福島県大熊町。中間貯蔵施設になった実家や農地を眺めながら、線量計を首から下げ、背丈ほどに伸びた雑草の脇を歩く。今はいわき市に住む福島中央テレビの記者、渡邉郁也さん(30)だ。自らを題材に同施設の現状を伝え続ける。
実家と東京電力福島第1原子力発電所の距離は1・5キロほど。廃炉作業中のクレーンや原発施設が見える位置だ。東日本大震災から13年たった今も、帰還困難区域の古里には許可なく立ち入ることができない。
「事故が起きるまで原発は安全だと思っていた」。祖父、父ともに東京電力に勤めながら水稲を中心に1・4ヘクタールで農業を営んでいた。渡邉さんも農繁期には手伝ってきた。「場合によっては東電で働き、農業を継いだかもしれない」と話す。
震災契機に記者
原発事故で人生の歯車が大きく狂い始めた。被災したのは双葉高校2年の時。目まいが起きたかと錯覚するほどの強い地震だった。事故以降、実家での暮らしはかなわぬままだ。
自らも被災者として取材を受ける中、報道の影響力を実感し、「古里を報じることで、復興につながるのではないか」との思いを強くする。東京の大学を卒業し、2016年にテレビ記者になった。
「復興に役立てれば」と、入社以来、実家のことを報じることはいとわなかった。ただ、20年12月放送分の取材時、これまでにない葛藤があった。先祖代々守り続けてきた農地が、中間貯蔵施設になったことを報じなければならなかったからだ。祖父母にとって農業は生きがいだった。当時の映像には「おじいちゃん、おばあちゃんには、見せられない」と、苦悶(くもん)の表情を浮かべる渡邉さんが映っている。
最終処分で懸念
「彼の報道は頼もしく思える」。渡邉さんの仕事ぶりに目を細めるのは大熊町の実家が中間貯蔵施設になった、今は相馬市に住む門馬幸治さん(69)だ。門馬さんは同町にある宅地など1・2ヘクタールを国に売却したが、残りの農地など0・8ヘクタールを、45年に返還される「地上権」に設定。「45年には90歳になるが、三つまたのつえを突いてでも絶対に大熊町で農業を再開する」と言い切る。
渡邉さんは中間貯蔵施設が最終処分場にされてしまわないか懸念する。23年8月、国が漁業者に合意を得ないまま、福島第1原発にたまる処理水を海洋放出したからだ。法律では45年までに汚染土の県外搬出が定められている。だが、いまだ搬出先は決まらず、国は明確な道筋を示せぬままだ。
「中間貯蔵施設の地権者も約束をほごにされてはならない。21年後、この地で農業する住民の姿を報じたい」。古里の明るい未来に願いを込める。
<ことば> 中間貯蔵施設
福島第1原発事故に伴い福島県内で発生した除染土壌や廃棄物などを最終処分までの間、貯蔵する施設。同原発がある大熊、双葉両町にある。同施設の区域は約1600ヘクタール。1月末時点で、国は両町の地権者1883人と契約し、約1296ヘクタールを取得。うち、地権者160人が地上権設定で契約した。その面積は244ヘクタール。同施設には、約1376万立方メートル運び込まれた。東京ドーム約11個分に相当する。
東京電力福島第1原子力発電所事故で避難を強いられた福島県12市町村。事故から間もなく13年になる今も7市町村は帰還困難区域が残る。かつてもう人が住めないとされていた地域を、未来へつなげたい――。諦めずに希望を見いだした若者たちの挑戦と地域の姿に迫る。(5回連載)