手で大丈夫」と手本を見せた。軸とは実と枝を結ぶつる。男性は「なるほど」と嘆息し「落とさないよう緊張してしまって」とはにかんだ。
津軽は名峰、岩木山の中腹が紅に染まる10月中旬、東麓に広がる青森県弘前市でリンゴの収穫が本格化した。
男性は市文化振興課に勤める地方公務員、岩下朝光さん(45)。業務やボランティアではない、休日利用のアルバイトだ。同市では今秋から職員30人がリンゴ農家で兼業を始めた。福田さんが「人手が欲しかったから助かります」と感謝し、岩下さんも「全国で販促活動する時『僕がもいだリンゴです』と言えるから、熱意とおいしさを伝えられます」とうれしそうだ。
人事院によると、日本の公務員は法律上、兼業や副業を禁じられてはいない。だが、業務への支障、守秘義務違反、便宜供与などへの懸念から厳しい許可制が敷かれ、事実上の禁止状態にあった。
近年、人口減に伴う労働力不足を背景に、政府が「多様で柔軟な働き方」を推奨するようになった。民間企業に社員の副業を促す一方、2018年には国家公務員の兼業基準を示し、地方自治体にも基準作りを求めた。
兼業が進んだのは、地方公務員法が定める「職務の公共性」に異論のない福祉やスポーツ指導などボランティア的な非営利事業が大半だ。家業以外の生産農家など営利目的の事業体で働く兼業の基準作りは困難視された。
21年9月は、首相の辞任表明など国政の騒動に関心が集まった一方、公務員の兼業を巡る対照的な出来事が、自治体や農業関係者、市民の話題を呼んだ。
一つは、市職員がリンゴの繁忙期に農家で働ける兼業を導入した弘前市の発表。他方は、北海道十勝地方の野菜農家で、勤務先の許可なく収穫のアルバイトをした20代消防士が懲戒処分されたという地元紙の記事だ。
前者は「日本最大のリンゴ産地」だけに、新聞やテレビがこぞって報じた。後者は「日本最大の食料基地」とうたわれるだけに、インターネット上に多様なコメントが連なった。そして、多くの人々が「自治体や地域によって認められたり禁じられたりするのはなぜ」と首を傾げた。
「ねぷた」で知られる弘前市は、伝統文化を守るため市職員に絵師の兼業を認めてきた。だが、市りんご課の渋谷明伸課長は「営利目的の農家での兼業は無理だと思っていたから、半年前までは考えもしなかった」と打ち明けた。
「公共」が変わる――。あの日、渋谷課長はそう直感した。
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担い手や働き手の不足は現代日本の難題だ。公務員の兼業で食を支える農を守り「これからの地域づくり」を見据える地方の挑戦を報告する。(栗田慎一が担当します)