ロスに渡ったのは、2001年。ちょうどセプテンバーイレブン(同時多発テロ事件)の直後です。あのテロが起きた時、私は向こうに住む準備をある程度終えて、いったん帰国。日本のテレビで、悲惨な光景を見たんです。
友人たちは、米国に行くのはやめなさいと言ってくれました。でも船便で送った家財道具が、9月中旬にロサンゼルス港に到着することになっていました。契約したマンションで、荷物が来るのを待たないといけない。ガラガラの飛行機に乗って、ロスに向かいました。

着いたら、行き交う車がみんな米国の国旗をなびかせて走っていました。また、公園などで行われる無料のコンサートでは、いつも一番最初に国歌が歌われていました。誰が強制するわけでもなく、聴衆は皆立ち上がって、胸に手を当てる。その光景を見て、感動しました。
よく「米国に住むと、たいていの日本人は右翼になる」などと言われます。日本に住んでいた時にはあまり感じない、母国に誇りを持つことの大切さを知るからだと思います。私は右翼ではございません。でも母国を愛することは自然なことだと知らされたんです。

私はロサンゼルスで、日本食に誇りを持つようになりました。
私は1951年の生まれです。米国のものは素晴らしいという時代で、子どもの頃は食の欧米化が進みました。私の母は「マッカーサーさんって、あらすてき」と外国かぶれしていた人ですから、近所にできた紀ノ国屋スーパーで外国の食材を喜んで買ってきました。朝食はトーストとコーヒー。大げさなことを言うようですが私は大人になるまで、世の中に魚というのはサケとアジの2種類しかいないと思っていたほどです。煮魚なんか食べたことがありませんでした。

そんな私がロスで米国の食生活を経験したことで、日本食の素晴らしさに目覚めたんです。
カリフォルニアで来客をもてなすといえば、土曜日に庭で行うバーベキュー。肉やソーセージを焼いてパンに挟み、コーラを飲む。ポテトチップスを食べるから野菜も取っているなんて言って。最後にケーキも出るんですが、ものすごく甘い。
朝食は、甘いドーナツやデニッシュ。仕事の会議中には、コーヒーの横にチョコチップクッキーがてんこ盛り。料理の味付けは、辛いか甘いかだけ。味にこだわりがない代わりに、量だけは多い。てんこ盛りであれば、文句は言わないですからね。これでは太るのは当たり前です。

それが嫌でお米を買ってきて、日本食を作ったんです。ロスにはアジア系のスーパーがたくさんあり、食材には困りませんでした。夫が料理が得意なので、魚を焼いたり、ホウレンソウのおひたしを作ったり。
ただし怖いことに米国の野菜や果物や牛乳は、何日たっても腐らないんです。向こうでは郊外に巨大なスーパーがあり、週に1回車で買い物に行って大量に食材を買います。ということは、買ったものが1週間悪くならないことが大事なんですよね。食材には保存料が大量に使われているんじゃないかしら。そう感じて、野菜や果物などもアジア系スーパーで買うようにしました。
面白いのは、ロスでカリフォルニア米を「おいしいおいしい」と食べていたんですが、日本に帰国してお米を食べて「ロスでありがたく食べていたお米って全然おいしくない」と感じたこと。日本の農産物のレベルの高さを、つくづく感じました。食において、私は日本人であることを誇りに思った。そういう意味で、いい経験をした海外生活でした。
(聞き手・菊地武顕)